hirax.net::Keywords::「寺田寅彦」のブログ



2008-12-26[n年前へ]

「田舎の湾」と「西原理恵子」と「寺田寅彦」 

 山に囲まれた場所に住んでいると、その山の高さや存在感を強く感じる。空を囲む山々が見せる色の変化で、季節や日々の時間を感じる。そして、海辺に住んでいると、海の色や空の色、あるいは、海の向こうに霞んで見える山の色から、そんな移ろいを感じる。

 西原理恵子のマンガには、よく高知の浦戸で見ただろう海の景色が描かれる。時には言葉で、時には淡いけれど鮮やかな色の絵で、浦戸の景色が描かれる。

おねえちゃん、今日の船、
誰か知ってる人のってんの?
ねえちゃんとボクは手をふった。

西原理恵子 「ぼくんち

 そんな浦戸の海の景色を、寺田寅彦も同じような言葉を綴る。寺田寅彦と若くして結婚し、浦戸湾口の種崎海岸で療養していた夏子を思い浮かべながら、同じようなことを書いている。船の上からの視点で、こんな言葉を書く。

種崎の方の岸に見ておるらしき女夏に似たり

寺田寅彦 日記 明治34年11月25日
浜を見たけれど、約束の人見えず

寺田寅彦 日記 明治35年1月19日
 寅彦自身が療養していた須崎と高知の実家を、寅彦が船で行き来する時には、浦戸湾先の海岸にいる夏子に手紙を書いて知らせ、手を振り合ったという。



 海と山に囲まれている町に住んだりすると、寅彦が書く文章や西原理恵子が描く景色が、写真以上に写実的に見えてくる。そんな浦戸の海辺の景色をいつか見に行ってみたいと思う。太平洋に面した広い海原と、穏やかな湾の水面を眺め、海と空と岬の色を眺めてみたい、と思う。

船からは
みかんの花みたいにちいさい手が
ぴらぴらするのがみえて、

みんな自分の一番好きな人と
まちがえてるんだろうと思う。

西原理恵子 「ぼくんち
  

2009-01-03[n年前へ]

「一つの石ころに世界を見る」 

 一つの石ころにも世界が含まれている。それが見えない人は、見たくない人か、盲目である。物事に対してツマラナイというのは、「自分はその物事に対してツマルある物を発見する能力をもたない」と自白するに過ぎない。
寺田寅彦

2009-06-29[n年前へ]

「工科」と「理科」 

 松本哉の「寺田寅彦は忘れた頃にやって来る (集英社新書) 」から。

 「工科」ほどすぐに何の役に立つということでもないし、腹の足しにも、金もうけにもならないが、こんなことを考えるのが「理科」だ。

2009-07-02[n年前へ]

寺田寅彦 妻たちの歳月 

 寺田寅彦 妻たちの歳月

 寺田寅彦といえば、戯歌「好きなもの いちご コーヒー 花 美人 懐手して宇宙見物」で知られるように、科学と文学の間を軽やかに往来したスーパー物理学者である。私もまた、耳の中の音や金平糖の話など日常に潜む不思議を題材にした科学エッセーを愛読してきたひとりだ。

 だが本書を読み、寅彦にもっとも似合うのはそのいずれでもなく、晩年の随筆「曙町より」にある「風呂の中の女の髪は運命よりも恐ろしい」という一節だったと知った。

最相葉月 「寺田寅彦 妻たちの歳月 」への書評

2009-07-19[n年前へ]

「欠点」と「美点」 

 寺田寅彦の「柿の種 (岩波文庫) 」から。

 自分の欠点を相当よく知っている人はあるが、自分のほんとうの美点を知っている人はめったにないようである。欠点は自覚することによって改善されるが、美点は自覚することによってそこなわれ亡(うしな)われるせいではないかと思われる。
 もし、「この一文について論ぜよ」というレポート課題を与えられたら、一体どのようなことを考え・書くだろう。

 「欠点」は自覚すると、改善はされても消えることがなく、「美点」は自覚すると、姿なく消えるのだろうか。欠点と美点は、1枚のコインの裏表のような関係にあることが多い、とも思う。寺田寅彦を洞察をこの一文に重ねてみると、そこから一体どんな推論ができるのだろうか。



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