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2008-05-30[n年前へ]

RADWIMPS オーダーメイド 

きっと僕は尋ねられたんだろう。生まれる前、どこかの誰かに。
「未来と過去、どちらか一つを見れるようにしてあげるからさ。どっちがいい?」

「そういえば、最後にもう一つだけ。”涙”もオプションで付けようか?無くても全然支障はないけれど。面倒だからってつけない人もいるよ。どうする?」

2008-06-23[n年前へ]

列車の振動音・鼓動のような「リフレイン」 

 列車に乗っている時に聞く音のような、リフレインを持つ曲がある。たとえば、それは岡村孝子の「電車」だ。「電車」は、さならがらレールの繋ぎ目を台車が過ぎていく時に発する音のように、(サビ前の部分で)ギターがアルペジオを淡々と奏で続ける。そのリフレインに歌詞が重なることで、音を介して、通勤電車に立つ主人公たちが浮かび上がる。

誰もが自分の生き方を見つけて歩いてゆくけれど、 私は変わらずに私でいるしかできない。
岡村孝子 「電車」

 RADWIMPSの「オーダーメイド」も、何かの列車に乗っているかのように感じさせるリフレインを持っている曲だ。この曲の魅力的なリフレインは旋律ではなくて、2回目のAメロから刻み始められるリズムだ。間をおきつつ小刻みに続くドラムの音が、まるで、いくつかの車輪がレールの継ぎ目で音を立てているかのように響く。響くリズムに歌詞も相まって、時間軸に沿って進む長距離列車の姿が浮かび上がってくる、ように感じる。

 生まれる前の瞬間に、「人を作る誰か」が「どんな風になりたい?」と「僕」に訊く。「人を作る誰か」は、色んなことを次々と「僕」に訊く。

 「大事な心臓はさ、両胸につけてあげるからね」
 どんな風がいい?と尋ね続ける誰かに、「僕」は「何か足りない・欠けている」ことを次々と選んでいく。いつも「僕」は不完全な片側を、選んでいく。
 右側の心臓は要りません。僕に大切な人ができてそっと抱きしめる時初めて、二つの鼓動が胸の両側で鳴るのが、わかるように。

一人じゃどこか欠けてるように。
一人でなど生きてかないように。
 そして、「僕」は「人を作る誰か」に「どっかでお会いしたことありますか?」と最後に逆に問う。いつだったか、その「誰か」に会ったことがあるような気がして、「生まれる前」のさらに前だったか、あるいは「さらに後」なのか、「輪廻」か「デ・ジャヴ」か、「どっかで会ったことがある」気がして「僕」はその「誰か」に聞く。
どっかで、お会いしたことありますか?

 そういえば、「リフレイン」は「主だった旋律の前にそれと同等かそれより長い前語りを持つ楽曲の形式」を意味だという。けれど、「繰り返し・反復」を意味することも多い。小さなメロディが何度か繰り返されることを、意味することも多い。
 それは、まるでこの曲が歌う歌詞と小刻みに響くドラムの音が描き出す「不完全なものを繰り返し選択肢・回り続ける輪廻のような世界」を連想させる。

 「望み通りすべてが叶えられているでしょう? だから、涙に暮れるその顔を、ちゃんと見せてよ」
 「人を作る誰か」は誰だろう。それは、もしかしたらそこら中にいる誰かなんだろうか、とも思う。 PVを見ていると、さらにそんな気持ちが強くなる。
「だから、涙に暮れるその顔を、ちゃんと見せてよ。さぁ 誇らしげに見せてよ」
 「僕」が「人を作る誰か」になって、次の「僕」がまた「人を作る誰か」になり、そんな小さなリフレインが聞こえてくるような気がするこの曲は、「涙」や「誇り」や「望み」が混ざったスープのようなこの曲は、本当に素敵な曲だと思う。いいでしょう?

