2002-04-27[n年前へ]
■視線のベクトルは未来に向くの? from 某さん
10年位前、「アキラ」の英語版コミックを買って、日本版オリジナルと見比べてみたときページの進行方向(日本と逆)にあわせてコマを裏返し(勿論、服のボタン等は書き直し)てありました。確かに未来を見ているはずの登場人物がアメリカに行ったら過去を見つめているんじゃカッコつかないですもんね。
そのまんま裏焼きしても大丈夫なのは「リングにかけろ」位でしょうか。(右利きと左利きはかわるけど)
2005-07-05[n年前へ]
■スクロールバーに見る「未来の予感」 その3
スクロールバーに見る「未来の予感」 その2に書いたように、『スクロールバー類はその言語の「上手」に位置するのが自然である一方で、同時に「スクロールバー」類は本文よりも「利き手側」に位置する方が自然』に思えます。
そんな「自然」を実感するのが、アラビア言語系のページをInternet Explorerで眺めているときの「不自然」さです。右の二つの画像はnakama yukie"をGoogle Japanで検索をかけた結果と、同じくGoogle Arabicで検索をかけた結果です。アラビア語表示のGoogleをInternet Explorerで眺めていると、スクロールバーが本文左側に位置してしまいます。その結果、不自然な操作感になります。もちろん、Tablet PCを使っていたりすると、スクロールバーを操作しているときには(右腕に遮られて)全く本文が見えなくなってしまいます。本文をスクロールしたいのに、その肝心の本文が見えなくなってしまうのです。まさに、本末転倒です。
一方、Fire foxではそんな風にはならないので(右の二枚のスクリーンショット参照)、アラビア語圏のページをTablet PCで眺めるときには、Fire foxを使うようになりました。アラビア語圏の右利きの人はTablet PC上でFire foxを使うと、とても気持ちよい操作感になりそうです。『スクロールバー類はその言語の「上手」に位置するのが自然である一方で、同時に「スクロールバー」類は本文よりも「利き手側」に位置する』わけですから。同じように、左利きの日本人がこんなテクニックでも使って、右側にスクロールバーを持って行ったInternet Explorerを使っていたりすると結構気持ちが良いのかもしれません。残念ながら私自身は右利きなので、その気持ち良さを実感することはできませんが…。
2007-12-06[n年前へ]
■「サウスポー」と「南側の手」
「野球場の向きが(基本的には)バッターからピッチャー方向へ線を引いたとき、西南西方向以外を向くように作ってある」ということを何かの本で読んだのは、確か「サウスポー」の語源、左利きのピッチャーのことを、なぜサウスポーと呼ぶのか、ということを調べていた時だった。
口語で手のことをpaw(ポー)と呼ぶので、サウスポーという言葉は「南の手」という意味になる。野球場の向きが「規約で決まっている望ましい向き」ならば、左利きの投手は「利き手」が南側に向くことになる。つまり、南側の手からボールを放つ投手ということから、サウスポーという言葉ができたと、私が読んだ本には書いてあった(語源の真偽は定かではないとも書いてあったが)。
サウスポーの語源だけでなく、他にも「野球場の向き」を原因としている「何か」は他にもあるのかもしれない。野球規約に定まっている「野球場の向き」の原理、「夕日が選手の目に入るとプレーの妨げになるよね」という理屈から、他のたくさんの色んなことが導かれるのだとしたら、それは何だか小さなミステリー小説のようだ。
2012-02-26[n年前へ]
■レンブラントの「"平均"肖像画」やフェルメールの「"平均"室内画」
「美術室の黒板」は「夕日に照らされる向き」に作られる!?で書いたように、北半球にある日本では、美術室やアトリエの窓は北側に向けることが一般的です。そして、利き手が右手、つまり右利きの人は、そんな北向きの窓からの光を左に見つつ(そうしなければ、絵に利き手の影が落ちてしまいます)、絵を描くことが多いものです。
陰影を強く描いたオランダの画家、レンブラントが描いた人の顔を51枚(顔)集めて「平均画像」を作ってみました(左上)。レンブラントが描く肖像画は、左から光があたるものが多いので、左から光があてられた顔が浮かび上がっています。
西洋絵画で光が左からあてられていることが多いことには、いくつもの・そして曖昧な理由があるだろうと思います。そんな(確かとは言えないけれど)曖昧な理由の中のひとつは、画家たちのアトリエの窓が北側に面していて、そして多くの画家が右利きであった、ということだと言われています。レンブラントも、自画像のX線解析の結果から、右利きだった可能性が高いと考えられていますから、北側の窓から差し込む光を左に受けつつ絵を描いていたのでしょう。
レンブラントと同じくオランダの画家、フェルメールの絵画を思い浮かべてみても、思い出すのは左側にある窓から部屋に光が差してくる風景ばかりです(フェルメールが描いた絵の数は非常に少ないですが)。試しに、フェルメールが描いた室内風景の「平均画像」を作ってみると、それはたとえばこんな具合になります。やはり、「窓は左(北)向き」で、画家の利き手(右手)は「サウスポー(南向き)」になっています。
学校の美術室で悲しいほどに不器用な絵を描いていた私たちも、キャンバスに信じられないくらいリアルに世界を浮かび上がらせる巨匠たちも、同じく北側の窓からの光を受けつつ絵を描いていた…と考えると、何か少し面白いな、と思います。
参考:スライド・デザインにおける「上手と下手」
2012-10-25[n年前へ]
■「利き腕」と「両開き扉の冷蔵庫」
ドアを開けて・入るという動作をする時、ドアノブが利き腕の逆側に付いていないと不便なものです。 たとえば、ドアノブが「ドアの右」に付いているような場合、左手でドアノブを掴まなければ「ドアを開けて・部屋に入る」という動作はできません。 もしも、ドアの右部についているドアノブを右手で持ってしまったとしたら、その右手が(部屋に入ろうとするわたしたちを)邪魔してしまうからです。 つまり、ドアノブを掴むのはドアノブ位置と反対側の腕を使わなければなりません。 そして、それと同時に、当然ながら「ドアノブを掴む動作は利き腕でしたい」ともわたしたちは感じるわけですから、「ドアノブは利き腕の逆側に付いていないと不便」ということになるわけです。
わたしたちの利き腕が「みんな右」だったりしたならば、ドアノブは全部右に取り付けてしまいたくもなります。 しかし、利き腕は人によって違い、右利きの人が「ドアノブが左側に付いている」のを便利に感じる一方で、左利きの人はそれでは不便で「ドアノブは右に取り付けて欲しい」と感じることでしょう。 右利きに便利なドアノブは左利きには使い勝手が悪く、左利きに心地良いドアは右利きには不便なのです。
そこで、両開き扉の冷蔵庫があるように、「(どっち側からも開けることができる)ドアノブがドアの両方に取り付けられているドア」を広めてみるのはどうでしょうか? 公衆トイレのような不特定多数が訪れるドアは、右利きでも左利きでも、どっちの流派も不便を感じない両開きにしてしまうのです。
…ところで、"door"や"ドア"といったキーワードで画像検索をかけた結果を眺めると、右利きに便利な左ドアノブと左利き向きな右ドアノブの比率がおぼろげにわかります。 地域別・国別のドアノブ位置を眺めてみると、意外な違いが見えてきたりして面白いかもしれません。