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2002-01-20[n年前へ]

徳川埋蔵金殺人事件 

超論理特許ミステリー「狩野埋蔵金の埋蔵場所を解読し発掘する方法」





 ワタシの勤務先では「一年に*本特許を書くべし」という恐ろしいノルマがある。もちろん、こまめに書いていれば何の問題もないのだけれど、他の仕事にかまけてついつい後回しにしていたりすると、年末や期末には特許をまとめて書かなければならなくなる。架空の物語を量産する小説家のように、架空の実験データを描き整理し、架空の特許を量産しなければならなくなるのである。

 いつものごとく、昨年末もそうだった。年末の最後の二三日は特許書きで追いつめられ、しかも書き上げられずに、できの悪い小学生のように、家へ書きかけの特許を持ち帰って、正月休みに特許を書かなければならなくなったりしていたのである。そんなわけで、正月番組を見ながら、特許庁の電子図書館のサイトにアクセスし特許調査をしつつ特許を書いていた。が、正月番組などを眺めているせいか、どうにもマジメに特許が書けなかったりするのである。いつしか、ビールを飲みながら仕事とは全然関係無い特許公報を眺めていたりしたのである。

 今回、紹介する特開2001-42765「狩野埋蔵金の埋蔵場所を解読し発掘する方法」という公開特許公報もその一つである。キャッチーな名前で想像つくとは思うが、なんとこの特許出願はいわゆる赤城山徳川埋蔵金の場所を発掘するための特許なのである。世に出される特許は数多く、埋め立てゴミの数より多いくらいかもしれないが、そんな中でも「埋蔵金の隠し場所を解読し発掘する方法」なんて特許は見たことがない。歴史ミステリー、暗号ミステリー、そして、ご当地モノミステリーなどが好きなワタシは思わず目を奪われ、その特許を読み始め、そしてこの超論理特許ミステリーの世界に引き込まれたのだった。

 そして、この特許のあまりの素晴らしさに今回こんな感想文を書いて、世の中にこの超論理特許ミステリー特許を広めたいと思うのである。そして、さらにはこの感想文を読んだ人が特許フォーマットに慣れ親しみスラスラと特許を書けるようになり、ワタシのように特許を書き残しで苦しむ人が減ることを強く望む次第なのである。
 

 さて、特許では、まず「発明の名称」を書かなければならない。この特許でももちろんそうだ。というわけで、
「発明の名称」 狩野埋蔵金の埋蔵場所を解読し発掘する方法
 
 何とも、キャッチーな名前である。これが火曜サスペンス劇場であれば、「徳川赤城山埋蔵金全裸殺人事件2 湯けむり露天風呂で美人女子大生が消えた!村に残る伝説が不気味に今よみがえる!」くらいにはパワーアップすることだろうが、特許の書類としては十分に魅力的である。この名前を見れば、誰しもワタシのようにこの特許の世界に引き込まれるハズである。

 そして、次に「どんな範囲のこと」を特許として宣言するかを書くわけだ。これを請求項と呼ぶが、この特許はもちろんこれだ。
「請求項」 従来一般に赤城山徳川埋蔵金といわれている黄金の埋蔵場所を発見・発掘すること

 なんと、赤城山徳川埋蔵金といわれている黄金の埋蔵場所を発見・発掘してしまうのである。特許を書いて大金を手に入れるという話はたまに聞くが、特許を書いて埋蔵金を手に入れるという話は聞いたことがない。まさに、夢というか、男のロマンというか素晴らしい特許なのである。

 そして、次に「従来の技術」というセクションが続く。つまり、従来はこんな問題がありますよ、こんなに不便だったのですよ、ということを書くのである。それに対して、今回書いたこの技術はそんな「従来の課題」を解決できて、価値があるのですよ、と訴えるのだ。そこで、この特許は説く、

「従来の技術」 従来の技術は、解読に科学性が不足していたために、経済効果の悪いものであった。…暗号のかたちで示されている埋蔵金を資源として再利用するためには、闇雲に探したのでは経済的に成り立たないので技術とは言えない。埋蔵金の探査技術が発達すれば、埋蔵金の発掘は夢や学問でなく産業になるであろう

 なんと、これまでの発掘を「技術とは言えない」と喝破しているのである。かつて、近所の埋蔵金伝説に、電子ブロックの金属探知器を頼りに闇雲に探そうとしていたワタシなどは、「あぁ、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ…」と謝らなくてはならないような勢いなのである。この作者発明者は埋蔵金の探査技術が発達すれば、埋蔵金の発掘は夢や学問でなく産業になるとまで謳いあげるのだった。今さっき、埋蔵金探しは「夢で男のロマンだぁ」と書いたワタシはさらに「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ…」と謝らなければならないのである。

