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2006-04-17[n年前へ]

「紙と仕事や伝言の量」 

 今日の「n年前へ」は「紙と仕事や伝言の量」などです。

紙が素晴らしい大きな理由の一つは「紙がモノである」ということだと、ふと考えた。例えば、かつて「本」は知識という形のないものを「本」というモノに物体化した。 あるいは、例えばポストイットが素晴らしいのは、伝言やメッセージを「一枚のポストイット」というモノとして姿を現させることである。 伝言のポストイットや、紙書類として姿を現された「何か」が、電子化の流れの中でまたモノとしての姿を消そうとしている。

2007-09-14[n年前へ]

「モーレツ科学教室」と「MatLab」 

 「キーワード」を介して繋がっているものは多い。そんなものを眺めながら、「そういうものではなくて、こういうものを作りたいな」と思うイメージが、今もまだ満たされていない。

 最近、越前屋俵太の「モーレツ科学教室」のDVDを出張帰りに新幹線の中で観ている。
 京都にいた頃、時折、日本海に行った。といっても、京都は日本海に面してるのだから、県の中を「ちょっとそこまで」移動した、という程度のことに過ぎない。その途中の辺りに、越前屋俵太が住んでいるという。越前屋俵太の「モーレツ科学教室」は本当に面白い。これを小さな頃に観ていたら、きっと科学が何の根拠もなく好きになっていたに違いない。
 MathematicaのプログラムをMatlabに変換する作業とビールのテイスティングを深夜まで。
MatLabの拡張コードの勉強をする。数年わからなかったことが、今日この瞬間にわかる。いや、わかったような気になる。きっと、本当はわかってない。
 そして、数年前には簡単に理解したことを、きっと、今はもうわからなくなっている。
私のMatLabのイメージは、「綺麗な未来の計画でなくて、汚い現実の机の上」という感じだ。「趣味」でなく「仕事」という感じだ。新しさや夢はないけれど、着実に仕事をこなす。そんな、感じだ。
 MathematicaやMatlabと、Photoshopを繋ぐインターフェースがあればなぁ。
 そう思うなら、思った時に作れば良かったんだな、と思う。価値を感じるものに、時間を使ってみれば良かったのにな、と思う。だから、作らなきゃ、と思う。
 そして、数年前には簡単に理解したことを、きっと、今はもうわからなくなっている。

2007-09-27[n年前へ]

ジェスチャーゲーム 

 外国文化の学習用に、ジェスチャーゲームをやった。出題された「単語」を次の人にジェスチャーで伝える、という仮題のゲームだ。"DNA"とか"Acid"が出題された時は、頭がまっ白になった覚えがある。
「あまりに複雑なものは、言葉で説明する方が楽だ」
 しかし、驚いたのは、"DNA"を次の人に伝えた人がいたことだ。
「できるはずだ」ということと、動くものを示して「ほらどうだ」ということの間には、天と地ほどの差がある。
「喋れない言葉」は聞こえない「喋れる言葉」は「音が消えていても」聞こえるようになる
 「喋れない言葉」は聞こえない。そして、「喋れる言葉」は音が消えていても、ちゃんと聞こえる。これは、不思議なくらい本当だ。
 急に寒くなった。もう冬がすぐそこにある。
 "DNA"を知っている人が相手なら、言葉でなくてジェスチャーでもきちんと"DNA"を思い浮かべさせることができる。DNAという言葉を喋れる人になら、その言葉の音が消えていても、ちゃんと伝えることができる。
今の仕事をきちんとこなしていく、それに尽きるなあ、なんて感じています。それがどんな地味な、力作業のような仕事であっても、です。だって今の私にできる、それがベストですもの。

2008-04-25[n年前へ]

「"複雑極まりない"複素平面」上に「仕事」と「趣味」を描く 

 複素平面"complex plane"は、複素数"complex number"の実部をx軸(実軸=real axis)・虚部をy軸(虚軸 = imaginary axis)にプロットしたものである。3+2iという複素数であればxy平面にx=3,y=2にを示す、そんな平面が複素平面だ(iは虚数単位=2乗した時に-1になる数である)。

