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2008-05-19[n年前へ]

ビデオ業界でのバストサイズの計り方 

 バストの測り方の「定義」と「実態」で書いたように、青山まりの「ブラの本。」には

(まっすぐ立って計ると、実際より小さな値になってしまうので)90度の角度で、お辞儀をするスタイルでトップバストを計る
というようなことが書いてある。

 技術的な文章に登場するような、トップバスト=「直立した女性の胸部を、水平に輪切りしたような状態で、巻尺(メジャー)で計った周囲長」というように定義する計り方もあれば、最近の女性の間ではより一般的に用いられている「90度の角度でお辞儀をするようにして計る」という計り方もある。いくつもの「見方(視点)」があるように、「計り方」もいくつも、ある。

 そしてこの他にも、つまり、「最近の女性の間では一般的な計り方」とは違う計り方もさらにあるという。それは、(アダルト)ビデオ業界でのバストサイズの計り方だ。

 (アダルト)ビデオ業界で、どのようにトップバストを計るのが一般的かというと、

(右の図のように)「(手をついた)うつ伏せ」の状態になって計るのが普通だ
……という。この話を聞いたときに考えたことは、そんな計り方をするのは、(特に計測対象が大きな人が多い業界で)「90度の角度で、お辞儀をするスタイル」は腰に悪いからではないか、という想像である。5kg近い負荷を上半身にかけ、90度のお辞儀姿勢は大変そうだから、「(手をついた)うつ伏せ」でトップバストを計るのが一般的になったのではないか、という妄想である。

 本当のところ、その理由がどんなものなのかはわからない。それどころか、「本当の理由」があるのかどうかもわからない。しかし、たくさんの「計り方=見方」があって、そのそれぞれの計り方・見方には各々理由があるのだろう、と思う。そんなことを考えたきっかけは、「トップバストの計り方」なのだけれども、そう思う。

ビデオ業界でのバストサイズの計り方






2008-05-29[n年前へ]

「言葉を解釈する文章」と「眼で見る文章」 

 南伸坊の「ごはんつぶがついてます」中で宮武外骨に関して書いた文章を読み、「あぁ、そういうことなんだよなぁ」と感じた。

 一般に「頭がいい」とされる人は、説明のできる人であって、つまり言葉でわかっている人、耳の人のことです。
 ここで言っている「耳の人」というのは、「音を聞く器官としての耳」というよりは、「言葉を解釈する器官としての耳」というような意味合いだ。本当に素の文字の羅列としての言葉だけを受け取る器官というニュアンスである。
 南伸坊はこんな感じ方に対する説明を書く一方で、それとことなる「解る」をも並べ書く。
 論理をつみあげていって、何かを解(わか)るというのではなく、何かをじっと見ていたり、何かをそこらに並べて、一望していることで、解ることというのがあります。
 南伸坊は、「こういった感じ方をする人々は耳の人ではなく眼の人だ」と名付ける。
 さて、眼の人である宮武外骨は、文章も眼で書いています。……つまり書かれている「内容」ではなくて、書かれ方が「内容」であるというような意味合いにおいて、これは眼の文章なのです。
 「ごはんつぶがついてます」 p.192
 南伸坊が言う「眼の文章」というのは、レイアウト・タイポグラフィー・イラストレーション……といったものがすべて組み合わさった総合体を指している。
 さまざまなWEBページを眺めるとき、ページごとにスタイルも違っていて読みづらさを感じる時がある。もしかしたら、そう感じる時は「耳の人」寄りな頭になっているのかもしれない。そして、スタイルシートでデザインされたページを眺めていて、何だか色々なものの組み合わせが合わさった気持ちよさを感じ、何かを読み取ったつもりになりそうなときは、きっと、「眼の人」よりになっているに違いない。
 そんな、「言葉を解釈する文章(あるいは読み方)」と「眼で見る文章(あるいは見方)」があって、それはそれぞれ得意・不得意な分野があるのだろうと思う。
 論理を積み重ねるようなものが得意な方、曖昧模糊としたものを明瞭に浮かび上がらせることが得意な方、その両方の感覚を兼ね備えられれば良いのかもしれないが、現実それは無理な話だろう。せいぜい、その時の自分の読み方が「耳の人」寄りなのか「眼の人」寄りなのかを意識しておくことくらいしか、できないのかもしれない。

2009-05-01[n年前へ]

Vision simulations 

 色や視覚にまつわるColor Vision toolColorRotateといったツールがとても興味深いVision simulations。一見の価値あり、です。

Not everyone sees the world as you do
みんながあなたと同じ世界を見ているわけじゃない

ColorVisionColorVision






2010-03-27[n年前へ]

「減点法」と「加点法」の「見方」 

 十二の星座、それぞれの男女、全部で二十四人を主人公にした二十四の物語 角田光代・鏡リュウジの「12星座の恋物語 」から。自分の星座や性別や、あるいは、誰かの星座や性別から始まる、角田光代が綴る「物語」を読んでみれば、その言葉に、少し惹かれるかもしれません。

 私をふった恋人は減点法で人を見て、店長はその反対、どんどん点数をプラスしていくつきあい方をするんだろう。
 私は善人ではないし、たぶん女性としての魅力もそんなにないんだろうと思う。けれど、私をふった彼氏が知らなかったことを店長は知っている。彼氏が見てくれなかったところを見てくれる。自分がすばらしい人間とはゆめゆめ思わないけれど、でも、そんなに捨てたもんでもないはずだと、ようやく私は思うことができる。
 おばあちゃんになったっていいや。私のだめなところも、弱いところも、全部受け入れてくれる夏の陽射しみたいな人と出会えるならば。時間の経過とともに、そういうの全部、ひとつひとつプラスに換算してくれる人といっしょにいられるならば。



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