2009-06-17[n年前へ]
■「他者と付き合う」ということ
鴻上尚史の「表現力のレッスン 」 レッスン10 他者と付き合う から。
「他者」とは「受け入れたくないのに、受け入れなければいけない存在」であり、同時に、「受け入れたいのに、受け入れられない存在」のことです。
「他人」は、関係ない人のことです。苦労して付き合っていく必要も関係ない人のことを「他人」と言います。
ただ、自分の思いを表現するだけが表現力ではありません。表現力は、相手がどんな存在なのかを考える力でもあるのです。そのためには、相手にレッテルを張ってしまうことは、一番もったいないことなのです。
「他者」というやっかいで魅力的な存在と付き合うためには、まず「他者」の事情を知ることです。それが、「他者」と付き合う大切な方法なのです。
「他者」がくれる喜びは、「他人」がくれるものとは、較(くら)べものにならないぐらい強いものです。それは、人と深く付き合ったことのある人ならみんな知っています。
そして、「他者」がくれる苦しみも、「他人」とは、較べものにならないぐらい強いものです。
それが「他者」と付き合う魅力なのです。
2009-12-03[n年前へ]
■NEWS今昔物語「他人と自分」編 (2004年06月00日)
5年前のNEWS(未来)を振り返ってみて思うこと
この時、つまり5年以上前のNEWSは「評価」「比較」ということを主題に集めたように思う。NEWSを書きながら、他者との評価・比較や他者からの評価・比較といったことが念頭に浮かんだ。だから、「他人と自分」編というサブタイトルを付けた。
最近のNEWSのひとつに「事業仕分け」がある。これもひとつの「他者による評価」「他者との比較」である。5年前の記事中にスーパーコンピュータに関する記事もあるが、今現在、次世代スーパーコンピュータも俎上(そじょう)に上がっている。一体、スーパーコンピュータに関する「事業仕分け」では、どのような「評価」「比較」がされていくのだろうか。
ところで、「自分への視線を発見・記録するメガネ」だが、自分への評価を眺めることができて、さらに、「自分を対象とした事業仕分け」まで解析・表示することができる「新カメラ」すら、いつの日か生まれるかもしれない。まるで、SFのようだが、これまでの科学技術の歴史はSF本の中のものをたくさん具現化してきた。もしも、そんな「個人対象の事業仕分けカメラ」が生み出されてしまったら…考えるだけで恐ろしい。
(記事を書いた時の)ひとこと
「他人」と「自分」という「人」と、「機械」や「機械ができること」についてのNEWSを集めてみました。
「センター試験」と「2次試験」の数学の得点は無関係?
東北大学の理学部志願者の「センター試験」と「二次試験」の各教科成績を調べ、外国語などはセンター得点が高ければ2次得点も高いという相関が表れたが(例:基礎統計学から見た入試)、数学では相関が極めて低かった、との 森田康夫氏による分析結果が5月30日に報告された。 その点数のズレの原因は、大学が重視(評価)する二次試験は「論理的思考能力」を重視し、センター試験は「計算能力」を重視(評価)しているためであるという。
最近は、エンジニアに対する評価をどのように行うか、という論議もよく見かける。 しかし、誰もが納得するような評価を行うということは極めて難しい問題である。少なくとも大学入試には解ける問題しか出題されないが、この評価制度の場合は解くことが未来永劫できない難問だったりするのかもしれない。
自分への視線を発見・記録するメガネ
「赤外線を投光し、角膜からの反射光が瞳の中心に位置するかどうかを解析することにより、自分への視線を発見・記録する」というメガネの研究が5月4日に視線入力に関するシンポジウムで報告された。このメガネをかければ、自分が何を眺めたかだけでなく、誰が自分を見つめたかまで記録される(MPEGビデオ)。逆に言えば、自分の視線が何処を向いているかを記録されてしまうのだから、サングラスをかけて自分の視線を隠す人が増えるかもしれない。
そういえば、携帯電話で撮影した顔写真を送信すると、その「顔」がどの芸能人に似ているか評価・採点してくれるサービスなどもある。同じように、他人が自分を眺めながら「どんな評価・採点をしているか」まで視線から知らされてしまったら…? そんな「評価スカウター」があったら、人の視線・評価が気になってたまらなくなってしまうに違いない。
高性能計算用途のWindowsと2テラFLOPSのGRAPE-DR
