2013-01-16[n年前へ]
■「1人あたりGDP(国内総生産)」と「1人あたり国内所得の不平等さ」を眺めてみよう!?
同じ国に住む私たち、そんな私たちが生み出したもの総額いくらになるか?=国の中で生み出したものと交換されたおカネの量=お値段が、それすなわちGDP(国内総生産)です。その額面が回り回って国民のお財布に入ってくるので、GDPは私たちの懐具合を指し示す指標になります(参考:「”1人あたり”GDP(国内総生産)の地球儀」で「日本の豊かさ」を考えてみよう!?)。
たとえば、右上のグラフは、横軸に「人口(国民数)で正規化したGDP」をとり、縦軸に「国民1人あたりの国民所得(national income)」をプロットしてみたものです。このグラフが直線的、つまり「国の中で生産されたもの価値≒国民所得」となるのは当たり前で、GDPと国民所得というものは、つまりそういう「定義」の数字なのです。
しかし、現実には、生み出すもの(の値段)や所得が誰でも同じ=総額を人口で割ったような数値になるわけではありません。差異・違い・不平等がそこには存在しているものです。
右のグラフは横軸に「人口(国民数)で正規化したGDP」をとり、縦軸には「所得分配の不平等さを示すジニ係数」をプロットしてみたものです。貧しい国でも(横軸の左側)、豊かな国でも(横軸の右側)、所得分配具合には「等しくなさ」が存在することがわかります。
ジニ係数の範囲は0から1で、係数の値が0に近いほど格差が少ない状態で、1に近いほど格差が大きい状態であることを意味する。ちなみに、0のときには完全な「平等」つまり皆同じ所得を得ている状態を示す。社会騒乱多発の警戒ラインは、0.4である。
もっとも、「貧しい国でも・豊かな国でも、国民の所得分配具合は等しくない」といっても、貧しい国と豊かな国 の間での国民所得のバラツキ具合は「同じように等しくない」わけではなく、不平等さにも違いがあります。
…と、経済データを眺め・考えて続けていたならば、こんな不平等グラフはいつか姿を消すのだろうか・それともより存在感を増していくのだろうか?…とふと感じます。