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2010-11-05[n年前へ]

「虹のトンネル」を時速40kmで追いかける 

 あまり意識することはありませんが、虹(主虹)の内側は明るく光っているものです。たとえば、下の写真では、道の先に虹がありますが、その虹(主虹)の内側がぼんやりと白く光っていることがわかると思います。まるで、車でトンネルの中を走っていて、その走る先に明るいトンネルの出口があるようにも見えてきます。

 こどもの頃、虹の麓にたどり着こうと、自転車に乗って虹を追いかけた記憶がある人は多いと思います。あの頃、私たちはカラフルに彩られた虹のアーチだけでなく、無意識のうちに、虹の内側に光り輝くトンネルの出口に向かってペダルを回していたのかもしれません。

 ふと、こんなことを考えました。・・・虹を見るのは、午後の夕立があがった後であることが多かったと思います。つまり、西の空が晴れて太陽の光が差し込み、東の空には雨雲と雨粒があり(雨粒がないと虹は見えませんから)、その東の雨粒に重なるように虹が浮かんでいる、という状況です。私たちは西の空の太陽を背にして、東の空に浮かぶ雨粒と虹を追いかけていたのです。

 日本の空は偏西風に支配されています。西の空から東の空におよそ時速40km程度の風が吹き、雲もそして天気も、空に浮かぶものたちは、その速度で移ろって行くのです。

 ということは、虹を映しだしている東の空の雨雲(雨粒)も、時速40kmで東へ東へと去って行ってしまうのです。こどもの私たちが、いくら必死に自転車のペダルを漕いでみても、すぐに引き離されてしまう速度です。しかも、太陽と雨雲(雨粒)とわたしたちの位置関係が、特定の幾何的関係でなければ虹を見ることはできませんから、雨雲が移動してしまうと虹も見えなくなってしまいます。つまり、東の空に浮かぶ虹には、その下にたどりつくことはもちろん、虹や虹のトンネルを見続けることすら難しかっただろう、ということに気づくのです。

 けれど、不思議なことに、こんなことを知ってからの方が、さらに虹に向かって自転車を走らせてみたい、と思うようになりました。いつか夕立が止んだあとの東の空に虹が浮かんでいるのを見つけたら、その虹のトンネル出口に向かって、(FUNKY MONKEY BABYSの「そのまんま東へ 」でも聴きながら)東へ東へとペダルを漕いでみたいと思います。「虹のトンネル」を時速40kmで追いかけてみたいのです。

2010-11-12[n年前へ]

本家A-bikeも8インチタイヤ採用(電動版も発表) 

 元祖 A-bike から"A-bike City"が発売されました(重量6.5kg)。この三代目のA-bikeは、8インチ空気タイヤを採用しています。6インチ版の"A-bike plus"は製造中止となって、8インチタイヤを採用した"A-bike City"へと全面的に移行(商品切り替え)していくようです。ちなみに、お値段は299ポンドですから、およそ4万円ほどになります。(Yahoo!オークションでも出品されているようですね)

 以前買った8インチ空気タイヤ版A-bike風自転車が、純正品A-bikeよりも(安さを実現しつつ)さまざまな部分で改善がされていて、遥かに"良い移動道具"になっていると感じていました。A-bikeが継続して商品を製造・販売していこうとするならば、8インチタイヤを採用するというのは当然の選択に思えます。

 また、電動A-bike(AE-bike)も発表さています。この電動A-bike、AE-bikeも8インチタイヤのようで、重量は6.3kgと記載されています(!?)。ちなみに、こちらのお値段は399ポンドですから5万4千円程度です。

 電動のAE-bikeも面白そうですが、すぐに発売されるかどうかはあやしそうな気がします。まずは、8インチタイヤに切り替えた本家A-bikeに触り、そして、少し乗ってみたいものです。

2010-11-19[n年前へ]

GIANT Escape R3にセンタースタンドを取り付ける 

 毎日使う自転車にスタンドが付いていないと・・・ちょっと不便、というわけで、センタースタンド Tranz X(JD CD-109A)を買い、GIANT Escape R3に取り付けました。千円ちょっとでセンタースタンドを買い、100円ショップで買った振動吸収ゴムパッドをスタンドに貼付けた上で、フロントディレーラーのワイヤーと干渉しないように、中央少し後ろにギシギシと固定してみました。

 その取り付け過程の写真を、メモ代わりに貼付けておきます。

GIANT Escape R3にセンタースタンドを取り付けるGIANT Escape R3にセンタースタンドを取り付けるGIANT Escape R3にセンタースタンドを取り付けるGIANT Escape R3にセンタースタンドを取り付けるGIANT Escape R3にセンタースタンドを取り付ける






2011-04-23[n年前へ]

「黒体放射」する「自転車に乗る女子高生のお尻」 

 高校生の頃、女子高生の「制服」に心の底から憧れていました。通っていた学校は共学だったのですが、自由気ままな服を着ることができる私服の学校だったこともあり、「人(ヒト)は自分が持たないものに憧れ・好きになる」という世界の原理原則にもとづいて、それが「ブレザー」でも「セーラー服」でも「それが制服でありさえすれば、素晴らしい」という制服マンセーな太く固い背骨を得て、さらに「制服という型を守り抜く心」にこだわる精神構造を得るまでに至ったわけです。