 さらに、従来の「埋蔵金探し」を箇条書きに上げ、

  • 勘で場所を決めて、縦穴を掘り、さらにいくつもの横穴を掘ったり、ブルトーザーで土を押しのける
  • 百年にもわたり、長期間諦めずに掘る
このいずれも科学的でないと問題点を挙げるのである。従来例が妙に具体的で、「百年も諦めずに掘ってるのは一体ダレのこと?」とか、「縦穴を掘ったり、横穴を掘ったり、ブルトーザーで土を押しのけるってそれも一体ダレデスカ?」とツッコミを入れたくなり、さらには、「それって…テレビでも観ながらこの特許を書いたのではないデスカ?」と思ってしまうほどなのだ。

 しかし、そんなミステリー特許に引き込まれていくワタシの心の中のツッコミなど知る由もなく、この埋蔵金小説許では、引き続き具体例を挙げて特許の内容を説明していくことになる。それが、次の「実施例」である。具体的な資料群をもとに、埋蔵金発掘に迫るストーリ〜が書き示されている。

 、この資料群がスゴイのである。何しろ、こんな感じなのだ。

  • 資料A 「常習赤城におよそ三百六十万両。古井戸を掘ることを手がかりとすべし」という水野家に伝わる遺言
  • 資料B 「寺の床下から発見された方位図・地図・暗号文書」
  • 資料C 「空井戸から発見した銅板と像」
  • 資料D 「黄金埋蔵はアッという間にされたらしい、という地元住人のウワサ」
どうだろうか。何と、提出された添付資料は地元住人のウワサである。火曜サスペンスも真っ青である。特許庁に申請される特許は数多く、星の数ほどもあるだろうが、そんな中でも地元住人のウワサを添付した特許は他にあるのだろうか?添付された図面資料だって、なんてったって、床下から発見された暗号文書だったりするのである。歴史ミステリーが大好きで、猿丸幻視行を楽しんだワタシなどはもうたまらない面白さなのである。
 
資料Bの一部 「暗号文書」
まさに、歴史ミステリーである

 
寺の床下から発見された方位図・地図

 しかも、資料Aの「常習赤城におよそ三百六十万両。古井戸を掘ることを手がかりとすべし」という遺言に対しては、「ここで疑問に思うのは、義父が何故もっと詳しく埋蔵場所を教えなかったのか」などと死者にムチ打ち、マジメなのかそれともツッコミ?と言いたくなるような感想・疑問を書き、この疑問に対して延々2ページに渡り超論理的考察、超心理的考察を加えることで、ついには「埋蔵金は七つの古井戸に埋蔵されたことになる」と、超論理科学的に鉄槌結論を下すのである。

 そして、下に示す「寺の床下から発見された方位図・地図・暗号」を基に、黄金分割を始めとする数学的考察などを駆使し、埋蔵金の位置を推定する。しかも、単に推定するだけでなくて、経済的・効率的に発掘をするために埋蔵金の位置の計算誤差を延々と論じて、ついには誤差50cm〜7m弱だと推定するのであった。なるほど、この歴史ミステリー小説特許は単に技術特許にとどまらず、経済を見据えた経済ミステリー特許でもあったのだ。「埋蔵金の発掘は夢や学問でなく産業になる」のだ。

 さて、この埋蔵金ミステリーで指し示された「埋蔵金の埋まっている七つの古井戸」がどこであるかを知りたい人も多いだろう。ということで、特許の図を重ね合わせ、埋蔵金の埋まっている七つの古井戸の場所をプロットしてみたのが、次の図である。どの辺りか判らない人のために、広域地図をリンクしておくとここら辺りということになる。
 

ここが埋蔵金の埋まっている場所だ

 さて、この特許の最後には「なお、この辺りは便利な住宅地向きの環境になりつつあるので、住宅が建設される前に発掘することが望ましい」
と産業としての指針まで描きつつ筆をおくのである。

 どうだろうか、面白いミステリー小説特許だったのではなかろうか?そして、特許なんて簡単に書ける、と思った人もいるのではないだろうか?そして、どんどん特許を書きたくなる、と思う人も多いに違いない。で、ワタシは思うのだ。できれば、できることであれば、その書いた特許をワタシにも少し分けて頂いて、ワタシのノルマを少しでも減らして欲しい、と強く強く思うのである。
 
