1999-01-19[n年前へ]
■小人閑居して...
情報をポケットに入れて持ち歩きたい
ラテン語入門(http://www.hiei.kit.ac.jp/~taro/latin.html)
The Internet DictionaryProject (http://www.june29.com//IDP/IDPsearch.html)
によれば、「学者=scholar」はギリシャ語の「スコレー」を語源にしているという。語源を素直に訳せば、「暇人」となる。その中で、真理のために学ぼうとする人を「スコレー」と呼ぶのだという。
また、教育する=educateはラテン語でerudioであり、 「外に引き出す」を意味するという。生徒一人一人の中に潜んでいる才能を外に引き出す、というのが本来の意味であるという。なんとも、深い意味である。
とは言っても、昔のギリシャ人とは私は違う。「小人閑居して...」、と言う通りである。そこで、反省のために、「暇な時には真理を学んでみる」ことにした。といっても、何かを覚えるというのは面倒くさいし、無意味でもあるので、ポケットに情報を入れて持ち歩くことにした。
今回使う道具は
である。InterGetで自動巡回してダウンロードしたさまざまな情報をPalm-sizePCであるCASIOE-55の中に入れて持ち歩こうというわけである。CASIO E-55には30MBytesのCF(コンパクトフラッシュ)カードが挿してあるので、容量には結構余裕がある。
Palm-size PCの便利な点であるmobile channelを自分で作成してやれば、更新も自動化できてとても便利なのだが、CFカードの領域にchannelのファイルを作成するやり方が分からなかったので、ひとまずあきらめた。大切なRAM領域を食いつぶす訳にもいかないだろう。
mobile channelを自分で簡単に作成するためのMobile Channel Wizardは
http://www.microsoft.com/windowsce/downloads/pccompanions/mcwizard.asp
からダウンロードすることができる。いずれ自分用にチャンネルを作成してみたい。
まず持ち歩いてみたい資料は、RICOH情報通信研究所 有志による
英語技術文献の日本語要約(http://www.ricoh.co.jp/rdc/ic/misc/abs_club/index.html)
が面白くて良い。ここから、
- Science
- Computer Vision and Image Understanding
- Graphical Models and Image Processing
- IEEE Multimedia
- IEEE Software
- IEEE Transactions on Pattern Analysis and Machine Intelligence
このボディーの中に1995-1999のScienceのアブストラクトが詰まっているのである。
あと、ゲームも...
1999-09-26[n年前へ]
■デバイスドライバーは仮免
ClearTypeの秘密
昨年、COMDEX/Fall '98においてMicrosoftが発表した「ClearType」技術というものがある。液晶ディスプレイなどの表示の解像度をソフトウェアのみで向上させるという技術である。PCだけでなく、液晶を使った電子ブックなどをターゲットにしているという。(参照:http://www.zdnet.co.jp/news/9811/16/gates.html)
技術の詳細については、「特許申請中」ということで、明らかにされていない。しかし、その技術について推論している人は数多くいる。例えば、
- Optimising LCD display of text( http://oxy.sfx.co.nz/lcdtype/ )
- The Technology of Sub-Pixel FontRendering ( http://grc.com/cleartype.htm )
ビックリすることに、確かに効果があるのである。カラーシフティングによりシャッキリした文字になるのだ。しかも滑らかなのである。デジタル接続の液晶を用いている方は確認すると面白いと思う。
もっとも、こういう画像はWEB上で納得するのは難しい。JPEGのような圧縮画像では、情報が完全には保存されず、意図した出力ができないからである。とりあえず、デジタル接続の液晶ディスプレイを使っている方はとにかく試してみると良い。目からウロコである。
さて、この原理であるが、カラーシフトについては色々なところで説明してあるが、若干わかりにくい画像例が多い。そこで、自分流に解釈しなおして考えてみたい。そして、実験してみようと思う。
まずは、右上から左下に走る黒字に白斜線を考えてみる。1ドット幅で、しかも、上から下へ行く間に1ドット右から左にずれるようなものである。液晶の1ドットはRGBが縦に並んでいる。例えば、