 たとえば、建築で言えば、鉄骨建築が理系で、プレハブ住宅が文系なのである。プレハブ住宅を支えるのが壁であるように、皮膚の感覚を大事にするのが文系で、力強くそそり立つ鉄筋コンクリートのごとく、骨から組み立てていくのが理系なのである。つまり理系は骨があるのである。詩で言えば、散文詩は文系で定型詩が理系なのである。つまり、理系は型を守り抜く心を持つのである。
 だから、たとえば、理系は女子高生の制服が大好きなのである。ありとあゆる個性を持つ女子高生たちをセーラー服(あるいはブレザー)という記号で記号・集合論的に取り扱うことを可能にし、ついにはその制服を見るだけで萌えることができる、それが理系なのである。

めがねっこ大好き。

 そんなわけで「女子高生の制服こそが世界の至宝の存在だ!」と信じていたわけですが、そんな風に思いつつも、ひとつだけ「これさえなければ…」と感じることがありました。その「女子高生の制服」のここさえなければ…と感じていた部分というのは、自転車通学をする女子高生は、例外なく、制服のお尻部分が実にグロッシーにテカっていたことでした。黒い色の制服が好きだったこともあって、その黒い制服に白く輝くテカリを持つことに違和感を持っていたのです。

 制服のは粗い繊維でできています。そんな制服に光があてられたとき80パーセント程度の光は繊維内部に入り・そして繊維の中で吸収され、やがて熱エネルギーに変わります。残りの20パーセント程度の光は、スカートの繊維表面で反射し四方八方に散っていきます。四方八方に散る…ということは、どこかひとつの方向に反射するわけではありません。つまり、スカートがテカって見えるということはないわけです。

 ところが、毎日自転車のペダルを漕いでいる女子高生たちの制服は、サドルとお尻で擂(す)り潰(つぶ)されて、繊維表面が真っ平らに変形していきます。表面が凸凹とした繊維からの反射光は強くありませんが(テカりませんが)、表面が平らに潰された繊維からの反射光は強く・そんな制服を育てた「女子高生のお尻」はテカり輝いてしまうのです。

 自転通学する女子高生たちは、見るからに輝いています。そして、そのお尻もまた輝いているのです。その黒い制服が輝くようすを、極めてわかりにくく表現するならば、それはエネルギーを反映して光り輝く黒体放射にも思えます。

 ところで、女子高生の制服(スカート)は、最初から光沢仕上げの繊維で作った方が良いのかもしれない、と妄想します。最初から光沢を持っている繊維ならば、表面がもとから平滑な繊維ならば、毎日自転車に乗っていてもお尻が黒体放射してしまうこともない…と思う一方で、全身テカリまくりの制服は絶対ダメだ〜とも考えたりするのです。ということは、「自転車に乗る女子高生のお尻」は未来永劫「黒体放射」し続ける…それはそれでいいのかも、しれません。

「黒体放射」する「自転車に乗る女子高生のお尻」「黒体放射」する「自転車に乗る女子高生のお尻」






2011-07-16[n年前へ]

「道具」と「”できる”という可能性」 

 まだ涼しい夏の朝早くに自転車に乗って、横浜を通り鎌倉を過ぎ、熱海に行きました。電車や車に乗って行くのが普通と思いこんでいた場所に、近くのコンビニに行くのと同じように、自転車に乗って辿り着くことが”できる”というのは、とてもワクワク・気持ち良くします。

 真鶴から岸壁の下の海を見下ろしながら、熱海から伊豆半島を眺めながら、「このワクワクする感じは、何か知っているものと似ているような気がする」「それは一体何だったろう?」とずっと考えていました。

 「そうだ!”できる”ということにワクワクしているんだ」「”できる”という可能性・”できた”という結果にワクワクしているんだ!」と、熱海ビールを飲み・熱海で温泉に浸かりながら思いつきました。もしも、アルキメデスだったとしたら、「ユーレカ!(わかったぞ!)」と叫び・全裸で熱海の海に走り出したかもしれません。もちろん、その場合には、熱海駅前にある静岡県警の交番に連行されること間違いなしです。

 コンピュータを買って、プログラミングをした時もそんなワクワクを感じました。SF小説やジュブナイル小説の中で読んだ未来の可能性を「自分で実現”できる”」という衝撃的なワクワクは今でも覚えています。そんな新鮮な楽しさは、ずっと変わらず続いているような気がします。

 もっと軽い自転車を買ったり・部品を交換したくなります。そうすれば、もっと遠くへ・いつでも行けるような気がします。…そんなことを太平洋の海と波を眺めつつ考えていると、「あっ、これもPC買いたい病と同じだ!」と気づきました。それは、新しいパソコンを買うと、何か新しいことが”できる”ような気がして、巨大な物欲のビッグウェーブが襲ってくるという病気です。あるいは、新しい楽器を買えば、今はできない演奏を(いつの間にか)することができるようになる、と思いこむ病気です。

 「いかん、いかん…」「道具に頼るより、まずは自分の力をつけなくちゃいけないな」と消費の欲望を振り払いながら、ふとこんなことも考えます。新しいモノを買い、そのワクワク感が、何か新しい”思いつき”や”可能性”を産むこともあるのではないか、と想像します。道具は何かを達成するための道具に過ぎない…けれど、その道具が私たちの衝動や欲望を突き動かし、新たな可能性へと誘(いざな)っていたりいたりもするのではないか、と思います。

 道具は道具に過ぎないと同時に、道具こそが欲望という魔術を操りヒトを猿から人間へと変え・未来への変化を続けさせている黒幕なのかもしれません。

「道具」と「”できる”という可能性」








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