2008-09-16[n年前へ]
■雑誌の「読者数vs.購買力」を眺めてみると!?
「雑誌DE流行マップ」で、雑誌の「読者数vs.読者の購買力」を眺めてみたのが、右のグラフです。読者数が多い雑誌ほど読者の購買力が急激に少なくなる、というよくあるタイプの分布図になります。
この分布図は「読者数が多い雑誌ほど読者の購買力が急激に少なくなる」というよりは、読者数が少ない雑誌は読者の購買力がとても高い、という方が正確かもしれません。読者数が多ければ読者の購買力が低くても雑誌は存続できるでしょうが、読者数が少ない雑誌は、読者の購買力が高くないと雑誌を刊行し続けることはできないでしょうからです。
たとえば、CanCamは圧倒的な読者数を誇りますが、その一方で、(独自の実にテキトーな特徴量算出アルゴリズムでは)読者の購買力は低いのです。JJ, PINKY,RAY,Vivi,CanCam といった「お姉系、赤文字系、女子大生系」の雑誌だけを表示して、それらの雑誌それぞれのポジショニングを眺めてみるのも面白いと思います。
2008-09-19[n年前へ]
■[読者年齢 vs. 購買額]と「着回し」
「雑誌DE流行マップ」を始めたわけですが、この雑誌DE流行マップを作った動機は、「見えにくいけれど実は当たり前のように存在していることを見えるようにしたい・・・そしてそれをどう思うかということを考えてみたい」という気持ちが一番大きいように思います。
たとえば、[読者年齢 vs. 購買額]散布図を使うとこんなことが見えてきます。まず、トップページで[読者年齢 vs. 購買額]散布図を眺めてみたのが右上の図です。大雑把には読者年齢が上昇するにしたがって、購買額が増える・・・という傾向になります。そこにはもちろん、大きなバラツキがあります。
そこで、バックナンバー検索ページから「着回し」を検索した結果が着回し(右図)になります(検索回数が多いキーワードは自動的にタグとして登録されます)。その「着回し」を含む雑誌の[読者年齢 vs. 購買額]を散布図にしたものが次の右の図になります。
「着回し」という言葉を含む雑誌が、右下の方に分布していることが一目でわかると思います。この図を一言で言い表せば、「着回し」を気にする読者はファッション購買額が全体平均より低い・・・という風になるように思えます。逆に家は、ファッション購買額が全体平均より高い読者層の雑誌には、「着回し」の記事など載っていないのです。
たとえば、これが「見えにくいけれど実は当たり前のように存在していることを見えるようにしたい・・・そしてそれをどう思うかということを考えてみたい」ということの示す題材の一つだと思います。
「」という3文字のキーワードから、ライフスタイルの違いが見えてきます。そういった見えにくいけれど実は当たり前のように存在していることを見えるようにしたい・・・そしてそれをどう思うかということを考えてみたい、というのが何よりも「雑誌DE流行マップ」を作った動機です。
2008-09-20[n年前へ]
■「着回し」の波は季節の変わり目にやってくる!?
「雑誌DE流行マップ」の着回しタグページを眺めると、右図のようなチャートが画面右部に表示されています。これは、最近1年間に「着回し」がどのくらい話題になっているかを示しています。このチャートを眺めてみれば、3ヶ月くらいの周期の波を見て取ることができます。つまり、季節が変わったくらいの時期に「着回し」が行われていることがわかります。
3,6,9月といった初春・初夏・初秋の時期に、ファッション雑誌と手持ちの服を両手に持って「持っている服をどう着回そうか・・・」と考えている読者の姿が見えてくるような気がします。そんなことを心に思い浮かべてみると、何だか少し面白いな、と思うのです。
2010-03-10[n年前へ]
■『脳の本』はどんな人が読んでいるのか?