2008-07-12[n年前へ]

名画を「パラパラ漫画」で眺めてみよう 

 博物館や美術館に行くときの楽しみの一つが、ミュージアムショップに行くことだ。見たい絵画や展示物を眺めることが一番の目的ではあるのけれど、それと同じくらいミュージアムショップに並んでいるものや書籍を眺めているの瞬間も、不思議なくらい楽しい。結局、とても長い時間をミュージアムショップで過ごしてしまうことが多い。

 下に張り付けた動画は、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた男性像の素描と、ドガが描き上げた踊り子の姿だ。といっても、有名な名画そのままの姿ではなくて、名画を素材に「パラパラマンガ」にしたものだ。こんな”アート”をミュージアムショップを散策していると、たくさん眺めることができる。誰に怒られることもなく、気に入ったものを触り眺め、自分のペースで楽しむことができる。

 画家たちが描いた名画は色々な眺め方ができる。名画そのものを素直に眺めてみたり、あるいは、少し斜に構えながら眺め楽しんでみたりする。館内で本物を眺め、本物の力に魅せられてみたり、ミュージアムショップで玩具を眺めてみたりする。そんな風に、過去と現在を交互に挟んだサンドイッチを食べるようにアートを眺める時間は、不思議なくらい魅力的だ。

2009-01-09[n年前へ]

経済に関する時系列データを眺めてみる 

 Mathematica は数式処理向けアプリケーションというよりも、数式処理も得意な「プログラミング言語」です。最近のバージョンでは各種データ取得関数が豊富ですから、さまざまなデータを眺めた後に解析する、といったことが簡単にできます。

 不景気なニュースばかりが続きます。そんな今が、一体どんな時代なのかを眺めてみたくて、今日は経済統計データをMathematicaで(まずは)眺めてみることにしました。

 右のグラフは、1930年頃から現在までのダウ平均株価(工業株30種平均株価)です。工業株と名付けられてはいますが、30種の採用銘柄を見ればわかるように、平均株価を算出する30の会社は、社会の動きを反映するような広い業種から選ばれています。

 80年近くにわたる「ダウ平均株価の変化」を眺めていると、「データ解析」「要因解析」などをしたい、と感じる人が多いのではないでしょうか。何だか20年ほどの上昇と20年ほどの下降(停滞)を繰り返しているように見えてきたり、短周期の上下動があるように思えてきたりします。そこで、そういったものが本当にあるのか・理由は何なのか、ということを知りたくなる、つまり、長期的なトレンド(傾向)、周期的な変化、それらをもたらす要因・・・そんなことを調べ・知りたくなる人も決して少なくないだろう、と思うのです。

 さて、次に眺める右のグラフは、(人口で正規化した)日本の国内総生産(GDP)です。1970年から現在までのデータですが、大雑把にはダウ平均株価と同じ動きになっています。また、1990年半ばから現在までは、上下動はあるものの、停滞し続けているように見えてきます。

 こうした統計データをグラフにし眺めていると、世界全体や各国の「景気」の変化というものについて、もっと詳しく知りたくなります。たとえば、景気の動きが持つ周期性、景気循環というものについて知りたくなったり、そういったものを生み出すに至った世界史というものを、もっと知りたくなります。各時代に、世界各国で、どんな生活や文化が生まれ、どんな産業が生まれ・どんな業種が衰退していったのか、ということを学びたくなるのです。

 以前、経済学者に経済学を教えてもらいにいった時にも、経済学が生まれる少し前から現在までの歴史を知りたくなり、世界・歴史年表を自分なりに作ってみたりしました。それは、どんな経済事象も、あるいは、経済学者たちの研究もすべて(その)時代背景に応じていた、と教えられたからです。

 物理学者の寺田寅彦は、「科学と文学」の中でこう書きました。

 歴史は繰り返す。方則は不変である。それゆえに過去の記録はまた将来の予言となる。
寺田寅彦 寺田寅彦随筆集 (第4巻)
20世紀の歴史、あるいは遙か昔からの歴史を学び直し、過去の記録を通して未来の世界を覗き眺めてみたくなります。未来に向かって世界がどのように動いてゆくのか、それを知るために、過去を紐解き知りたくなります。

 今日は、図書館に行ってみることにしましょうか。過去の歴史や物語が収められている図書館は、未来への予言が詰まってる場所なのでしょうから。

DJIGDPPerCapitaJapan






2009-03-05[n年前へ]

いつでも、次の作品が最高だ 

「今までで最高の作品はどれですか?」
「次の作品です」

チャップリン



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