2009-12-10[n年前へ]
■NEWS今昔物語 「色んな勘違い・間違い」編 (初出2004年07月00日)
5年前のNEWS(未来)を振り返ってみて思うこと
この後、「新書マップ」は「実際の書籍」になりました。まるで本の巣窟、はたまた、迷宮のような実に分厚い本になりました。私も買ったのですが、あまりに収録されている書籍の数が膨大で、全ては未だに読むことができていないような気がします。
ハチは実は怠け者?
「忙しい蜂は悲しむ余裕をもたない」「蜜蜂が他の動物より尊敬されるのは、勤勉であるからではない。他の者のために働くからである」というような言葉に表されるように、ミツバチは「働き者」の代名詞となっている。しかし、実際のミツバチは働き者どころか怠惰をむさぼる怠け者だったらしい。
先月、ドイツ動物学学会から蜂の研究に対する表彰を受けたベルリン自由大学教授のRandolf Menzel博士が言うには、「蜂は夜の80%は寝ているし、昼もすぐ飛ぶのを止めて羽を休めている」らしい。とかく残業が多くなりがちで休むヒマもないひとたちは、ミツバチに(自分自身を重ねて)仲間意識を持っていたりするかもしれない。しかし、哀しいことにそれは勝手な思いこみによる誤解だったようだ。
ホーキング博士が認めた「誤り」と「寺田寅彦の学位論文の誤り」
物理学者スティーヴン・ホーキング博士が、「ブラックホールに落ちた物質が持っていた情報は失われてしまう」という-量子力学に反してしまう「ブラックホールの情報喪失問題」における誤りを認めた 、とnature.comで7/15に発表(日本語訳)された。
ホーキング博士でも誰でも「誤り」はある。そういえば、随筆でも有名な物理学者である 「寺田寅彦の尺八の音響学に関する学位論文にも誤りがあった」という。優れた物理学者達でもミスをする、と聞くと少しホッとする。しかし、自らがおかしているハズのミスの数々を顧みると背筋に冷や汗がタラタラと流れてきてしまう。
新書マップで本棚散策
本屋で探していた本の近くの本棚に何故か目を惹かれ、その本棚につい手を伸ばしてしまうことは多い。また、間違えて本棚から引き出した本が意外に面白く、読みふけってしまうこともある。そして、さらにその隣りの本棚にもまた心を惹かれて…と、いつの間にか本屋の中を長いこと散策してしまったりする人も多いに違いない。
そんな感覚を味わうことができるサイト「新書マップ」が国立情報学研究所により開発され、6月30日から一般公開された。
新書マップは汎用連想計算エンジン(GETA)を使い、さまざまな本を「幻想的なマップ」上にジャンル分けし表示している。しかも、まるで本当に心赴くままに色んなジャンルの本棚を眺めることもできる。これからは、ネット書店の本棚でも長時間散策してしまうかもしれない。
2010-01-16[n年前へ]
■寺田寅彦の文学的表現に流れる「重く喪失の感覚」
末延 芳晴「寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者 」から。
寅彦の文学的表現の根底には深く、重く喪失の感覚が流れている。人間が人間として生きていくうえで、欠かすことのできない大切な何かが失われ、断ち切られている。
寺田寅彦に関する書籍は多い。しかし、昨年の末に出版された本書は、これまでに出版された寺田寅彦に関する書籍中でも、最も情報量が多く、そして奥深いものではなかろうか。
理系と文系と言う単純な1次元の世界は、多くの場合、誰もが一度は通り(語り)、そして誰もがいつか卒業する(飽きる)単純極まりない世界だと思う。・・・けれど、あえて書くならば、(そのひとつの道を選んだ)科学者が書く寺田寅彦評論とは一味違うものが、(やはり、そのひとつの道を選んだ)文学者が描いた本書には確かにあるように思う。
俳諧で「虚実」ということがしばしば論ぜられる。数学で、実数と虚数とをXとYとの軸にとって二次元の量の世界を組み立てる。虚数だけでも、実数だけでも、現わされるものはただ「線」の世界である。二つを結ぶ事によって、始めて無限な「面」の世界が広がる。
寺田寅彦 「無題六十四」
2010-01-17[n年前へ]
■「南方熊楠」と「寺田寅彦」と「夏目漱石」を繋ぐミッシング・リンク
「寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者 」を読んでいて一番エキサイティングだった部分は、49ページから56ページまでの「蓑田先生」に関する部分である。寺田寅彦が、高知県尋常中学校で出会った一人の英語教師に関する部分だ。この部分の数ページだけでも、充分一冊の本になるくらい面白い。
寺田寅彦が熊本で英語教師の夏目漱石に出会う前、地元の土佐高知で出会った一人の英語教師「蓑田長政」は、アメリカ帰りの「帰国子女」である。蓑田先生がアメリカで大学生だった頃、近所にいた交友関係があった友人には南方熊楠がいる。そして、蓑田先生の父はパリ万博にも行っている。
蓑田先生は、高知の学校で学生にいたずらをされたりしながら、高知で数年すごした後に、校長と喧嘩し・生徒相手に大演説した後に、東京に帰ったという。・・・まさに、「坊っちゃん」の主人公である。しかも、その友人は、南方熊楠だ・・・というのが、現実の話だというのだからたまらない。
おそらくは、東京都内のどこかの寺の墓地か霊園に眠っているはずの蓑田先生に向かって、合掌。
2010-03-09[n年前へ]
■「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない。
斎藤美奈子の「文章読本さん江 」から。
「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない。読む側になって考えてみれば、すぐにわかる。無難で上手なだけの文章なんか、これ以上、読みたい?私たちが求めているのは、常識をくつがえすような、新鮮な文章でしょう?
「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない、と書いてしまうと語弊があるかもしれない。「科学的に正しいこと」「興味深いこと・面白いこと」が両立する場合は、それほど稀(まれ)というわけでなく、あるからだ。たとえば、寺田寅彦の随筆などがそうだ。(科学的に)正しく、そして面白い。もちろん、寺田寅彦のような稀有な例を出してしまうと説得力が失せるかもしれないが、科学的ということに限れば「正しいこと」と「興味深いこと」はそう珍しくない、と言っても良いのではないだろうか。
ここで、斎藤美奈子が書く「正しいこと」というのは、そういう分野における「正しさ」ではない。それは、たとえば、ニュースを見てレポーターやキャスターが語る「正しいこと」や、それについて、さらに人が語る「正しい」こと、というようなものかもしれない。
少なくとも、私が読みたい文章は常識に沿った道徳本ではないことは確かである。