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2011-01-30[n年前へ]

「師匠、人を笑わせて、何になるんですか?」 

 「明石家さんま」から。

「師匠(笑福亭松之助)、人を笑わせて何になるんですか」「なんで、(何も答えてくれへんで)笑ってはるんですか」
「わしも若いころ、同じことを、わしの師匠に訊いたことがあるからや」
 明石家さんまは「(笑福亭松之助が、笑った後に答えた言葉を)忘れた」とはぐらかしていた。その後、その言葉を明かした。
「悲しいことがあったり元気がなくなったりしている人が、落語とか聴いて、ちょっとでも気持ちが楽になったら、それでええ」

2011-11-23[n年前へ]

「現実は正解・事実」で「現実に向かえない奴を馬鹿」という。 

 立川談志の「ことば」から。

現実は正解なんだ。…現実は事実だ。現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因がある。現状を認識して把握したら、処理すりゃいい。その行動を起こせない奴を、俺の基準で馬鹿という。

立川談志
酒が人間を駄目にするんじゃない。「人間はもともと駄目だ」ということを教えてくれるものだ。

立川談志

2011-12-04[n年前へ]

「高座という名前のナゾ」と「上を見上げる姿勢が持つ力」 

 林家たい平師匠になぜ「高座」と呼ぶのでしょうか?と尋ねてみました。「高座」に座布団をひき正座して、噺家は落語を話します。あの場所をなぜ「高座」と呼ぶのだろうか?ということを尋ねてみたのです。

 すると、たとえば、高座説法という言葉もあるように、元々はお坊さんなどが「高いところから説法をしていた」ところから始まっているんです、と教わりました。お坊さんが、高い場所から、面白くありがたい「はなし」をしていたところから、「高座」で噺をすることが始まった、と聞きました。

 それと同時に、けれど、上方(関西)では、つまり上方落語は、路地などに座り・(自分の前に)机などを置き、大道芸やバナナの叩き売りのごとく、音などを出して人を集めながら、面白話をすることから生まれたんです、とも聞きました。上方落語で使われる、見台(小さな机)や小拍子(拍子木)などはその名残だ、教えてもらいました。

 さらに、だから「客席は平らで、その前に高座がある」「客席から、客は上を見上げつつ”噺家のおはなしを聞く”のが、本来の(関東の)寄席なんです」と聞きました。そして「最近は、客席がせりあがっていて、お客が下にいる噺家を見下ろしながら落語を聞く寄席もあるけれど、あぁいった寄席は苦手です」「だって、そうでしょう?上を向いたら、自然に喉が開き、笑い声も自然に出るでしょう?けれど、下を向いていたなら、喉も閉じてしまうし、自然に笑うのは難しいでしょう?」と言われます。

 そうか、「”上を見上げる”という姿勢をとるだけで自然に笑い声も出しやすくなる」ということもあるのか、そして、その逆のこともあるのか、と何か少し考えます。毎日の生活をする中でも、下を向いて歩くよりも・上を向いて歩くのは、もしかしたら良いものなのかもしれない、それが単にカタチだけのポーズだとしても、その”姿勢”が何か笑いや楽しさを自然に感じさせることもあるのかもしれない、と感じます。

 ”高いところに座る”と書いて高座と読む理由謎を林家たい平師匠に聞き、さらに「上を見上げる」姿勢が持つ効果を教えられたのでした。

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