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2009-05-26[n年前へ]

サンフランシスコのストリートビュー風地図上でグラフィティ(面白い・綺麗な落書き)を描けるサーボス 

 「 SFを塗りつぶせ! 3Dマップにグラフィティをマッシュアップ

 カリフォルニア州バークレーにあるearthmineというスタートアップが「Wild Style City」というオンライン3Dマッピングサービスを開始した。Googleのストリートビューのように街(現在無料公開されている場所はサンフランシスコのみ)を散策でき、実際の街をキャンバスにビルや建物の壁面にグラフィティ(面白い・綺麗な落書き)を描ける。ローラーとスプレー、マジックなどのペイント・ツールは、ちゃんとグラフィティ・アーティストの意見を聞いて設計したという。

2009-11-09[n年前へ]

説明用の図を描くための変な小道具 

 説明用の図を描くための小道具が欲しくなることがある。それは、たとえば「素体」であったり、「Too パース定規 」であったりする。画を滑らかに素早く描ける人たちと違い、犬だか猫だか、はたまた、アメーバだかもよくわからないような絵しか描けない絵心がない種族としては、そんな道具にでも頼りたくなるのである。

 以前は、「ステッドラーの人型定規 」を筆入れに入れて持ち歩いていた。それを使って図を作ることも多かったのだが、次第に関節が折れ、腕や足がいびつな形にしか動かなくなってしまい、いつの間にか持ち歩かなくなってしまった。それと同時に、説明用の図(というより単なる落書き)もあまりしなくなってしまったような気がする。

 今度、ペーパークラフトの素体でも作ってみることにしよう。そんなものを持ち歩いていると、色んなアイデアが湧いてきそうな気がする。それが一体どんなアイデアなのかは、わからないが。

2010-01-31[n年前へ]

手描きシミュレーションで「歩くモアイ」を計算してみる  

 受動歩行による、「歩く(イースター島の)モアイ」を作る、という「受動歩行を用いた「歩くモアイ」の作り方」が新鮮だったので、タブレットPC上で動く(タブレットPC上でなくても動きます)「手書きの「ピタゴラ・シミュレータ」」を使って歩くモアイ・シミュレーションに挑戦してみました。それが下の二つの動画です。傾いた地面を作り、木の支え棒と石のモアイ像を作った上で、支え棒とモアイ像の上部を固定し、重力場を適用させ、シミュレーション計算を行っています。

 チョコチョコっと描いた条件では、受動歩行動作を行うようなシステムに上手くできないせいでしょうか、なかなか「歩くモアイ像」シミュレーション計算にはなりませんでした。今のままでは、弾性で跳ねつつ動くモアイ像になってしまっています。

 しかし、手書きで物理シミュレーションを簡単にすることができる、というのはやはり楽しいものです。いつかきっと、古代イースター島のモアイを手元のPCの中で歩かせてみよう、と思います。

2010-04-06[n年前へ]

「メディア・ディペンデント」 

 十年ほど前、ある本の「あとがき」に、こんな文章を書きました。

 インターネットにあふれるWEBページのことを「便所の落書き」と呼んだ人もいます。もし、インターネットのWEBページが「便所の落書き」なのだとしたら、この本は「便所の落書き帳」ということになります。ただ、思いつくままに「便所の落書き」を描き続けていたら、いつの間にかこんな本になりました。
 今では絶対に手に入らないだろう希少本ですし、WEBというメディアで書かれた記事を上手く紙というメディアに翻訳することができなかった…など致命的な難点が多々あったりするのですが、一番好きな落書きの「サンタが街にやってくる」が唯一収録されていることもあり、とても思い出深い最初の一冊です。

 その後に出した本を考えてみると、たとえば「論理的にプレゼンする技術 聴き手の記憶に残る話し方の極意 (サイエンス・アイ新書) 」は最初から書籍として作ったもので、(本としての)ページの割り付け・ページ内のデザインなど、最初の最初から考え・設計して作り上げたものです(だから…というわけではないですが、この本は、プレゼンが苦手な人から「自分は上級者だ」という人まで幅広い人たちが、それぞれ楽しめる本になっている、と思っています)。

 そしてまた、たとえば(個人的にはとても思い入れのある)「理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! (Kobunsha Paperbacks Business 17) 」はWEBサイト用の記事として作ったものを、書籍用の手直し・書籍化に際して追加しておきたかったものなどを詰め込み(あるいは削り)、作り上げたものになります。

 もしも、後者を最初から「書籍」として考えて作ったとしたら、一体どういうものになったのだろうか?と思うことがあります。そして、それでは「企画自体通らない」ものだろうな、と思ったりします。やはり、「書籍」と「WEB記事」は違います。メディアによって、作り方も作り始めのカタチもきっと違うのだろうと思います。

 どんなものでも、「(コミニュケーションという)底の部分は同じだよ」と言われるような気もしますが、その舞台・調理法(表現方法)が異なる「メディア」である以上は、やはり違うものにならざるを得ないのかもしれない…と思います。

 そんなことを考えながら、久々に昔書いた「便所の落書き」を読んでみたりしたのです。

2010-05-21[n年前へ]

「ピカソ」を記憶のままに描いてみる 

 ふと、「ピカソ」を記憶のままに描いてみるとどうなるかと思い、テキトーに描いてみた。描いてはみたけれど、頭の中にイメージした題材が「ピカソ」であることすらわからない絵になってしまった。これではまるでシャガールか、…いやそんなことを言うとシャガールが窓の外から怒って襲ってきそうだ。とにかく、これ以上ないくらい下手くそなラクガキだ。

 記憶にまかせて、「有名な画家」の絵を描いたら、一体人はどんな絵を作り出すものだろうか。たくさんの人が、たとえば、「ピカソ」の絵を描いたら、どんな絵の集合ができるのだろう。

「ピカソ」を記憶のままに描いてみる








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