で計測した画像例だと、 1ドット幅で、しかも、上から下へ行く間に1ドット右から左にずれる黒字に白い斜線を考えてみる。これはそのような斜線を拡大したものである。
そのような斜線を液晶で描くと通常は下の左図のようになる。通常の処理が左で、カラーシフトを用いた処理が右である。通常の処理ではRGBの位置を同じものとして処理しているので、RGBそれぞれが同じように変化している。しかし、カラーシフトを用いた処理においては、RGBの各位置が異なっていることを考慮の上、処理を行ってみたものである。そのため、滑らかな斜線になっているのがわかると思う。
このように、デバイスの個性を把握した上できちんと生かしてやれば、デバイスの能力をもっと引き出すことができるわけだ。 個性の違いを越える世界というのは、個性を無視した世界とはまったく逆であり、個性を最大限理解して初めて個性の違いを超えることができるのだ。
さて、効果を確認するために、そのようなハーフトーンパターンを作成してみた。ただし、ここで表示している画像はJPEGに変換してしまっているので、効果は現れない。また、本来見えるはずの画像とはかなり異なってしまっているので、各画像をクリックしてオリジナルのTIFファイルをダウンロードして確認して欲しい。
さて、この画像ではわからないだろうが、TIFFファイルの方を見て頂くと、カラーシフトを用いた斜線ハーフトーンの方では、色模様が出現してしまっているのがわかると思う。それは、液晶のガンマ特性を考慮していないからである。
このガンマ補正については、一般的に使われるガンマの意味だけでないものが含まれている。一言では簡単には説明しきれないので、説明は次の機会にする。Free&Crearでもそのガンマ特性を調整する機能がついている。白地に黒文字であるか、黒字に白文字であるかの違いがあることに注意すれば、その数字の意味がわかる。ここでは、その補正をしたものを示すだけにしておく。と、いっても、私が使用している液晶のガンマを考慮したものなので、一般的には役に立たないだろう。
あなたが目にしている画像では、画像ではガンマ補正した方が変に見えていると思う。それは、私とあなたの使っているデバイス(と視点)が異なるからである。ここでやったのと同じやり方で、あなたの液晶に合わせて(なおかつ、同じ視点で)やれば、きれいに出るはずだ。
さて、この結果を私の液晶で見てみると、カラーシフトを用いた斜線(ガンマ補正後)の方ではきれいに斜線のハーフトーンが出ている。ただ、いくつか問題があるのだが、それは次回までの宿題だ。と、いってもヒントはすでに「できるかな?」中でも出現している。ごく最近の話題でも、だ。
このカラーシフト技術は実に単純なアイデアである。しかし、これは実に面白いアイデアであると思う。効果が有る無しに関わらず、こういうネタは私は大好きである。ただ、こういう技術が日本のデバイス屋さんから出てこないことが少し残念だとは思う。デバイスもドライバーも両方作っているところにがんばって欲しいものだ。それまでは、「デバイスドライバーは仮免」といった所だろう。 .....うーん、ちょっと、強引かな。というわけで、何故か私の手元にはPalm-size PCであるCasio E-500があり、そして、久しぶりにVisualStudioをいじり始めるのであった。。
1999-11-27[n年前へ]
■The Way We Were
君の行く道
CasioのE-500で撮影した写真である。道が不思議に輝いていた。
Michael J. Foxの出世作でもある"FamilyTies"というTVシリーズがある。日本語に訳せば、「家族の絆」というタイトルの通り、ある家族を中心としたコメディ番組だ。MichaelJ. Fox演じる長男、を含む家族達の周りの色々な話しが描かれている。コメディの珠玉の名品だと思う。
その「ファミリータイズ」の中で"The Way We Were"という話があった。日本放映時(ビデオ化)のタイトルは「キートン家の語り部おばさん」だったと思う。
ローズおばさんは、キートン一家の母方のおばさんだ。その母方のドネリー家の歴史をいつも話してくれる、キートン家の人気者だ。しかし、何かローズおばさんの様子がおかしい。そうしている内に、キートン家の家族達は、おばさんがアルツハイマー病にかかっていたことを知る。そのキートン家の長男でもあるMichael J. Foxは、現在パーキンソン病を克服しようとしている。
そして、アルツハイマー病を克服しようと決意したローズおばさんは、長女マロリーに、「お願いがあるの。私がこれまで話していた物語を、これからはあなたが伝えていって欲しい。」と頼む。そして、ローズおばさんの前でマロリーは長い長いドネリー家の歴史を語り始める。「時は1741年、冷酷なイギリスの統治によりアイルランドを暗雲が覆った... 」家族が集まる中、マロリーが最後まで語り終わると、ローズおばさんは黙って頷く。
2000-03-02[n年前へ]
■掌サイズのゲームセンター
20年前をポケットに入れて
前に
