2009-10-30[n年前へ]
■「京都市鴨川源流」を廻る「理系風デート」
青春小説のようなシーンを交えながら、数学世界を解説していく「数学ガール (結城浩)」を読んで、少し前に読んだ万城目学の「ホルモー六景 」を連想しました。連作短編集「ホルモー六景」中の一話、京都市左京区を舞台に、一人の男子高校生が自分では気づかないうちに年上の女子大生に抱いていた淡い恋心と、デート風の(けれど決してデートではない)一日の散策を描いた「ローマ風の休日」です。
「じゃあー少しだけ、僕とデートしてくれませんか?」
鴨川の始まりである出町柳辺りから、御池大橋までを舞台に、オイラーが解いた「ケーニヒストベルグ橋の問題」を題材にして、ローマの休日風な素敵で切ない数時間(と数ヶ月)を描いた一話です。見事なくらいに、微妙な心の機微と数学の世界が一体化した素敵で少し切ない短編です。
午後四時になってもまだ陽の高い、京都の休日へ繰り出した。
実際には、「ケーニヒストベルグ橋の問題」を解くという口実の(体力的に疲れそうな)デートに、付合ってくれる女性は少なそうな気がします。・・・とはいえ、この「京都市鴨川源流」を廻る「理系風デート」の一話、「ローマ風の休日」はとても楽しめる話です。
「ローマ風の休日」は「ホルモー六景 」だけでなく、何人かの小話を集めた短編集である「きみが見つける物語 十代のための新名作 休日編 (角川文庫 あ 100-103) 」にも収録されていますから、中高校生、あるいは、モラトリアムな大学生(社会人)は一度手に取って読んでみると面白いと思います。
ケーニヒスベルグの橋とは、プロシアの首都ケーニヒスベルグ(現在はロシア領カリーニングラード)を流れるプレーゲル河に架かる7つの橋のことである。この7つの橋を全て一度だけ渡り、元の場所に戻れるか、という議論によって有名となった。さて、鴨川源流を舞台にした「ケーニヒスベルグの橋の問題」はどのような答えになるでしょうか。ノートの上で手と頭で解いてみても良いですし、京都の街を自転車で走り、この数学の問題を足と体で解いてみると面白いと思います。そんな「理系風デート」があると・・・さらに、楽しいでしょうね。
ケーニヒスベルグの橋の問題は1736年に、数学者オイラーにより、地図を線と点で表現し、その図形を一筆書きできるかの問題と整理されて考えられた。その結果、一筆書きできない、すなわちケーニヒスベルグの7つの橋を求められた条件の下に渡る道順は無いとして、解決された。ケーニヒスベルグの橋は、グラフ理論とトポロジーの起源であると言われている。
ケーニヒスベルグの橋
彼女ははそれから、いろいろな数学の話を聞かせてくれた。
2009-11-01[n年前へ]
■無駄に終わる経験など何一つない
万城目学のエッセイ集「ザ・万歩計 」から。
小さなことからコツコツと。とはご存知西川きよしの名言であるが、まあ、世の中とは得てしてそういうものだなあ、と近頃ようやく思えるようになった。どんなことも積み重ねが大事であり、無駄に終わる経験など何一つないのだ、と近頃ようやくわかるようになった。
それは万歩計の目盛りを一つずつ増やす作業にどこか似ている。少し歩いたくらいじゃ、確かに何の意味もないのかもしれない。だが、目盛りの数字が(後略)
2009-11-04[n年前へ]
■きみが見つける物語
「京都市鴨川源流」を廻る「理系風デート」で紹介した何人かの作家による小話を集めた短編集である「きみが見つける物語 十代のための新名作 休日編 (角川文庫 あ 100-103) 」はシリーズになっていて何冊か出ています。、5人の作家、この「休日編」では、角田光代・恒川光太郎・万城目学・森絵都・米澤穂信という人たちが書いています。どの作家が描く世界も、切なさ・やるせなさ・楽しさ・・・あるいはたくさんの感情を与えてくれる素晴らしいものばかりです。
シリーズの一冊、「きみが見つける物語 十代のための新名作 スクール編 (角川文庫) 」では、あさのあつこ・恩田陸・加納朋子・北村薫・豊島ミホ・はやみねかおる・村上春樹というこれまた魅力的な作家たちの作品がまとめられています。先の「休日編」と同様に 藤田香織氏による紹介・解説と・各作家の作品が収められています。
「スクール」を舞台にした作品はどれも、自由さとよく自由の狭間で、はっきりとは見えない可能性の中を生きていく(生きてきた)主人公たちが描かれています。豊島ミホの「タンポポのわたげみたいだね」で始まり、村上春樹の「沈黙」を最後に置かれることで、全く別々の作家の別の作品なのに、まるで、一つのテーマを扱った短編集のようになっています。
「まだ時間は早いけれど、ビールでも飲みませんか」と少しあとで彼は言った。飲みましょう、と僕は言った。たしかにビールが飲みたいような気分だった。
村上春樹 「沈黙」
「休日編」「スクール編」ともに文庫本ですが、小さい割に、とても密度の高い本です。カバンに入れておくには、とても良い本だと思います。
2009-11-12[n年前へ]
■がんばりや。
万城目学「プリンセス・トヨトミ 」から。
「人は自分と違うことを、なかなか理解せえへん」
「でもね、女として生きるのも、いいことばかりやないよ」
「でも、何があっても、もう僕は負けへんと思う」
「少しづつ、世の中は見えへんところで変わっていくもんやと思う。どんな阿呆みたいな話だって、いつかはみんなに伝わる。だから、僕も伝えられると思う。」
「がんばりや」
2010-04-17[n年前へ]
■「チョンマゲ」始めました。
お笑いコンビ「ロザン」の片割れ、「芸人として成功するために、相方の宇治原を京都大学に入れた」管が綴る「京大芸人 」を読んでいて面白かったのが、この一節だ。
席に座りなにげなくまわりを見渡すと、僕の右斜め前に信じられない光景が目に入った。サムライがいた。そうか、万城目学の「鴨川ホルモー 」に出てくる、京都のチョンマゲ男は実話だったのか。ロザンの管が眺めた時代も…ちょうど、万城目学が眺めた吉田山の麓の景色に重なる頃だろうか。
正真正銘のサムライがいた。茶色の着物を着て、腰に刀を差していた。頭を見てみるとかつらではなく、地毛でチョンマゲを結っていた。
そのサムライはおもむろにカバンからパソコンを取り出して何やら作業を始めた。まるで、(中略)B級映画のワンシーンを見ているみたいだった。
このごろ都にはやるもの、勧誘、貧乏、一目ぼれ。葵祭の帰り道、ふと渡されたビラ一枚。チョンマゲ男は、なぜチョンマゲを始めたのだろう。どのように、チョンマゲを結い始め、そして、今はどんな髪型をしているのだろうか。
腹を空かせた新入生、文句に誘われノコノコと、出向いた先で見たものは、世にも華麗な女(鼻)でした。
このごろ都にはやるもの、協定、合戦、片思い。祇園祭の宵山に、待ち構えるは、いざ「ホルモー」。「ホルモン」ではない、是れ「ホルモー」。戦いのときは訪れて、大路小路にときの声。
恋に、戦に、チョンマゲに、若者たちは闊歩して、魑魅魍魎は跋扈する。