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2011-02-13[n年前へ]

ガチンコと八百長を俯瞰した時の「ソン」と「トク」 

 「貴乃花が八百長相撲を嫌い、ガチンコ相撲を貫き通していたこと」を書いた記事を読み「なるほど、相撲の道を追求し続けた貴乃花だ」と感じ入りました。けれど、それと同時に、中島隆信「 大相撲の経済学」の第六章の中の「八百長は本当に悪か」という一節を思い出したのです。

 ここで問いたいのは角界の八百長を絶滅することが本当に社会にとってプラスになるのかどうかという点である。(中略)力士のケガは、体重増など体力的な原因が確かに大きいだろうが、一面では真剣勝負の現れともいえないだろうか。
 そして、この一節と同時に、第九章で書かれている、(平成14年当時)7場所連続休場していた横綱貴乃花に対して、「土俵に上がり出場した上で、横綱の責任をまっとうできないときは、自ら身体を決してもらいたい」と横綱審議委員会が引退勧告に近い注意を貴乃花に対して行っていたことを書いた一節も思い出したのです。ガチンコを続けたという横綱は、史上で一番、土俵に上がることができなかったのでした。

 大相撲が興行を続けて行く上で、「八百長」と「ガチンコ」のどちらかだけが100%だとしたら、きっとうまくないのだろう、と感じさせられます。貴乃花はひとつの頂点だけれども、みんなが貴乃花だったとしたら、定期的な巡業をすることもできない相撲集団になっていたのかもしれない、とも思わされるのです。

2011-02-15[n年前へ]

「無限の欲望を持つみんな」が「豊か」になるための方法 

 「経済学って何なのさ?」「経済学って役に立つの?』というのは、誰もが一度は持つ疑問なのではないか、と思います。

 私は、「経済学とはみんなが豊かになるための仕組みを考える学問だ」と学びました。自分たちが「この先生に教えを請いたい」と選んだ先生に向けて自分たちが常々思う疑問をぶつけ、その先生の答えを聞いて、その答えを人に伝えるために咀嚼した結果として、そんな風に感じたのです。そしてまた、無限の欲望を抱える人類が"その自らの欲望"に対して未来永劫悩み続けなければならない以上は「経済学」というのは人にとって役に立つ学問だと、これまた同じ理由で信じています。

 何かのきっかけで、大竹文雄先生の「こんなに使える経済学 」を読み直しました。

 本書を最後まで読んでいただけた方は、「経済学はこんなに使えるのか」という感想を持たれただろうか。それとも、「やっぱり、経済学は役立たずだ」と感じられただろうか。
 経済学は、そのような現実の実務の細部にわたって答えを足してくれるものではない。そこまで経済学に期待する人にとっては、「経済学は役に立たない」ということになる。しかし、「これをすると失敗する」というような大まかな方向性を示してくれるという意味では「経済学は役に立つ」。

 「大きなことはできないかもしれませんが…小さなことからコツコツと…」そんな言葉が好きな人は、きっと経済学が好きになるだろう人だと思います。

2011-05-08[n年前へ]

クラスター解析を用いた「風俗店の立地戦略」解析 

 慶應義塾大学経済学部「研究プロジェクト」の研究成果、「性風俗店の立地に関する研究 ―川崎の南町と堀之内を対象地域として―」から。

 各店舗のウェブページと電話調査 によって、距離・路線価・総額・時間・分あたり・在籍数の計6つの指標をもとに主成分分析とクラス ター分類を行った。
 …クラスター分類を行った結果、価格帯によって4つのクラスターに分類でき、それぞれ総額が高 い順から高級店・大衆店・割安店・格安店と名づけた。各指標において、それぞれの分類と全体の平均 を比較した結果、距離に関しては総額が高いほど川崎駅から遠くなることが確認された
 つまり高級店であるほど駅から遠く、格安店であるほど駅から近くに立地する。しかし、大衆店と割 安店の平均距離が逆転している。この要因を考察すると、大衆店は値段の設定が中途半端で強みがない ためなるべく客を引き付けるべく駅から近くに立地し、一方割安店は分あたりの値段が格安店並みで時 間も長いので、その分強みがあり集客力があるため駅から遠くに立地するという考察に至った。

2013-01-15[n年前へ]

「”1人あたり”GDP(国内総生産)の地球儀」で「日本の豊かさ」を考えてみよう!? 