脳科学に関する本がたくさん出版されている。そんなたくさんの本のことを考えてみよう、という本が出た。それが、森 健「脳にいい本だけを読みなさい!― 「脳の本」数千冊の結論 (Kobunsha Business) 」だ。
「そもそも、なぜこんなに多くの『脳の本』が出ているのか」
「これら『脳の本』はどのような中身なのか」
「これら『脳の本』はどんな人が書いているのか」
以前、ある記事群を書いていたとき、担当編集者に何度も何度も同じことを、「読者はどういう人たちなのでしょうか?」ということを、繰り返し尋ねた。繰り返し私が同じ疑問を尋ねたその人から、森健さんが「脳科学に関する本」をまとめた本を書いている、という話を聞いた。
実際に会ったことがある人の本は、なぜか、ネット注文する気分になれない。だから、時間をかけて本屋に行って、その本を手にとって買うことにしている。
森健さんには、確か池袋の喫茶店で会ったことがある。だから、この本は何軒もの本屋を訪ね歩き、そして買って読んだ。気付いてみれば、普通に目立つところに平積みにされていたのだけれど、「脳」という言葉から連想する棚、「○×しなさい」という言葉から連想する本棚、茂木健一郎と勝間和代の本がズラリと並ぶ棚の中から一冊の本探しをするという作業は、何だかアマゾンの奥地を彷徨(さまよ)っているような感じがして、とても疲れる作業に感じられた。
私は、「そもそも、なぜこんなに多くの『脳の本』が出ているのか」にはとても興味がある。なぜかというと、平積みにされている『脳の本』には、私自身はまったくと言ってよいほど興味がないからだ。平積みにされていない『脳の本』には興味があるのだが、不思議なほどに、平積みにされている『脳の本』には興味を惹かれない。
そして、当然のごとく、「これら『脳の本』はどのような中身なのか」ということにも、「これら『脳の本』はどんな人が書いているのか」ということにも興味がない。つまり、私は「脳にいい本だけを読みなさい!」というタイトルの本に対しては100%の良い読者ではない。むしろ、100%悪い読者である。けれど、だからこそ、「そもそも、なぜこんなに多くの『脳の本』が出ているのか」にはとても興味があるのだ。なぜなら、それこそが私の知らない・わからない世界だからだ。
さらに、森健さんが、上記3つの疑問から導くさらなる2つの疑問のうちの片方は、私も心底知りたいものだった。
「これら『脳の本』はどんな人が読んでいるのか」一番目の、「これら『脳の本』はどんな人が読んでいるのか」ということには、とても興味がある。それは、まさに私が知りたいことだ。私が知りたいのは、本の作者でも内容でもなく、その本を読む読者の姿、だ。
「これら『脳の本』の中身は科学的な内容が担保されたものか」
ただし、2番目の「これら『脳の本』の中身は科学的な内容が担保されたものか」という疑問は、私の興味外のことである。平積みにされている『脳の本』自体に、興味がなく、その内容についても興味がないから、である。しかし、だからこそ、そうは思わないたくさんの読者のことは知りたいと思う。そういうわけで、「これら『脳の本』はどんな人が読んでいるのか」ということの手掛かりを得たい・知りたいと思いつつ、この本を読んだ。
…この本を読んだ限りでは、「これら『脳の本』はどんな人が読んでいるのか」ということについては私にはよくわからなかった。私には、その疑問への答えは読み取れなかった。しかし、他の人には読み取れるかもしれない。だから、その疑問の答えがわかる・感じる人がいたならば、ほんのカケラでもいいから、そのヒントを教えて欲しいと思う。
この本に書かれているのは、「これら『脳の本』はどのような中身なのか」「これら『脳の本』はどんな人が書いているのか」という2点に尽きる。つまり、全部で5つの質問のうちの2つである。5つの疑問のうちの最後の疑問、「これら『脳の本』の中身は科学的な内容が担保されたものか」という疑問の答えは書いてあるような、書いてないような、けれどそのとちらでも私にはどうでもよいことだ。これら『脳の本』に関する作者にも、内容にも、私の興味はないからだ。
森健さんが差し出した「残りの2つの疑問」、「そもそも、なぜこんなに多くの『脳の本』が出ているのか」「これら『脳の本』はどんな人が読んでいるのか」という疑問に対する、森健さんなりの言葉を読みたいと思う。
2012-02-24[n年前へ]
■「科学館デートをする2人」と「見抜く目を最高に持った人」
今日2月24日の「n年前へ」から。
「科学に詳しい男性と科学に疎い女性の科学館デート」はOKかもしれませんが、その逆のパターン「科学に詳しい女性と科学に疎い男性の科学館デート」は…絶対駄目そうな気がします」
私は、「過去」の長さと同じだけ先の「未来」が見えるものだと考えています。今この瞬間から「n年前の過去」を振り返り・眺めれば…今という時間の「n年先の未来」が見えると思っています。過去を振り返りつつ、未来へと進んでいく…そんな前へと進んでいく感覚は、「”前へ”」という言葉をどうしても使いたくなります。
わたしは、読む人の力をいつでも信じています。そうでなかったら一行も書けません。また、見抜く目を最高に持った人を想定読者にするのが、このメディアを続けていくための秘訣でもあります。