で - CASIOのE-55に「英語技術文献の日本語要約 」を入れて持ち歩こう - という話題を書いた。そして、そのラストはこのボディーの中に1995-1999のScienceのアブストラクトが詰まっているのである。であった。
あと、ゲームも…
今回は、同じくPalmsize-PCで「ゲーム」をして遊んでみたい。しかし、そんなことを言うと「ゲームをするだけなのに、何故そんなにエラそうな口調なんだ」、と突っ込む人もいるだろう。そう言われたら、言い返す言葉もない。「ハイ、その通りです」としか言いようがない。
しかし、私はゲームをほとんどしない。いや、最近は全くしない、と言っても良い位だ。だから、ゲームをするのにも、覚悟がいるのである。
そしてもう一つ、自分ではしないゲームをしようと思ったのには、ちゃんとした理由がある。簡単に言えば、Palmを見返したかったのである。つねづね、世の中でもてはやされるPalmを見るたびに口惜しかったわけだ。
私の周りにはPalmを使う人が多い。その人達は、「Palmは沢山ソフトがあって良いよ。」とか、「Palmsize-PCってPalmのバッタもんちゃうの?」とか言うのである。もちろん私も、世の中の流れがPalmsize-PCでなくて、Palmに向かっていることも感じてはいる。しかし、私はアマノジャクなので、「みんなが持っているPalmを買うのは面白くない」と思い、Palmsize-PCを買っているわけだ。
しかし、そんな私にPalmユーザーは「やっぱ、世の中多数派に限るよ。」とか言うわけだ。しかも、根っからのMacユーザー(&Palmユーザ)であるにも関わらずそんなことを言う人さえいるのである。いつもは、「WindowsユーザーってMacユーザーに冷たいよなぁ。」とか、「良いものは所詮、少数派なのさ。」と言い合っているのにも関わらず、そんなことを言うのである。「少数派の誇りはどうしたぁ」と言いたくなる。しかし、これまではじっと我慢の子であったのである。
そして、そんな私にPalmユーザーは楽しそうなゲームソフトなどを見せつけるのである。いや、もちろんPalmsize-PCにもそういうソフトはちゃんとあるわけであるが、どうも数から言うと負け気味だったのである(数えたことないけど)。
そんなわけで、Palmsize-PCで沢山のゲームソフトが動く、というのが私の夢だったのである。そして、それをPalmユーザーに見せつけるのが、私の夢だったのだ(なんとも、小さい人間ではあるが…)。しかし、これまではそれは単なる夢だったのだ。
しかし、最近
- MameCE ( http://www.mamece.com/ )
- MAME ( http://www.mame.net/ )
というわけで今回の話は、私の周りのPalmユーザーに捧げたい。「Palmsize-PCで数え切れないゲームを動かしてみる」という話なのである。「こんなにゲームが動いてしまって良いのかしら?」という話なのである。
それでは、その画面を見せつけてみたい。私の好きだったゲームを動かしてみるのだ。掌サイズのゲームセンターを実現するのである。
それが、以下の写真である。これはCASIO E-500でMameCEを動かしている画面である。まずは、シューティングゲームの両雄、「スペースインベーダーとギャラクシアン」である。
そして、次がパックマンと後の有名人マリオのデビュー作でもあるドンキーコングだ。パックマンの画面の面白さは実に素晴らしい。
しかし、こうしてみると私が気に入っているゲームは実に古いゲームばかりだ。ROMに書かれている制作年を示すと、
- スペースインベーダー 1978年
- パックマン 1980年
- ドンキーコング 1981年
- ギャラクシアン 1981年
こうしてみると、時の流れはなんて速いのだろう。ビックリしてしまう。いつの間にか、年をとってしまったのである。
しかし、そうそう驚いているだけではマズイ。そんな「早い流れゆく時の中を、軽やかに駆けめぐりたい」と私は強く思うのである。「Palmユーザーと張り合っている場合ではない」のである。少し、後悔である。どうも、私は「後悔先に立たず」というのが多すぎなのである。
というわけで、「流れゆく時の中を軽やかに駆けめぐりたい」という気持ちを示すために、1982年の作品である「タイムパイロット」を最後に示して終わりにしよう。時間の流れの中を飛行機で飛び回るのだ。BGMは10年経っても古さを感じさせない、そう「浪漫飛行」なんか良い感じだ。
トランク一つだけで 浪漫飛行へIn The Sky 飛びまわれこのMy Heart 時が流れて… |
この画面の真ん中にいる飛行機 - 時を駆けめぐる飛行機 - を操縦する「タイムパイロット」がぼくらだ。そして、「タイムパイロット」は自由自在に時の中を駆けめぐるのである(もし、上手ければね。あぁ、また撃墜されたぁ…)。
2000-07-15[n年前へ]
■外の世界を眺めてみれば
ビデオ入力を活用しよう