 
 

2002-10-20[n年前へ]

街の灯 (City Light) 

人口密度と夜の光

 先日、こんな綺麗な画像を教えてもらった。人工衛星(DMSP)から撮影された地球の夜景だ。世界中の色々な街が光り輝いていて、とても美しい景色が見える。この下に貼り付けてある写真はとても小さい写真なのだけれども、オリジナルの写真を眺めていると、色んな国の街の灯が目の前に浮かび上がってくるかのように美しい景色に見える。
 

人工衛星(DMSP)から撮影された地球の夜景( City Lights )
( http://antwrp.gsfc.nasa.gov/apod/ap020810.html)

 他にもこの衛星を利用した画像は眺めることができて、例えば画像サイズが(30000×15000)なんていうものさえ眺めることができる。そんな大きな画像だと、世界中に散らばる「それぞれの街の灯」がそれぞれ別に浮かび上がってくるようにさえ見える。そんな夜景の世界地図を「何て美しい景色なんだろう」とワクワクしながら、自分がよく知っている日本列島周辺を眺めていると、何だか不思議な景色が目に入ってきた。何だか眺めている景色の中に小さな違和感が見えてきたのだ。おそらく、日本周辺を眺めてみればきっと誰でもその不思議な景色に気づくに違いない。
 

日本周辺の夜景

 そう、朝鮮半島が何だか少しヘンなのである。韓国と中国の灯に挟まれた辺り、つまりは北朝鮮が真っ暗なのだ。「光り輝く」「偉大なる首領様」のいる国とは思えないくらいに真っ暗なのである。ワタシは「偉大なる首領様」はてっきり無意味に飾ることが大好きなのかと思っていたが、どうやら東京電力のでんこちゃん並に省エネ・電気の節約に励んでいるのだろう。北朝鮮は省エネ先進国だったのである。あるいは、もしかしたら北朝鮮は中国の奥地並みに人口密度がとても低く、街なんかほとんどなくて、だから夜の街の灯なんか無いだけなのかもしれない。
 そうでないとしたら、この夜景はとても何か不安になる景色だ。

 そこで、「世界の人口密度分布」を眺めてみることにした。それが下の世界地図画像である。灰色の地域は人口密度が低くて、白色が中くらいの人口密度で、紫色の地域はとても人口密度の高い地域だ。
 この世界の人口密度分布を眺めてみると、北朝鮮は決して人口密度が低いわけでなくて、単に「人口密度の割に夜の街の灯はとても暗い」ということが判る。北朝鮮には多くの人が住んでいてきっと多くの街があるにも関わらず、夜の街は真っ暗なのだ。そんな不安になる国が、「光り輝く」「偉大なる首領様」のいる国だったのである。
 

世界の人口密度分布

 ところで、そんな「人口密度の割に夜の街の灯はとても暗い」地域は決して北朝鮮だけではないだろう。日本のように「人口密度が高くて夜の街の灯も輝いている」わけではない場所が世界中にはたくさんあるはずだ。人工衛星から撮影された地球の夜景地図では、そんな「夜の街の灯がとても暗い」地域は見えてこないのだけれども、世界地図の中には、そんな地域が散らばっているはずだ。

 世界地図の中に散らばるそんな地域を目の前に浮かび上がらせるために、最初の画像「人工衛星から撮影された地球の夜景」と「世界の人口密度分布」の二枚の画像を利用して、画像解析により「人口密度に対する夜の街の灯の明るさ」を算出してみた。それが下に示した画像だ。ここで、黄色で示した地域は「人口密度の割に夜の街の灯はとても暗い地域」で、紫色で示した地域は「人口密度は高く、夜の街の灯も輝いている地域」である。

 黄色い地域は北朝鮮のように「人は多くいるのに夜は真っ暗で華やかな街の灯りなんかない」地域で、紫の地域はアメリカやヨーロッパ、そして日本のような「人口密度の割に夜の街の灯りが輝いている」地域である。
 

「人口密度に対する夜の街の灯の明るさ」

黄色の地域: 人口密度の割に夜の街の灯はとても暗い地域
紫色の地域: 人口密度の割に、夜の街の灯も輝いている地域

 こうしてこの結果の世界地図を眺めていると、アフリカを中心としてアジア周辺にも「人口密度の割に夜の街の灯はとても暗い地域」が広がっているようすが見えてくる。特に、「人工衛星から撮影された地球の夜景」では闇に埋もれていたアフリカの辺りがこの世界地図の中では黄色くはっきりと浮かび上がってくる。
 