 『「仕事」と「趣味」を2次元マップで1分以内に描け』言われたら、あなたならどう描くだろう?(同世代の)"Schemeを愛するプログラマ"が描いた「趣味と仕事の関係を描いた2次元チャート」を眺め、ふと私も「仕事」と「趣味」のイメージを2次元マップに描いてみたくなった。

 趣味を訊かれるといつもちょっと困る。私には趣味と仕事の違いがよくわからないからだ。
   Shiro Kawai

 人によって「仕事」と「趣味」というものの捉え方は違うだろうけれども、できる限り一般的に「仕事」と「趣味」という領域を2つの軸上に配置させるとしたら、どのように「仕事」と「趣味」を描くだろう?そんなことを「クイズの回答者になった気分で」描いてみたら、それは「複素平面」だった。(その人自身に対する)実利的・物質的でまさにリアルな"Real axis"と、イメージ的な「心の軸」を示す"Imaginary axis"というまさに実軸・虚軸で表現された複素平面である。


 この複素平面の縦軸(の上方向)は、自分の心を豊かにする軸と捉えることができるだろう。「虚」という文字よりは、"Imaginary"という文字で捉えたい「(その人自身の)心の満足」を示す軸、である。
 そして、横軸(の右方向)は、その人自身を実利的に満足させる軸である。しかし、その自分への「実利」という軸は、実は他人が何らかの形で価値を感じたことを示す軸でもあると思う。なぜなら、その「実利」は「他者が得た価値」が回りまわって流れてきたものに違いないからである。他人が得た満足が姿を変えたものであるから、である。つまり、この複素平面の横軸は「自分への実利」を示す軸であると同時に「他者を豊かにする軸」なのである。

 ひとことでまとめてしまえば、この複素平面は「本人(自分)の満足」と「他人の満足」という2つの軸で形作られる平面なのだ。

'Cause we are living in a material world. You know that we are living in a material world.
  Madonna "Material Girl"

 その人ごとに「仕事」と「趣味」の位置づけがあると思う。どんな軸を使って、どんな風に「仕事」と「趣味」を捉えるかは、みなそれぞれ違うはずだ、と思う。「自分の中で辛さを感じながら、実利を得る仕事」もあれば(右下の象限)、「自分自身の楽しさとともに実利を得る仕事」もあるはずだ(右上の象限)。そして、さらに言うならば、同じ仕事であったとしても、その仕事がどこに位置するかは、人それぞれ異なっているだろう、と思う。そして、同じ一人の人がする同じ仕事であったとしても、きっと「その捉え方」「その座標」は変化し・移動していくものだろう、と信じている。

俳諧で「虚実」ということがしばしば論ぜられる。数学で、実数と虚数とをXとYとの軸にとって二次元の量の世界を組み立てる。虚数だけでも、実数だけでも、現わされるものはただ「線」の世界である。二つを結ぶ事によって、始めて無限な「面」の世界が広がる。
   寺田寅彦 「無題六十四」

 もしも、上に描いた複素平面="Complex plane"、それを言い換えれば言葉通りの「複雑極まりない世界」の上に、今のあなたが抱えているだろう「仕事」と、あなたが楽しんでいるかもしれない「趣味」は、どんなXY座標上にプロットされるだろうか。"複雑極まりない"複素平面上に、あなたはどんな軌跡を描いているだろうか。


仕事と趣味の複素平面






2008-04-28[n年前へ]

「スペシャルな人が周囲から孤立しないために」 

 お金は世界に通用するものです。その通用するものの流れで見たとき、人と人がどうつながり、どこに人の共感が生まれ、自分の何に対してお金が支払われ、自分は食べていっているのか?それをクールに観察してみてください。
   山田ズーニー「おとなの小論文教室」



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