先日、トランジスタ技術の2000/07号を読み直していた。読み直していたのは「色センサー」の記事である。有限会社レンテックが視覚障害者用の製品として発売しているものである。PICをよく使う人だったら、この記事を読んでいなかったとしても、多分よく知っている話だと思う。何しろ昨年の「第三回PICmicroデザイン・コンテスト」で優勝した作品だからである。PICと音声ICの数多い制限と、測定上の制限の中で、「(使用用途を考えた上での)安定した色名決定」を行うルーチンがとても苦労していて、読んでいてとても面白い。
個人的には、この「第三回PICmicroデザイン・コンテスト」で入賞している「マルチ・チャンネル分光器」と
みたいなものを組み合わせて、「5000円でできるパーソナル・マルチ・チャンネル分光器」なんてものを作ってみたいと思っているのだけれど、こちらはなかなか作業が進んでいない。それはさておき、この「色センサー」のように、持ち歩いて色々なところですぐに調べることのできる測定器というのはとても便利なものだ。そして何より、それを作っている側からしても面白いものである。そこで、私も試しに作ってみることにした。といっても、計測器を作り出すと仕事と区別がつかなくなってしまうので、ハード的に作業をするのは気分が全然のらない。そこで、PCに接続されているビデオカメラを用いて、ソフト的に作ってみることにした。やってみたことは、以前作成した「色覚モドキソフト」を、ビデオカメラからのリアルタイム入力用に作ってみただけである。
以前
ではインターネット上にある画像ファイルに対して、画像処理をかける「色覚モドキソフト」を作ってみた。コンピュータにネットワーク上のものが見える「色覚」を持たせて、ネットワーク上の画像について考えてみたわけだ。そして、ではそれを自分のPCの中にある画像ファイルをいじるようにしてみた。つまり、コンピュータに自分の中のものが見える「色覚」を持たせて、自分の中を覗いてみたのである。そして、今回はPCに接続されているビデオカメラを用いて、コンピュータに現実社会を眺める「色覚」を持たせてみることにしたのである。そんな現実社会を眺めることができて個性を持つコンピュータを通して、現実社会を眺めてみたいと思うわけだ。
最近の持ち歩き用の小型ノートPCにはビデオカメラが取り付けられているものが多い。例えば、こんな感じだ。
私もCasioのPalm-sizePCは使っているし、ノートPCにもUSB接続のビデオキャプチャーを取り付けている。こういう持ち歩けるPCに取り付けてあるビデオカメラを活用しないのは勿体ない、というわけで、以前作った
を改造し、で作ったtruecolorを合体させて、ちょこちょこっと作ってみたのがこれだ。- truecolor5.exe ( truecolor5.lzh 746kB)
例えば、次の画面はTVで放映している「ターミネーター」を見ているところである。一番左の画面がコンピュータのビデオカメラに写っているそのままの画面だ。そして、真ん中がリアルタイムに色調変換をかけている画面である。つまりは、「色覚に個性を持つ」コンピュータが眺めている「ターミネーター」である。また、一番右はシャッターを押したときに取り込まれた静止画像である。
くれぐれも勘違いしないで欲しいのだが、上の一番左の画面で「赤い」部分が、真ん中の色調変換をかけた後では緑っぽく見えているからといって、このコンピュータがそこを「緑」と認識しているわけではない。あなたが、この真ん中の画面を見て何かを解釈しようとした瞬間に、それはコンピュータの感覚に加えてあなたの感覚が混入してしまうのである。もし、それでもそう考えたくなる人がいれば、そもそも「赤」とか「緑」という言葉はどういう意味なのかを考えてみると良い、と思う。
また、今回のL,M,S(これは具体的な何かを指すわけではないので、この意味についてはあえてここでは説明しない)の各スライダーの感度パーセンテージを以前のような0〜100%ではなくて、0〜200%の範囲で動かせるようにしてみた。もし、あなたのPCのモニタがこのLに対応するところが弱くなりがちならば、このLのスライダーをいじってやって、Lに関する情報を増幅してやることができる、と考える人もいるだろう。といっても、いじってみるとわかると思うが、そもそもモニタの出力可能な限界と画像フォーマット上の限界があるわけで、なかなかそういうわけにはいかない。ただ、色々と実験してみるのには面白いかもしれない。
ちなみに、次の画面は「週間アスキー」の広告を眺めている画面だ。おやおや、この広告はこのコンピュータには今ひとつアピールしないようだ。
さて、先ほど
そもそも「赤」とか「緑」という言葉はどういう意味なのかを考えてみると良い、と思う。とあっさり書いたが、「言葉」とか、「現実」とか、あるいは「感覚」といったものはすこしづつ重なり合ってはいるけれど、それは一致し得ないものだと私は思っている。まして、それらは一人の人の中で完結できるものでもないし、同時に万人にとって同じでもない。以前書いた「クジラは哺乳類か魚か?」とかと同じで、心底考えてみることに意味があるんじゃないか、と思ってたりするのだ。