 「人工衛星から撮影された地球の夜景」=「街の灯」を一番最初に眺めた時には、こんな黄色い地域は見えなかった。明るく綺麗な夜景は見えていたけれど、こんな「多くの人がいるのにとても暗い地域」はあの写真には写っていなかった。少なくとも私には見えていなかったように思う。
 だけど、今は最初に眺めたあの「地球の夜景」の写真の中からだって、とても綺麗なだけの「地球の夜景」とは少しだけ違う「街の灯」が見えてくるような気がする。そう、ちょうどチャップリンの「街の灯」に登場する花売り娘、見えなかった目が治り、見えていなかった景色を目の前にした娘のような気分だ。少しだけ夜目がきくようになった私には、前とは少し違うそんな「街の灯り」が見えるような気がする。人工衛星からの写真には写っていなかった「街の灯」が見え宇ような気がする。 あなたはどうですか?あなたは見えるようになりました?

"You can see now?"

2002-10-26[n年前へ]

世界を映す玉手箱 

掌の上の不思議な世界

 先日、人工衛星から撮影された夜の地球を眺めてみた。そんな夜の地球で輝いている「街の灯」を眺めていると、そんな宝石のような地球を自分の掌の上に載せて眺めてみたくなる。夜の「街の灯」できらめいていたり、人が住んでいるのに真っ暗だったりする、そんな小さな地球を作ってぼんやりと眺めてみたくなる。

 そういえば、一年近く前に「小さな掌に未来の地球儀をのせて」でメルカトル図法の地図画像から正二十面体展開図を作成して、小さな正二十面体の地球儀を出力するソフトウェア"Icosahedron"を作ったことがあった。このソフトとプリンターがあれば、色んな地図から掌に載る小さな地球を作ることができる。そして、自分の掌の上で小さな「夜の地球」を眺めてみることができる。
 

"Icosahedron"で作った「小さな正二十面体の地球儀」

 そういうわけで、夜の地球の画像を"Icosahedron"で読み込んで「小さな正二十面体の地球」を作ってみたのだけれど、その作業の途中で"Icosahedron"をいじって、

  • うっかりミスのバグ修正(メルカトル→正二十面体展開図変換が間違っていた)
  • のりしろ部分をきちんと描くようにした
  • ソフトから直接印刷もできるようにした
  • Susieプラグインに対応
という辺りを少し手直ししてみた。下はその新しい"Icosahedron"の動作画面だ。
 
正二十面体展開図作成ソフト"Icosahedron"の動作画面
  1. Loadボタン → メルカトル図法で描かれた画像ファイルを読み込む 
  2. Resizeボタン → 作成する正二十面体のサイズを決める。プリンタでの出力解像度、正二十面体の直径を決める。 
  3. Convertボタン → 正二十面体の展開図を作成する 
  4. Saveボタン → Windows Bitmapファイルとして正二十面体の展開図を保存する 
  5. Printボタン → プリンタで印刷する


 ところで、地球を中心にして地球を全周囲から眺めた様子を二次元に投影したものが地図だけれど、その全く逆のことをしたものがある。それはパノラマ写真である。何故なら、パノラマ写真は「世界の何処か一点を中心として、その点から全周囲を眺めた様子を二次元に投影したもの」であるからだ。つまり、「何処かを周囲から写したものが地図」で「何処かから周囲を写したものがパノラマ写真」であるという違いだけで、その二つはほとんど同じものだ。だから、パノラマ写真を元にして、Icosahedronで正二十面体を作ってみても、ちゃんとした世界ができあがる。

 例えば、パノラマ写真を元にして、"Icosahedron"で「とても巨大な正二十面体の展開図」を作って、景色が印刷された面を内側にして「人が入れるほどの巨大な正二十面体」を作ってみれば、それは即席のパノラマ上映館となる。そしてまた、逆に景色が印刷された面を内側にして「小さな正二十面体の展開図」を作って組み立ててみれば、それは周囲を全ての景色をまるで鏡のように映し出す不思議な水晶玉のようなものができあがることになる。外に向かって「何処かから見た外側の景色」を映し出す不思議な水晶玉ができあがることになる。