 生み出したもの…つまり何か新たに加えられたものの価値が「いくらになるか?」…それを表したものが「GDP(国内総生産)」です。生み出したものと交換されたお金の量…つまり生み出されたものに付けられた値段が、回り回って私たちのお財布に入ってくるわけですから、GDP(国内総生産)は「儲かり具合」のモノサシになったりもします。

 世界各国のGDP(国内総生産)を眺めると、ここ数年は、1位アメリカ合衆国、2位中国、3位日本…という順位が定番です。以前は2位を占めていた日本を、2009年以降は中国が抜き去っています。ちなみに、4位以降はドイツ・フランス・イギリスといった国々が常連です。

 そんな中国の躍進を見て「中国は人口が多いからなぁ…1人あたりGDPで見ないと1人あたりの豊かさはわからないよなぁ」と考えたりもします。…けれど、実際に「”1人あたり”GDP(国内総生産)」を眺めてみると、「中国は人口が多いからなぁ…1人あたりGDPで見ないと…」という言葉は、自分たちに跳ね返ってくることに気づきます。

 たとえば、下に貼り付けた動画(と右に貼り付けた画像)は、世界240 国の経済データを使って「”1人あたり”GDP(国内総生産)をプロットしてみた地球儀」です。1人あたりの名目GDP(USドル)が高いほど、高い場所に印を付けてみたもので、日本は240国中では17番目です。上位の国は、 ルクセンブルク・カタール・ノルウェー・スイス・オーストラリア…という具合です。「”1人あたり”GDP(国内総生産)の地球儀」を眺めてみると、ヨーロッパ一体が何やらとても華やかに見えてきます。

 上位の国々は、「1人あたり金額」にすると日本の2倍以上…日本の豊かさは一体どんなものなのでしょうか。GDPの高さや税金の高さ…色んな「額」を眺めることができる「地球儀」が学校の教室にあると、色んなことを感じることができそうです。

「”1人あたり”GDP(国内総生産)の地球儀」で「日本の豊かさ」を考えてみよう!?「”1人あたり”GDP(国内総生産)の地球儀」で「日本の豊かさ」を考えてみよう!? 






2013-01-16[n年前へ]

「1人あたりGDP(国内総生産)」と「1人あたり国内所得の不平等さ」を眺めてみよう!? 

 同じ国に住む私たち、そんな私たちが生み出したもの総額いくらになるか?=国の中で生み出したものと交換されたおカネの量=お値段が、それすなわちGDP(国内総生産)です。その額面が回り回って国民のお財布に入ってくるので、GDPは私たちの懐具合を指し示す指標になります(参考:「”1人あたり”GDP(国内総生産)の地球儀」で「日本の豊かさ」を考えてみよう!?)。

 たとえば、右上のグラフは、横軸に「人口(国民数)で正規化したGDP」をとり、縦軸に「国民1人あたりの国民所得(national income)」をプロットしてみたものです。このグラフが直線的、つまり「国の中で生産されたもの価値≒国民所得」となるのは当たり前で、GDPと国民所得というものは、つまりそういう「定義」の数字なのです。

 しかし、現実には、生み出すもの(の値段)や所得が誰でも同じ=総額を人口で割ったような数値になるわけではありません。差異・違い・不平等がそこには存在しているものです。

 右のグラフは横軸に「人口(国民数)で正規化したGDP」をとり、縦軸には「所得分配の不平等さを示すジニ係数」をプロットしてみたものです。貧しい国でも(横軸の左側)、豊かな国でも(横軸の右側)、所得分配具合には「等しくなさ」が存在することがわかります。

 ジニ係数の範囲は0から1で、係数の値が0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味する。ちなみに、0のときには完全な「平等」つまり皆同じ所得を得ている状態を示す。社会騒乱多発の警戒ラインは、0.4である。

 もっとも、「貧しい国でも・豊かな国でも、国民の所得分配具合は等しくない」といっても、貧しい国と豊かな国 の間での国民所得のバラツキ具合は「同じように等しくない」わけではなく、不平等さにも違いがあります。

 …と、経済データを眺め・考えて続けていたならば、こんな不平等グラフはいつか姿を消すのだろうか・それともより存在感を増していくのだろうか?…とふと感じます。

「GDP(国内総生産)」と「国内の貧困差」「GDP(国内総生産)」と「国内の貧困差」








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