hirax.net::Keywords::「色覚」のブログ



2009-05-01[n年前へ]

Vision simulations 

 色や視覚にまつわるColor Vision toolColorRotateといったツールがとても興味深いVision simulations。一見の価値あり、です。

Not everyone sees the world as you do
みんながあなたと同じ世界を見ているわけじゃない

ColorVisionColorVision






2009-11-26[n年前へ]

NEWS今昔物語「男と女と世界が動く」編 (初出2004年09月30日) 

5年前のNEWS(未来)を振り返ってみて思うこと

 今年の(検索エンジンから本サイトへ辿りついた際に用いられた)検索ワード・トップ3を今眺めてみると、「スクール水着」「直江喜一」「モザイク」だ。「スクール水着」は、ここ十年近く不動の一位である。ちなみに、4位は「スク水」だ…。

 SPAMの世界も色々変わっていそうだが、最近はGmailのSPAM判定にすべてをまかせてしまっている。多分、きちんとしたメールなのにSPAMメールだと誤判定されてしまっているメールもあるだろうが、SPAMフォルダをチェックするのも面倒で、多分読んでいない連絡メールなどもあるに違いない。

(記事を書いた時の)ひとこと

 私のサイトは「水着 赤外線 透ける」で検索したりすると何故か上位に来てしまう。そのせいで、今年の夏はそんなキーワードを携えて検索エンジン経由で私のサイトに訪れる人々が多かった。困ったものだ。

「透けない?ごみ袋」と「透けない?水着」

 最近は、中身を確認することができる指定の半透明ゴミ袋でなければ使ってはいけない自治体が多くなった。それに伴って、中身が透けたゴミ袋がカラスに突き破かれ問題になっているという。そこで、先日15日、大倉工業が「黄色いゴミ袋」を開発した。今回開発された「ゴミ袋」は、人間には普通に中身が透けてみるためゴミ分別状況を確認できるが、カラスの色覚では袋の中身が見えないため、カラスに荒らされることが少ないという。

 今夏にはデサントが赤外線カメラの水着透過撮影による盗撮防止の素材を開発したというニュースが流れた。 従来の水着が「(人間には見えない)赤外線では透けて見えてしまっていた」ものを、(赤外線でも)透けないようにしたものだ。「ゴミ分別問題」と「盗撮問題」という全く別の問題に対する解決策が少し似ているのが、何だか面白い。

「男と女」のプログラミング・スタイルと100m走記録

  以前、視覚・感性・プログラミング・スタイルで眺めた「男と女のニュース」を書いたが、先月は「男と女の性的行動の違い」をプログラミングの例外処理で例えた「性的(≠静的)型付け言語(例外処理編)」という面白い解説が公開された。プログラマなら、男性でも女性もきっと楽しめると思う。

 ところで、「オリンピックの100m走の記録解析によれば西暦2056年には女性の記録(8秒079)が男性記録(8秒098)を越える」というビックリ研究結果Natureの先月30日号に掲載された。100mを8秒08で走る女性アスリートが出現する時代には、「男と女の違い」はどんなものになっているのだろうか?

フォント解析で政治が動く

 以前、「米国防省のイラクに関する文書から「検閲により消されてしまった文字」が、技術的に復元された」という記事を書いた。フォント解析が機密文書の秘密を暴露した、という話だ。

 今度は、米国大統領選の行方をまたもやフォント解析が握っているという。先月、ブッシュ大統領の徴兵回避工作の証拠としてCBSで公開された文書('70年台にIBMのタイプライターで作成されたものだという)が、フォント解析の結果によると、Microsoft WordでTimes New Romanというフォントで用いて作成されたものだ(日本語による記事)という。つまり、ブッシュ大統領に対するその疑惑文書は真っ赤なニセモノだったというわけだ。昔の文書は、電子文書化されていないが故に偽造が難しい…のである。

SPAMメールの震源地

 インターネット上でメールアドレスを公開していると、SPAM(迷惑)メールやウィルス・メールの大津波に日々襲われてしまう。そんな迷惑なメール津波の発信源を刻々描く世界地図がSPAM対策サービス会社のPostiniにより作成されている。

 その迷惑メール世界地図(Mapsタブから見ることができる)を見れば、中国・日本・韓国をはじめとする大震源地を知ることができる。知ってもどうにもならないかもしれない…けれど。

2010-06-08[n年前へ]

解析解の方が、因果関係に直結していて役に立つ!? 