 結局のところ、数学的に言えば「巨大なパノラマ館」と「小さな水晶玉」の違いは曲率の符号が反対、というだけである。「巨大なパノラマ館」の場合は曲率がプラスで「世界が閉じて」いて、「小さな水晶玉」の場合は曲率がマイナスで「世界が開いて」いて、そして「正二十面体の展開図」の場合は曲率が0で「世界が平坦」だというだけの違いにすぎない。だから、「巨大なパノラマ館」はその中に向かって「何処かから見た外側の景色」を上映しているけれど、「小さな水晶玉」の場合はその外側に向かって「何処かから見た外側の景色」を上映している、ということになる。「巨大なパノラマ館」を"insideout"にひっくり返してみれば、世界が開かれた「小さな水晶玉」に変身するというだけだ。
 

 以前、「箱根の湖尻から眺めた早朝の世界」をパノラマ写真にしたことがあったが、試しにこのパノラマの景色を映し出す小さな水晶玉を作ってみよう。
 

箱根の湖尻で眺めたパノラマの世界

 上の「箱根の湖尻から眺めた早朝の世界」を閉じこめた「小さな正二十面体」が下の展開図だ。これを組み立てさえすれば、小さな正二十面体の中に「ある場所から眺めた世界」が映し出されることになる。ちょうど、透き通った水晶玉を通して色々な場所からみた景色を眺めるように、この小さな正二十面体を覗けば「箱根の湖尻から眺めた早朝の世界」を眺めることができる。
 

眺めたパノラマの世界を小さな正二十面体に閉じこめた

 そしてまた、小さな正二十面体に閉じこめることができる世界はパノラマ写真に限らない。例えば、「自分の周囲を描いた絵画」であっても構わないだろうし、あるいは「自分が描いた何か」であっても良いと思う。そんなものを小さな水晶玉に閉じこめてみれば、その水晶玉は「自分の描いた世界」を外側に向かって映し出し始めるのである。

 例えば、エッシャーの「夜と昼」を正二十面体の世界に閉じこめてみたのが、下の展開図だ。これを組み立てれば、エッシャーの描いた世界が、エッシャーの描いた「昼と夜」が小さな正二十面体の中から映し出されることになる。これを組み立てた正二十面体を覗いてみれば、不思議なエッシャーの世界を色んな方向から眺めることができるのである。
 

エッシャーの世界を小さな正二十面体に閉じこめる
"Day and Night"
「エッシャーの昼と夜の世界」

 こんな風に、色んな画像から色んな「世界を映す玉手箱」を作ってみて、例えば「何処か旅先で撮った写真」や、例えば「誰かと撮った集合写真」や、例えば「自分の描いた落書き」や、色んな何かで小さな正二十面体を作ってみれば、きっと何か世界を写す小さな玉手箱ができあがると思う。その人だけの「その人の世界」を外に向かって映し出す小さな水晶玉ができあがるに違いない。正二十面体に閉じこめられた、だけど外に向かって開かれた、そんな世界を眺めてみるのはきっととても面白いことだろう。

 もしも、あなたがそんな小さな正二十面体を作ってみたなら、ぜひぜひその「世界を映した玉手箱」を写した写真をにも送ってもらえるとうれしいです。そんな小さな世界の展覧会も開いてみたい、ですしね。

2003-03-06[n年前へ]

伊能忠敬は何処を歩く? 

 「音楽の“サビ”だけ抜き出す試聴システム」の「もともとモーツァルトの頭のなかで楽曲すべてが2次元的に見えていたのだとしたら、既存の楽曲であっても、それを2次元的に解析して見ることができれば、モーツァルトのように、『天才』にしか見えなかった世界を見ることができるようになるのかもしれない。」という「構造解析という音楽の地図」と題する文章を読みながら、それを読む数分前に書いた、そして読んだ「別の世界の地図」「別の世界の測地学」に関するメールを思い浮かべた。

 そのメールを書きながら「そういえば、私は測地学研究室の卒業生だったんだなぁ」と思い出していた。同じようなことをしていたんだなぁ、と不思議な既視感におそわれた。

 一体、21世紀の伊能忠敬はどんな世界を歩いて、どんな地図を作るのだろう?

2003-08-01[n年前へ]

ユーザー参加型「バカ日本地図」プロジェクト 

 「群馬・栃木・茨城の三つの区別がはっきりしてない人が多かったので、全部茨城にしました」「京都が日本海に面しているのは意外だそうなので、京都の海岸沿いを兵庫県にしました。結果、名所・天の橋立は兵庫県に属すことになりました」というようなアルゴリズムにより生成される「バカ日本地図」 人が県をごっちゃにしている具合を地図上で描いていけば、バカが思い描いている日本地図ができるのではないか、という発想がなんと素晴らしいことか。
 この地図では東京ディズニーランドはちゃんと東京都。



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