先日、Microsoftが「高性能コンピューティング向けのWindows」の計画を開始した。 並列計算をWindowsで行いやすくする、という計画である。とはいえ、私たちの手元にあるようなクライアント用のWindowsではなく、あくまでサーバー用のWindowsの話だ。ExcelからグリッドPCを用いた演算機能を利用できるようにするという製品もあるが、残念ながらそういった環境はまだ一般的にはなっていない。一般的でもお手軽でもないからこそ、「スーパー」コンピュータなのである。
当初は「20万円で作ったスーパーコンピュータ」という売り文句で有名になったGRAPEだって進化を続け、先日は2ペタフロップスを実現しようとするGRAPE-DR計画も発表された。汎用計算ができるわけではなく、あくまで専用計算機であるから、比較するわけにはいかないが、2テラFLOPSというのはスゴイ世界だ。何しろ、一秒間に2千兆(2000000000000000)回もの浮動小数点演算を行ってしまうのだから。
米国防省の検閲語句がフォント解析で解読される
米国防省のイラクに関する文書から「検閲により消されてしまった文字」を、消された単語の幅を推定し、フォント(字体)の種類を考慮して(その単語の幅になる)文字の組み合わせを調べだし、妥当な単語・名称をしらみつぶしに検索することで、消された文字を復元したという5月13日の Natureで報告された。コンピュータ上の電子辞書と文章解析ソフトだけで、米国防省の検閲を突破できたわけである。
ところで、こんな風に機密保持のために塗り潰した部分が解読されてしまったのも、そもそも紙資料の画像で機密文章を公開したからである。いつまで紙文化が続いていくのだろうか。
2010-01-29[n年前へ]
■本当の私はもっと「キレイ」!? (初出:2005年09月01日)
「心の中が見える装置」ではありませんが、普通は見ることができないものを、実際に自分の目で眺めてみるというのは、とても面白いものです。
「人が一番見ることができないもの」とは、一体どんなものでしょう?・・・もしかしたら、「人が一番見ることができないもの」の一つが、「他人が眺める自分の顔」かもしれません。
自分が眺める「心の中の自分の顔」と、他人が実際に眺めた「客観的な自分の顔」は結構違うことが多い、と思ったことがある人は多いのではないでしょうか。
デジカメで撮影された自分の顔を眺めて、「本当の自分の顔はこんなじゃないのに…私は写真写りが悪いの?」なんて考えたことがある人もいるのと思います。
つまりは、「鏡の中」に自分が見る(思いこむ)「自分の顔」と、他の人が見る「自分の顔」はきっと結構違うものなのではないでしょうか。逆に言えば、「自分が見る(思いこむ)自分の顔」というものは、他人は見ることができないわけです。
そういえば、人の顔写真を「何が何でも美人にしてしまう」美人フィルタというものを作ったことがあります。どんな顔でも?「お目々パッチリの美人顔」にしてしまうソフトです。
顔写真を撮って「撮影した顔」と「美人化した顔」を見せられたら、人は「美人化した顔」の方が「本当の自分の素顔」だと、主張する・思うのではないだろうかと、ソフトを作った時にふと考えました。
他人=周りの人は当然のことながら、「撮影した(誰かの)そのままの顔」を「本当の顔」だと思うことでしょう。けれど、その一方で、撮影された本人からすれば、「撮影した顔」では、「本当の顔をちょっとブサイク化」したものに思えてしまうのではないか、と予想したのです。「美人化した顔」の方こそ「本当の自分」だと感じているのではないか、などと妄想したのです。
「人が一番見えないものは、自分自身だ」といいます。美人かした写真・そのままの写真・ブサイク化した写真、・・・そのうちの一体どれを、人は自分自身だと思うのでしょうか?
2010-02-17[n年前へ]
■諺(ことわざ)・名言が響かす心地よいリズム
諺(ことわざ)・名言には心地良いリズムがあり、そして、何度繰り返し聞いてみても辿りつくことのできない奥深さがある。
Easy to say, hard to do. Saying and doint are two things.金言とそ実例が繰り返されるような、そんな文の連なりを読んでいると、魅力ある山道を歩き・景色を眺めているような気分になる。
言うは易く、行うは難し。「案じるより団子汁」「好きこそ物(もの)の上手なれ」「古きを温(たず)ねて、新しきを知る」…七五のリズムが心地良く体と頭の中に強く響いてくる。
規則正しく、しかし同時に緩急も備えた文章は、究極かつ至高のショートショート集なのかもしれない。
(ギリシア哲学のターレスに、ある青年が聞いた)「では、いちばん易しいことは?」彼は片目をつぶってニヤリ一言。「他人に忠告することだよ」