hirax.net::Keywords::「プログラマブル」のブログ



2010-04-10[n年前へ]

「プログラマブルなサイコロ」が欲しい!? 

 Wikipediaのサイコロの項目を眺めていると、各種多様なサイコロが並んでいて、とても面白く思います。特に、面が百個もある100面体ダイスなんていうものを見ると、思わず欲しくなる気持ちを抑えることができません。

 今、一番、私が欲しいと思うサイコロは、面に書いてある数字を書きかえることができる、そんなサイコロです。任意のある「ルール」にしたがった数字群を作りだし、そして、その数字群を各面に表示する、そんなサイコロです。また、できれば、選ばれた面(=賽の目)以外に書かれている数字はぼんやりとしていてわからない、そんな機能も備えたものが欲しいな、と思っています。

 それなら、数字をディスプレイに表示する電子サイコロでも良いではないか、と言われるような気もします。しかし、電子サイコロだと、「賽を振っている」感じがしないように思われて、今一つ面白くないのです。それでは、「実感・体感」できなくてつまらないのです。

 そんな多面体の形を持って転がすことができる、けれど、プログラマブルで色々な機能を持っている、そんなサイコロがある、という情報、あるいは、この辺りの道具を使ってる来ると良いよ、といった情報などありましたら、教えて頂ければ幸いです。

2012-10-30[n年前へ]

未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」 

 お手軽に使うことができ・それでいて高機能なスクリプト言語を使うようになった頃から、少し「難しいな」と思う感じる状況が増え始めました。

 たとえば、何かのデータ処理や解析を人に依頼しようとした時、その「したいこと」を説明するには「処理作業を書く」のが一番楽で…けれど、その処理作業を書いてしまったなら(その作業を人にお願いするまでもなく)「体力溢れるコンピュータが(やりたい)実作業をしてくれる」ので、そもそも人に頼む作業とやらが目の前から消え失せてしまうのです。

 自分で翔べない人間はコンピュータに仕事を奪われる。

グライダー能力

 今日、ふと、未来に生き残る職業は「プログラミング言語・環境開発者」と「ニッチで・けれど高価なものを作る人」だけかもしれない…と考えました。

 「ニッチで・けれど高価なものを作る人」が残る…というのは、ニッチなもの、少数しか必要とされないものを作るには「機械」「自動化される何か」より「人」の方がコストが安いので、未来もきっと残るだろう…という理由です。

 そして、「プログラミング言語・環境開発者」が生き残るだろう…というのは、以前川合史郎さんが書かれたことに、少しだけ似ています。

 自分の子供の世代になると、「プログラムが書ける」というのは「文章が書ける」のと 同じくらいの基本的なリテラシーになるんじゃないかと思う。その時の「プログラミング」 は今より広い概念だろうけれど。

広義のプログラミング
「プログラミングという作業を単純で基本的で、つまり誰でも可能なものにする」というための「プログラミング言語・環境開発者」は、未来には、当たり前のように存在しているのではないか、それープログラミング環境ーは今の文房具のような存在になっているのではないか?と思うのです。

 そんなことを考えたのは、MATLAB EXPO で丸山宏さんの講演を聴いたからです。丸山さんが話す「大規模データ解析」の話を聴きながら、たとえば「流行を感じつつ番組企画や雑誌特集記事を考えるという作業や、経験に沿って故障原因を探っていく保守作業や、人の動きを読み営業計画を立てる事業作成、はたまた誰かの指示に従ってプログラムを書く…といった色々な仕事・作業」は、未来には「マシン」にとってかわられているだろう…と感じたことがきっかけです。

 ここで言う「マシン」は、「調べる」「知る」「行う」作業を指し示す「何か」により作り出され・動く「何か」、です。「マシン」は「(後者の)何か」で、そして、「プログラミング言語・環境」が「(前者の)何か」です。

 近い…といっても二十年くらい先の未来、大量に作る物は(それが日常生活で消費する物品でもメディアでも)、それらは人ではない「マシン」が作り出し、人は「ニッチで・けれど高価なもの」だけを作っているのかもしれないと、ふと考えました。けれど、そんな「マス」と「ニッチ」のバランスでは、人の世界は成り立ちそうにもないな…と思います。

 そんなことを考えたのは、MATLAB EXPOという「プログラミング・処理環境」のベンダーが主催する「場所」でした。

 人間は、決してあきらめてはならない。

「ロボット (R.U.R)」 カレル・チャペック

2013-10-23[n年前へ]

「意識」という「プログラマブルな状態変数」 

 生物が持つ「意識」というものは、生物の「状態」を湿す制御理論で言うところの状態変数みたいなものなのだろうか?と、ふと考えました。

 生物がより広く多く生存していくために進化する過程で、「状態」に応じた対応をした方が生き残っていくために便利・優位だから、そんな状態量・意識を持つに至ったのかもしれない、と考えたのです。たとえば、ほどよく暖かいと生存に有利ですから、「ほどよく暖かかったら、そこをポジティブ=心地良いと判定し、それに応じたフィードバック動作をしよう」と思うと、温度や(その)積分値を保持したくなります。…つまりは、それが意識・感情の原始の姿なんだろう、と感じたのです。

 そして、その後、「状態変数」間で情報共有を行うことが可能な「言語」というものがが生まれ、いつしか、意識 が言語というもので表現されるに至った…当初は単なる値(状態量)を記憶するだけの領域だったはずのものが、それが実はプログラム可能な(プログラムを置いて、プログラムを動かすことができる)システムだと自然が気づき・単なる値という存在から姿を変えていった…それが今の生物の意識というものなのだろうか?などと、妄想しました。



■Powered by yagm.net