hirax.net::Keywords::「小山薫堂」のブログ



2009-03-02[n年前へ]

食べること・生きること 

 週刊SPA! 鴻上尚二 ドン・キホーテのピアス「『おくりびと』を観て、文化の力を感じた」より

 映画(おくりびと)には、じつにたくさんの食事シーンが出てきます。
 それは、「死」の対極にある行為、つまりは生きていくための行為です。
 そして、じつは生きていくことは、他の生物の「死」を食べる行為なのだという、やはり私たちは「死」から逃れられないのだ、ということを教えてくれる大切なシーンなのです。
 ふぐの白子を焼いて食べるシーンも、フライドチキンを黙々と食べるシーンも、生きるとは何かを教えてくれます。じつに象徴的なシーンです。

2009-05-07[n年前へ]

自分の選ぶ道は最善の道 

小山薫堂の「考えないヒント―アイデアはこうして生まれる (幻冬舎新書) 」から。

 人生って、選択の連続ですよね。だから迷ったり、何かうまくいかないことがあると、「これでよかったのか」と後悔しがちなんですが、僕は、どんなに失敗しても、どんなに大変なことがあっても、これが最善の道だと思うんです。

2009-05-11[n年前へ]

今という時代の自由と余裕 

 「自分の選ぶ道は最善の道」の小山薫堂のインタビュー記事

 見えとかプライドなどから自由でありさえすれば、自分の命や頭を使って、また何度でも自分の人生に立ち向かっていけるのです。
 この頃よく、自己プロデュースという言葉が、仕事の一つの戦略のように使われています。自分をどう見せるか、自己演出のようなイメージで用いられていますが、本来のプロデュースは生産するという意味で、外側を装飾するということではありません。そんなことに心を砕くのではなく、やはり、自分自身を磨き、素の力を強くしていかなくてはと思います。
 世の中にはたくさんのノウハウがあふれているし、社会的に受け入れられる方法を身に着けたいと思うのは当たり前かもしれない。それでも僕は、ちょっと落ち着いて、みんなが常識だという喧騒(けんそう)から距離を置いて考えてみて欲しいと思う。

2009-05-31[n年前へ]

君の魅力は「伸びしろ」だ 

 朝日新聞、小山薫堂の『君の魅力は「伸びしろ」だ』から

 数多くの成功ノウハウ本に感化されたり、ITに通じているというだけで、若い人は何か勘違いしているのかもしれない。即戦力にならなくては生き残れないという就職活動の方法論を刷り込まれていないだろうか。やる気は必要です。でもそれは、未熟な自分がこれからどこまで伸びていけるか、その伸びしろに注ぐやる気にしませんか。

2009-07-18[n年前へ]

「おくりびと」と「セロ弾きのゴーシュ」 

 DVDで「おくりびと 」を観た。この映画の原作となった「納棺夫日記 」はすでに読んでいたのだが、想像していたよりも原作に沿った内容だった。

 「原作に忠実」とまでは言えないかもしれないが、「納棺夫日記 」に書かれている(主人公の)状況やエピソードを、可能な範囲の変更・暗喩によって「一本の映画」に上手くまとめあげているように感じられた。少なくとも、この映画のエッセンスは、原作に書かれていることの中にすべてある、と思う。

 ところで、映画の作り手が「どのエピソードをどのように変えていったか」を考えつつ見るというのは、変かもしれないがひとつの鑑賞法だと思う。

 たとえば、春、東北地方の山に囲まれた平野で、主人公がチェロを弾くシーンがある。それは、ふと、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を連想させる。そして、そんな連想をさせることも意識しつつ、そのシーンは撮影されているのではないか、とふと考えた。

 「納棺夫日記 」の中で、「永訣の朝」や「眼にて云ふ」といった宮沢賢治の詩が引用される。その「宮沢賢治」の詩が、この主人公のチェロに繋がっていったのではないか、とふと感じた。他にも、主人公が(かつて)したかった仕事を原作と重ねるためとか、成長譚という部分が重なるからとか、いくつも「それらしい」理由を挙げることはできる。

 もちろん、そんな理由は「ただの想像」に過ぎない。しかし、そんな「人それぞれ」の連想をしながら映画を眺めるのも良いのではないか、と思う。



■Powered by yagm.net