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2009-04-14[n年前へ]

「文学」や「科学」や「学問と呼ばれるもの」を楽しめること 

 「文学」や「科学」や「学問と呼ばれるもの」にはたくさんの共通点があるけれど、必ず備えている共通点の一つが「何かに役立つこと」だと思う。たとえば、「さまざまなことを予測すること(わかること)ができるために、機械を作り上げたり、未来を予測したりできること」とか「心をとても豊かに、気持ちよくしてくれること」といったものを、「文学」や「科学」や「学問と呼ばれるもの」は必ず備えている。

 言うまでもなく、(非常に限られた範囲であっても)未来を予測できる科学は多いし、その一方、小説だって、現在の科学以上に物事を精微に描き出し、そして、過去から現在、さらには未来までも解説してくれるものも多い。結局のところ、「心をとても豊かに、気持ちよくしてくれること」というのは、過去から未来・そして、その狭間にある、現在を説明・理解させてくれるものであることも多いと思う。

歴史は繰り返す。方則は不変である。それゆえに過去の記録はまた将来の予言となる。

寺田寅彦

 もしかしたら、それとは逆に、その過去から未来への鎖から放ってくれるような楽しさを持つ「科学」「文学」なども多いかもしれない。SF小説などは、その一つかもしれない。いずれにせよ、「文学」や「科学」や「学問と呼ばれるもの」を題材に、一人ででも、あるいは、時には他の誰かと共にでも、楽しめることができればとても幸せだと思う。

2009-05-27[n年前へ]

小説やドラマとは違う、マンガ原作の書き方とは? 

 「小説やドラマとは違う、マンガ原作の書き方とは?

 中でも、「マンガ的発想」が大切だという指摘が興味深い。活字的発想の持ち主=活字屋は、小説やドラマのシナリオと同様に、ストーリー優先でマンガのシナリオを発想しようとするけれど、マンガの場合は通用しないという。 マンガ的発想では、ストーリーよりもキャラクター優先で考えるというのだが…… 詳しいことが知りたい人は、続きをぜひ「本書(マンガ原作の書き方77の法則) 」で確認して欲しい。

2009-08-27[n年前へ]

課題解決の結果生じた次課題を解決することが小説を書くということ 

 児玉清が25人の作家にインタビューした児玉清の「あの作家に会いたい」 から角田光代の言葉。

 Aという小説で私なりにあることができたと思った時に、(その結果)Bという課題が生まれたとします。すると、次にBの課題を入れ込んだ小説を書くというふうに、「読み手に向けて」よりは、「自分の中にある課題を片付けていく」というのが近いですね。

 この言葉は、「ひとつの疑問をべつのかたちの疑問に有効に移し替える作業」に書いた、村上春樹の言葉と合わせて読むと興味深い。

2009-12-03[n年前へ]

江國香織が描く22人のインタビューイの物語 

 江國香織「十五歳の残像 」への感想から。

 よくあるインタヴュー集とはひと味もふた味も違うものになっています。それはたぶんインタヴューアーとインタヴューされる側の発言をそのまま載せるスタイルではなく、江國香織が自分でインタヴューしたものを元にして、あらためてひとつの物語として完成させているからだと思います。
彼女が意図してたのかどうかは分かりませんが、この本を読んでると、インタヴューされる側がみな、江國香織の小説の中の登場人物のように思えてなりませんでした。インタヴュー集と言うよりは、江國カラーたっぷりのひとつの物語って感じです。

 大人と子どもの間で揺れる、どっちつかずの少年時代。格好いい大人たちは、どんな15歳を過ごしてきたのか。江国香織の緩かなまなざしが、22人の思春期を鮮やかに甦えらせる。

2009-12-31[n年前へ]

天馬空を行く 

 北村薫のデビュー作「空飛ぶ馬 」の最終段から。

人は誰も、それぞれの人生という馬を駆る。

 蛇足、という言葉を体現・具現化してしまうのなら、さらに、もうひとつ文を書き写してみるのなら、短編集である「空飛ぶ馬」の最後を飾る「空飛ぶ馬」の冒頭近くから、この一節をも書いてみることにしよう。せっかくの、年を越す大晦日の夜なのだから。

 天馬空を行く。自由闊達(かったつ)の譬(たと)えだが、そのイメージには暗い物語の最後に救いをもたらす大きさがあるような気がした。



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