2007-10-25[n年前へ]
■「フラクタル」な「リベロ」
ブノワ・マンデルブロが描いたフラクタル図形のように、どんなに小さく狭い場所にだって、広い世界の縮図が詰まっているんだ、と感じることがあります。 from 「エンジニアよ! 女子バレーの魅力と科学にハマれ」
私は人をうらやましいと思ったことがありません。人をうらやむ時間があったら私は走りたい。 吉原知子女子バレーボールのことを調べた時、気になったのは「リベロ」というポジションでした。「自由」を意味するリベロ、他の選手とは違うユニフォームを一人着て、レシーブを続けるリベロ、そんなポジションは、昨今とてもよくある姿です。
極端に言えば同じタイプの選手は必要ありません。そのために12人がいるのです。 吉原知子また、ローテーションという「自分の得意でない役割を担わなければいけない期間がある、というルール」、自分の得意なことだけを続けられるわけではない、という、広い世界や長い人生の縮図のようなルール、も興味深く感じました。
やめることは簡単で、続けることは難しいと思います。また、悪い環境ほどチャンスであって、ここで頑張れるのが強い人だと思うんです。 吉原知子
2008-01-29[n年前へ]
■"We have learned to live with this stupidity"
1925年に生まれた 菊池誠が1990年に書いたのが「若きエンジニアへの手紙」(ダイヤモンド社)だ。65才になった半導体研究者の著者が、若きエンジニアに対し、真摯に優しく語りかけるように言葉を重ねた本だ。時が過ぎて、企業の中央研究所や大学の姿が変わっていったことを考えれば、この「エンジニア」という言葉は、今では、もう少し「研究者」寄りととらえた方が良いかもしれない。
この本はとても良かった。「若きエンジニア」という部分で、手に取ることをためらう中年エンジニアや研究者もいるかもしれないけれど、65才になった優れた著者が言う「若き」なのだから、どんな年齢でも、恥らわずに手にとって読んでみるといいような気がする。
たくさんの文章をメモしたけれど、20ページ目にある「トランジスタの父」ショックレーの論文の一部をここに書き写そう。
“What I say about myself-and I am sure most creative people would say the same thing is that, when we look at how long it took us to get certain ideas, we are impressed with how dumb we were- on how long it took us, and how stupid we were. But We have learned to live with this stupidity, and to find from it what relationships we should have seen in the first place. This recongnition that we aren't perfect but that persistence pays is a very important factor, I think, in giving one the "will to think"-you don't need to worry so much about the mistakes you make.
2008-06-13[n年前へ]
■「爆乳でなくなったら歩けない」を科学する
「爆乳」という言葉の名付け親と「メガ乳」という言葉の名付け親と話をした時に、「新鮮に聞こえるが普遍的にも聞こえる」話を聞き、面白さを感じた。そんなことを感じた話のひとつが、こんなことである。
(IとかKカップとかいった爆乳の女優さんの多くが言うことには)「バストが小さくなったら、歩き方がわからない」「もう歩けなくなってしまうかもしれない」
2kgほどの重量物を胸部に二つも可動する状態で歩こうとしたなら、「重量物の揺れ・振動」を抑えつつ、それでも抑えきれない重量物の揺れと共存した歩き方にならざるをえないはずだ。つまりは、大きなバストがあること前提の歩き方になっているに違いない。だから、「バストが小さくなったら、歩き方がわからなくない」ということになるのだろう。
ところで、可動する重量物、端的に言えば・揺れるバストは、下に描いたようなバネ・ダンパモデルとして単純にモデル化することができるだろう。つまり、その図の下に書いた微分方程式で表されるダイナミック・システムである。あるいは、それを伝達関数モデルにまでしてしまえば、つまりはさらに下に描いた「2次遅れ要素」である
電気のRLC回路(発振回路)なども、上の微分方程式と同タイプの式で表現される。そして、発振回路でコンデンサの容量(C)がいきなり小さくなってしまった場合などは、当然ながら発振周波数も変わり、その結果、回路の動きは大きく姿を変えることになる。つまり、「容量が小さくなってしまったら、(それまでの動かし方では)回路が動かなくなってしまう」という状態になるわけだ。