 今年が始まる頃、「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」という言葉から始まる年賀状に対して、書いた返事から(関連記事も参照のこと)。

 何か問題を解くときに、「特殊解だけが必要な場合でも、汎用解を解く方が簡単」ということがあることもあると思います。シミュレーション計算の結果より、解析解の方が、因果関係に直結していて役に立つ、みたいな感じです。
 この後に連ねた言葉は、「東工大の内川研・山形大の山内研のどちらを選ぶにせよ、標準色覚にこだわらない、汎用的・一般的な感度関数からスタートした色覚・色彩学問を一度眺めてみたいように思います」

2011-12-13[n年前へ]

続「ゴッホの本当のすごさを知った日」の「最も間違っている部分」 

 一月と少し前、『「ゴッホの本当のすごさを知った日」の「最も間違っている部分」』という雑文を書きました。 それは、「asada's memorandum (ゴッホの本当のすごさを知った日)」という記事に対し、「間違っている点」と「興味深い歴史的な情報」を書いてみたものです。

 「ゴッホの本当のすごさを知った日」に書かれている内容は、要約すると、およそ次のようになります。

  • ①ゴッホは色覚が異常だったのではないかと言われているそうだ。
  • ②P型色覚と「普通の」色覚の中間的なものを”疑似体験”させるような色変換をゴッホのRGB画像に掛けてみた。
  • ③色変換された画像は”自然で素晴らしく見えた”から、ゴッホはP型かD型の色覚特性を持っていたのだろう。
こういった論旨の、②(③も関連します)に関して、前回記事でこんなことを書きました。
 色覚”疑似体験”ツールというのは、原理上、ある色が「どの色」に変換されるかということには、あまり意味がありません。あくまで、どういった色群が「見分けにくい色」となってしまうかを疑似体験するものに過ぎません。それらの「見分けにくい色」を、実際のところ「どういう色」として感じているかまでを追体験できるものではないのです。ましてや、その色覚”疑似体験”ツールにより変換出力された色調をもって、絵画の色表現や階調表現を論じる・感じることができるようなものではありません。ここにある「使い方への間違い」は、「さまざまな”光”を、各個人が自分の中でどういう”色(存在)”として位置づけるか」ということを整理しないままに作業を行ってしまったのではないか、と思います。
この『さまざまな”光”を、各個人が自分の中でどういう”色(存在)”として位置づけるか、ということを考える』という点について、今回はもう少し詳しく書いてみることにします。

 下の図は、人が景色を眺め・その景色を描こうとする際に、人がどのように色を感じ・色を描くかを(簡易的に)示したものです。「目の前の景色から発せられた(さまざまな波長毎に異なる強さを持つ)光」は、眼の中にたくさん存在する(色を感じる)3種の錐体に刺激を与え、そして3種の(しかしたくさん存在する)錐体からの刺激は複合的に組み合わさった上で「明暗チャンネル」「緑ー赤チャンネル」「黄ー青チャンネル」の3つとなって、脳の中へと送り込まれた上で、大脳中枢でその情報が処理されていきます。その(眼から脳までの)人体内の色処理の繋がりを限りなく大雑把に示したものが、下図の右に描いた「処理システム」です。

 ここで注目すべきことは、眼の中にあるたくさんの錐体に辿り着いた「光」は、それが「さまざまな波長毎に異なる強さを持っている=多くの情報を持っている」にも関わらず、わずか3つの色情報へと変換されてしまう、ということです。それはつまり、本来は違うスペクトル(各波長に対する光強度)を持つ「光」を、人は同じ「色」として認識してしまう、ということです。 だから、たとえば、左下に貼り付けたようスペクトルを持つ光と、右下に貼り付けたような光を(多くの)人が眺めたならば、それら2つの光が「違う光波長分布」の「大きく異なる光」であるにも関わらず、それらを同じような・区別することができない「色」として感じてしまいます。

