2000-03-29[n年前へ]
■明日、春が来たら
風の中の瞳
昨日、海辺を歩いた。車は海沿いの堤防の上に停めた。堤防の上に留めた車の揺れが止まらない程、強い風が吹いていた。もう三月も終わりなので、春一番というわけではないだろう。それでも、もう春なのだなぁ、と強く感じさせる。
ところで、この海辺からは富士山がよく見える。富士山レーダーもよく見える。この海辺ももちろん見通しは良いのだが、「見通せる範囲」を言うなら、富士山レーダーの方がずっと広い。遠くを見通すのがレーダーの使命なのだから、当たり前の話だ。そして、富士山の山頂から、遙か遠くまで見通し続けたのが、富士山レーダーである。
今日、NHKの「挑戦者たち」でその建設をした人達が紹介されていた。富士山レーダーを作る指揮をし、情熱を傾けていたのが当時、気象庁観測部補佐官だった藤原寛人、すなわち、新田次郎であるとは知らなかった。新田次郎が富士山の山頂に行きたいから気象庁に入ったというのは、知っていたが、富士山レーダー建設の指揮をしていたとは知らなかった。とても面白く、そして何故か納得する話だ。
息子の藤原正彦もそうだが、新田次郎の書く文章には「冷静に見通す力」と「情熱」が同居している。時々、新技術を考えていると、彼らのような、未来すなわち明日を「見通す力」と「それを手に入れる情熱」が欲しい、とつくづく思う。
2000-09-29[n年前へ]
■Remorsus
或るMail
藤原正彦の「数学者の言葉では」を本棚から引っ張り出して読んでいる。読み直したかったのは冒頭の「学問を志す人へ--- ハナへの手紙」だ。
この中で藤原正彦は学問(きっとそれは他のものでも同じことだろう)を志す人に対して、情操生活を犠牲にしているという事実を確認し、額に刻印をほどこした上で、学問に打ち込んで欲しい、と語る。そして、それがかけがえなく大切なものを犠牲にして進む人間のぎりぎりの免罪符であって、その免罪符はいつか必ず返すべきものだ、と語る。
そして、「自分を欺かなければ学問を続けられないなら学問なんか止める」というハナに対して何故か感情的になってしまった過去を振り返りながら、
ハナからの手紙を手にする度に、私自身の中にある「どうにか眠らせている痛み」を、覚醒してしまいそうな気がした。そんな時にはまず狼狽し、ついで危険を感じ、自衛手段としてハナの態度に憤慨したりした。と書いている。
この文章をどうしても読み直したかったのには理由がある。私も同じように感情的になってしまったからだ。藤原正彦のような学問のことではないけれど、やはり私にとっては同じような理由で狼狽してしまった。そして、少なくとも冷静に考えてみれば、ひどく間違っているMailを出した。そうはいっても、後悔してももう遅い。もう少しの間、この場所であの免罪符を信じてみることにしよう。
2002-06-11[n年前へ]
■危険な曲がり角
藤原正彦の「学問を志す人へ - ハナの手紙 -」は藤原正彦がコロラド大学で教えていた生徒の一人に対して書いた文章。ハナは色んな悩みを抱えて、大学を退学してしまった学生だ。
で、この文章の中に出てくる有名な一節が「学問を志す人の性格条件」というもので、「知的好奇心が強いこと」「野心的であること」「執拗であること」「楽観的であること」という四つの条件である。他にも、「体力があること」というのも必要な気がするけれど、きっと、これらの条件は学問に限らないと思う。
ところで、藤原正彦の文章では、「二年を経て数学の世界に戻りたい」とハナからの手紙が届くところで終わっている。そういえば、とこの条件を話したときには、この話がハナという女性に対して書かれていたことは忘れてましたが、もしかしたら頭のどこかで覚えていたのかもしれませんね。
2004-04-04[n年前へ]
■○×を志す人の性格条件/プログラミングと体力
数学者でもあり、多くのエッセイも書く藤原正彦の「数学者の言葉では 」の中の「学問を志す人へ」の中には学問で一人前になるための必要条件として、次の四つが挙げられている。
1. 知的好奇心が強いこのうちの3番目の「執拗である」ためには、「体力・精神力ともに強くなければ、長い作業の中で消耗してしまい頂(いただき)に辿り着くことはできない」から、「執拗である」ためにはそれを支える「体力と精神力があること」が必要だという。そんなことをふと連想させる「プログラミングと体力(2004/03/26 00:02:25)」
2. 野心的である
3. 執拗である
4. 楽観的である
多くの宗教で、悟りを開くための修行は数限りない肉体鍛錬に満ちている。なるほど、それも納得か。とはいえ、よくありがちな肉体鍛錬にはもれなく精神鍛錬もついてきて、「赤フンドシで浜辺を走る」「ランニングをするのに何故か袴に竹刀を持つ」というようなコスプレ・プレイもついてきてしまったりもするのが個人的には難アリだ。
2004-12-09[n年前へ]
■頭と性格と体力
寺田寅彦の「科学者とあたま」を読むと、やはり藤原正彦を思い出す。危険な曲がり角や○×を志す人の性格条件/プログラミングと体力というような話だが、このエッセイを読んだことがない人は一読してみるのも面白いかも。知らない人は少ないと思うが念のために書くと、数学者である藤原正彦は父が「銀嶺の人」を書いた新田次郎であり(気象庁勤務時代に富士山レーダー建設に携わり、プロジェクトX 第一回の主人公にもなっている)、母が「流れる星は生きている」を書いた藤原ていである。