つまり、上に描いた「メガ(爆)乳」を表現したダイナミック・システムと電気回路の間には、類似性(アナロジー)があって、それらは共通の普遍性を垣間見せるわけである。
だから、実は、電気工学や機械工学のエンジニアたちこそが「爆乳の女性人たちが経験的に会得した歩き方の工夫」の一番の理解者になったりするかもしれない、と思ったりもするのである。「そうそう部品の定数がいきなり変わったら困っちゃうよね」と大いに共感できそうなきもするのだ。……もちろん、そんな妄想に「そんなわけない」とすぐに突っ込みたくもなるのだが。
2008-07-06[n年前へ]
■食玩「フィンガー・ベル」の生産技術
モノを大量に安く生産する技術には、驚かされることが本当に多い。たとえば雑誌の付録、たとえば「学研の科学の付録」「学研の大人の科学の付録」にいつも驚かされるように、上手く手抜きをし、大量生産を可能にし、安く大量にモノを作り上げる技術にはいつだって驚かされる。数年前の食玩を見直して、そんなコスト・エンジニアリング技術の素晴らしさを今更ながらに感じさせられた。
下の写真は、ペットボトルのコーラに付いていた食玩のハンド・ベルだ。スヌーピーのキャラクタが付いた「ハンド・ベル」、いや実際には手で持つというより指でつまむくらいの大きさなので、「フィンガー・ベル」とでも言うべきこのベルは、それでも一つ一つきちんと違う音階を奏でる。
「フィンガー・ベル」が奏でる音の高さを変えようとしたとき、まず思いつくのは、ベルの大きさを変えるということだろう。あるいは、ベルを形づくる金属の厚みを変える、という辺りだろう。しかし、この食玩の場合、大きさはどれも同じだし、「ベルの金属の厚み」を変えるというのも、生産時の精度バラツキを考えれば、とても大量生産にはそぐわないように思える。
そこで、この「フィンガー・ベル」をよくよく見直してみると、「低い音」と「高い音」を奏でるベルの形状が違うことに気づかされる。低い音を発するベルは、確かに低い周波数で共振しそうな剛性の低そうな「まあるい」形をしている。そして、高い音を発するベルの方は、いかにも「角度を持ち」鋭角な形で固い剛性を持っている形に見える。
厚みなどで音の高さを変えるのではなく、ベルの形で音の高さを変えているのだと思うと、こんな小さな食玩の中に構造設計のエキスが詰まっているような気がして、とても楽しく面白く感じる。
2008-12-04[n年前へ]
■ぼくらはどういう状態にいたいのだろう?
Rubyのまつもと氏「エンジニアに安住の地がなくなってきている」と警鐘という記事を読む。
情報の格差というものがある。それは解消すべきともいわれるが、モノが高いところにあれば、位置エネルギーが発生し、電気を起こしたりすることができる。情報の場合も、上の方やまんなか辺りにいれば、位置の差でエネルギーを取り出せる
まつもとゆきひろ
この言葉を読むと、以前「競馬」と「資本主義」で書いた、(AERA Mook Special 「21世紀を読む」の中で岩井克人が書いていた)「イデオロギーとしての資本主義は、”見えざる手により調整される自己完結したシステム”だが、現実の資本主義は ”(場所・価格・情報といった)違いを利用して利潤を生むシステム”だ」といった言葉を思い出す。
”違い・差”があって初めて、現在(現実)の資本主義を回すエネルギーは生まれているのだと思っている。いや、現在どころか、はるかな昔からそうだったに違いないと信じている。そして、この事実は技術者の志向と実は相反することが多いのではないか、とも思うことがある。
「PCを自由自在に使うことができる人」がいたとする。その人が「技術的な面で心地よく理解しあえる人」を周囲に求めようとしたならば、つまり周囲と自分との間の技術的な”違い・差”="境界"を小さくしたいと願うなら、多くの場合、”利益”を生むことはできないのではないだろうか。「あなたにできること」は「相手もできたりする」ということは、つまり、境界がないのだから、そうそう利益が生まれるわけもない。
しかし、「PCを自由自在に使うことができる人」が、「PCという言葉もよく知らないし、そんな代物を使うこともできない人」たちの「間」に立つのなら、そこから「利益」を生むことは比較的容易だろう。
ということは、「技術的な満足」と「大きな利益」はなかなか両立しえない、ということになる。
「競馬」と「資本主義」
ぼくらはどういう状態にいたいのだろう?位置エネルギー、ポテンシャルを高めたいのだろうか、それともエネルギー変換効率が良い場所にいたいだろうか。
やりたいことと売れるというのは違うね。売れるってことはハリウッド映画みたいな、頭悪~い奴もわからなきゃいけないってことだぜ。
(西原理恵子との対談で)みうらじゅん ユリイカ 2006.07
「技術的満足」と「大きな利益」は両立するのだろうか。そんなことができるのだろうか。・・・きっと、その答えは自分で探すしかないのだろう。
そこまでをやりたいの。
西原理恵子@ユリイカ