 

 あるいは、こうした「処理システム」、つまり私たちの頭の中での色は「明暗チャンネル」「(”緑っぽいか赤っぽいか”を示す)緑ー赤チャンネル」「(”黄っぽいか青っぽいか”を示す)黄ー青チャンネル」というった3チャンネルのみで処理されるがゆえに、私たちが「赤色と緑色」あるいは「黄色と青色」といった「補色」を同時に感じることができないという現象が生じることも自然と理解できる、というわけです。

 この(眼の中にある)錐体の光波長感度分布などは、人それぞれの個性・違いがあります。だから、「どのような光を同じ色と感じてしまうか」は異なります。あるいは、さまざまな異なる光を「どのような(どのように)違う色」として見分けるか、ということも異なります。

 そういった違いから生じる「(他の人の)違う色として区別しにくさ」を(ほんの少しだけ)理解することを目的として作られている道具の一つが、色覚”疑似体験”ツールです。それらのツールが行う処理がどのようなものかというと、(疑似体験したい錐体光波長感度分布下で)任意の光がどのような「明暗チャンネル」「緑ー赤チャンネル」「黄ー青チャンネル」を生じさせるかを計算し、その計算結果と同じ3刺激を与えるような光を表示させることで、(疑似体験したい錐体光波長分布などを持つ他の人にとっての)「違う色として区別しにくさ」を理解しようとするものです。

 …ただし、それらのツールにより変換出力された結果(色調など)は、「絵画の色表現や階調表現を論じる・感じる」ことができるようなものではありません。(ちなみに、RGB値から計算を行うような簡易ツールの場合、そのツールが行う処理は一種の単なる色域圧縮のようなものになります)

 たとえば、人が景色を眺め・その景色を絵の具を使って描こうとする時、その景色を見て感じる色も・その景色を描くために選ぶ絵の具も、選ばれた絵の具で描かれた絵も、すべて「それぞれ個人ごとに大なり小なりに異なる(人それぞれの)色処理」がかかります。だから、もしも色を忠実に再現しようとする画家=見た景色と同じ”色”に感じる絵の具をただ選び出すような画家が”もしも・仮に・百歩譲って”いたとしたならば、描かれた絵が派手であれば・その画家は景色をも派手に感じていたことになる…というわけです。

 そして、この「派手」とか(あるいはその逆の)「自然で滑らか」とかそういった感覚を育み・作り出すもの=毎日眺める景色・生活のすべてにも、そんな「処理」が掛けられているわけです。つまり…色変換処理を掛けた画像から、”自然”とか”良い”といったことを考えることができるほどには、単純な話ではないのです。画家本人の「色としての感じ方」を考えるのであれば、景色や絵具やキャンバス上の絵といったすべてに処理を掛け・考えなければいけないし、絵を見る側の「色としての感じ方」を想像しようとするならば、絵だけでなく・普段眺めるものすべてに変換処理を掛けた上で、想像しなければならないわけです。

 そういったことを考えながら、「ゴッホの本当のすごさを知った日」という記事を読んでいくと、あの記事が「さまざまな”光”を、各個人が自分の中でどういう”色(存在)”として位置づけるか」ということを考えないまま、思いを巡らせないまま、そして、整理しないままに書かれたのだろう、と感じてしまうのです。

続「ゴッホの本当のすごさを知った日」の「最も間違っている部分」続「ゴッホの本当のすごさを知った日」の「最も間違っている部分」続「ゴッホの本当のすごさを知った日」の「最も間違っている部分」






2014-02-04[n年前へ]

「人の視覚」と「生物の進化」 

 古代、光の4波長帯を識別する目があったのに、哺乳類が夜行性として生きてきたがゆえに(いつの間にか)緑と青の視覚を無くし、けれどヒトは、赤センサの一部が緑に変異したことで、赤と緑を識別することができるようになった…(それは森の中で赤い果樹を見分けられるから?)という話とか。…こういった話を読んで、ようやく人類の色覚の個体差について、少し納得することができたような気がする。



■Powered by yagm.net