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2011-01-15[n年前へ]

「じどうかねつき」 

 「じどうかねつき」とPCのキーを叩くと、「自動加熱器」と変換されました。確かにそれが自然だよな・なかなかに賢い漢字変換だなと思いはすれど・・・入力したかったのは実は「自動加熱器」ではなく「自動鐘突き」なのです。

 夕暮れの道を歩いていると、お寺の鐘が鳴り始めました。夕暮れに響く鐘の音は本当に美しく聞こえます。だから、思わずその鐘の音の源を眺めてみれば、なんと、梵鐘を突く撞木のそばには人一人いませんでした。鐘は自動で突かれているのです。私が思わず聞き惚れた。冬の空気に美しく響く鐘の音は、「自動鐘突き」の音でした。

 最初は、機械が突いた鐘の音なんて、となんだか味気なく思いました。けれど、・・・このお寺には人は住んでいなくて、夕方に鐘を突くことができる人もいなくて、こんな機械がなかったとしたら、鐘の音は響かないままなのかもしれない、とも考えたのです。

2012-10-30[n年前へ]

未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」 

 お手軽に使うことができ・それでいて高機能なスクリプト言語を使うようになった頃から、少し「難しいな」と思う感じる状況が増え始めました。

 たとえば、何かのデータ処理や解析を人に依頼しようとした時、その「したいこと」を説明するには「処理作業を書く」のが一番楽で…けれど、その処理作業を書いてしまったなら(その作業を人にお願いするまでもなく)「体力溢れるコンピュータが(やりたい)実作業をしてくれる」ので、そもそも人に頼む作業とやらが目の前から消え失せてしまうのです。

 自分で翔べない人間はコンピュータに仕事を奪われる。

グライダー能力

 今日、ふと、未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」だけかもしれない…と考えました。

 「ニッチで・けれど高価なものを作る人」が残る…というのは、ニッチなもの、少数しか必要とされないものを作るには「機械」「自動化される何か」より「人」の方がコストが安いので、未来もきっと残るだろう…という理由です。

 そして、「プログラミング言語・環境開発者」が生き残るだろう…というのは、以前川合史郎さんが書かれたことに、少しだけ似ています。

 自分の子供の世代になると、「プログラムが書ける」というのは「文章が書ける」のと 同じくらいの基本的なリテラシーになるんじゃないかと思う。その時の「プログラミング」 は今より広い概念だろうけれど。

広義のプログラミング
「プログラミングという作業を単純で基本的で、つまり誰でも可能なものにする」というための「プログラミング言語・環境開発者」は、未来には、当たり前のように存在しているのではないか、それープログラミング環境ーは今の文房具のような存在になっているのではないか?と思うのです。

 そんなことを考えたのは、MATLAB EXPO で丸山宏さんの講演を聴いたからです。丸山さんが話す「大規模データ解析」の話を聴きながら、たとえば「流行を感じつつ番組企画や雑誌特集記事を考えるという作業や、経験に沿って故障原因を探っていく保守作業や、人の動きを読み営業計画を立てる事業作成、はたまた誰かの指示に従ってプログラムを書く…といった色々な仕事・作業」は、未来には「マシン」にとってかわられているだろう…と感じたことがきっかけです。

 ここで言う「マシン」は、「調べる」「知る」「行う」作業を指し示す「何か」により作り出され・動く「何か」、です。「マシン」は「(後者の)何か」で、そして、「プログラミング言語・環境」が「(前者の)何か」です。

 近い…といっても二十年くらい先の未来、大量に作る物は(それが日常生活で消費する物品でもメディアでも)、それらは人ではない「マシン」が作り出し、人は「ニッチで・けれど高価なもの」だけを作っているのかもしれないと、ふと考えました。けれど、そんな「マス」と「ニッチ」のバランスでは、人の世界は成り立ちそうにもないな…と思います。

 そんなことを考えたのは、MATLAB EXPOという「プログラミング・処理環境」のベンダーが主催する「場所」でした。

 人間は、決してあきらめてはならない。

「ロボット (R.U.R)」 カレル・チャペック

2016-01-18[n年前へ]

「坂本龍馬」の白黒写真を機械学習でカラフルに眺めてみよう!? 

 CNN(Convolution Neural Network)機械学習による自動彩色(Google発のtensorFlowで実装した Automatic Colorization)に、約150年前に撮影された江戸時代末期の土佐藩志士「坂本龍馬」の白黒写真を入力させてみました。その結果得られた画像は、カラフルで生き生きとした…けれど少し昔の青年の顔です。(添付画像は彩度を上げたもの)

 色情報を全く含まないはずの白黒フィルムに焼き込まれた風景や人の姿を、今やカラフルに「それっぽく」眺めることも簡単な時代です。たとえば、歴史の教科書に載っていたような白黒写真で覚えた人たちや風景を、カラフルに眺めてみるのも面白いような気がします。

 そしてまた、こうした機械学習による「自動彩色」の例を眺めていると(たとえば自動彩色した「七人の侍」など)、手作業で行う最適化の苦労なんて、もう20年近く前に終わったはずの20世紀に置いてこないとダメな過去の遺物なんだった…ということを強く意識させられます。

「坂本龍馬」の白黒写真を機械学習でカラフルに眺めてみよう!?「坂本龍馬」の白黒写真を機械学習でカラフルに眺めてみよう!?








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