2007-12-14[n年前へ]
2007-12-18[n年前へ]
2008-01-05[n年前へ]
■「宗教革命」と「フェルメール」
フェルメールはピーテル・ブリューゲルの100年後、新教が主流となったネーデルランド、それ以前のような宗教画を書くことはできない(もしも書いたとしたら「偶像崇拝である」と新教教会から弾劾される)時と場所に生きた。つまり、教会からの宗教画の注文が消え画家たちが路頭に迷い、豊かな市民たちへ肖像画・風景画を描くことを生活の糧にする、そんな時代を生きてた。だから、かどうかは知らないが、フェルメールの描く油絵には、まるでケータイ写真で撮影したような、普通の日常生活が写っている。
この瞬間にケータイを手に持って何かを眺めている人は一体どういう景色を、どんな風に見ているのだろうか。
2008-01-06[n年前へ]
■路線バスで「ローレンツ収縮」!?
蜜柑畑から青い海を見下ろしたくなって、そんな景色の場所に行ってみたくなって、少し遠くまでランニングに出かけた。「往路」にずいぶん時間がかかってしまったので、「復路」の一部を路線バスに乗った。
ランニングのスピードに比べると、路線バスは宇宙をワープしているように速い。そんな路線バスの一番後ろの席に座り、ケータイのカメラ越しに外の景色を眺めていると、何だか奇妙な感覚に襲われた。
「外の世界が奇妙に歪んでる!?」「普段のランニングの速度に比べて、バスの速度が速いせいで、ローレンツ収縮が起きているのか!?」「ついに相対論的効果・ローレンツ収縮を肉眼で見ているのか!?」と一瞬妄想してしまうような、奇妙な景色がそこには見えていた。
目の前の家はピサの斜塔のように何だか斜めに傾いているし、松林もひしゃげているように見える。まっすぐ立っているはずの電信柱は明らかに斜めに地面に刺さっている。カーブミラーなんか、倒れないのが不思議なくらいの変な角度で設置されている?…何かがおかしい!?
いくら路線バスが速いといっても、相対論的効果が目に見えたりするほど速いわけもない。なぜこんな風に見えるかというと、動画撮影された景色が素早く一方向に移動しているのに対して、ケータイの撮像素子からの(動画撮影時の)値読み出しタイミングに(画素位置ごとに)ズレがあるために、こんな風に見えているに違いない。ここに貼り付けた動画中(撮影時には90度回転した状態で撮影されている)で、撮像素子からの読み出しは画面下方向からされていて、早く動いている近くのものが「画面下部では右に写り」「(読み出し時間が後の)画面上部では左に移り」「その結果斜めに見える」ということだろう。
誰もが手にするケータイのカメラも、ちょっと使う条件を変えただけで、90度撮影する向きを変えただけで、矛盾をきたして奇妙な世界を見せる。そんな入り口が目の前にはたくさん置いてあって、不思議の国のトムキンスのように、私たちを不思議で新鮮な世界に連れて行く。
2008-01-07[n年前へ]
■「加速度センサ」でカメラ制御を切り替えたい!?
「ケータイで体験できるローレンツ収縮モドキ」は方向性がある。真っ直ぐな棒を動かしてみると、その異方性がよくわかる。ある方向Aでは「棒の太さが変わるだけ」だが、それと90度直交する方向Bでは「棒はグニャグニャ曲がって」見える。
ケータイで実際の景色を撮影するシチュエーションを考えたとき、たいていの物体は縦に長い。そして、それらの物体は左右にしか動かないのが普通だ。歩く人や走る車も、カメラを左右にパンする時の背景のビルや木々も、ほとんどのものが縦に長く左右にしか動かない。ということは、それらの物体に対して、「カメラの向き=ある方向A」になるようにケータイなどのチープなカメラを作ってやれば、「物体がグニャグニャ曲がって」見えることはなくなり、単に「太さが変わるだけ」にすることができる。
しかし、ケータイやデジカメの向きを本来の向きとは違う向きに構えられた場合には、どうすればいいだろうか? …そうだ、今のケータイやデジカメには加速度センサが搭載されていて、ケータイやカメラの向きを検知する製品も多い。だとしたら、その鉛直に対するカメラの方向に応じて、駆動・読み出しの制御を切り替えてやれば、どんな場合でも左右に動く縦長の物体や人に対してGood!な「ある方向A」にすることができそうだ。特許風に言うのなら、「加速度センサを具備した撮像機器の固体撮像素子の駆動方法及び撮像装置」という感じだろうか。
おや?もしかしたら「太さが変わって見える」と「グニャグニャ曲がって見える」では、「グニャグニャ曲がって見える」の方が好ましいと思う人もいるのかもしれない…?