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2010-03-09[n年前へ]

「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない。 

 斎藤美奈子の「文章読本さん江 」から。

 「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない。読む側になって考えてみれば、すぐにわかる。無難で上手なだけの文章なんか、これ以上、読みたい?私たちが求めているのは、常識をくつがえすような、新鮮な文章でしょう?

  「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない、と書いてしまうと語弊があるかもしれない。「科学的に正しいこと」「興味深いこと・面白いこと」が両立する場合は、それほど稀(まれ)というわけでなく、あるからだ。たとえば、寺田寅彦の随筆などがそうだ。(科学的に)正しく、そして面白い。もちろん、寺田寅彦のような稀有な例を出してしまうと説得力が失せるかもしれないが、科学的ということに限れば「正しいこと」と「興味深いこと」はそう珍しくない、と言っても良いのではないだろうか。

 ここで、斎藤美奈子が書く「正しいこと」というのは、そういう分野における「正しさ」ではない。それは、たとえば、ニュースを見てレポーターやキャスターが語る「正しいこと」や、それについて、さらに人が語る「正しい」こと、というようなものかもしれない。

 少なくとも、私が読みたい文章は常識に沿った道徳本ではないことは確かである。

2010-03-28[n年前へ]

「文書を作ることができない症候群」 (初出:2006年09月15日) 

 奥村先生のブログで「少なくともこのページは読むべき」と紹介されていた「Ask E.T.: PowerPoint Does Rocket Science--and Better Techniques for Technical Reports」という記事を読みました。

 スペースシャトル・コロンビア号は、打ち上げ時に剥落した液体燃料タンクの断熱材により翼部分が破損したために、帰還中に空中分解してしまいました。この「PowerPoint Does Rocket Science--and Better Techniques for Technical Reports」という記事では、(断熱材による破損の危険性を評価した)ボーイング社の報告書から正当な判断がされなかった理由として、報告書がPower Point のプレゼンテーション・スライドの形式で作られていたことを指摘しています。Power Point のプレゼンテーション・スライドの中で、たとえば、重要な情報が箇条書きの中に埋もれてしまったり…、といったことが遠因となり、断熱材剥落の影響が軽視されることにつながった、というようなことです。

 そして、そのような「 Power Point の弊害」を避けるためには、文書スタイルをNature や Science に掲載される論文のようなものとし、そして、Power Point でなく Word などを使って書くべき、というわけです。 

 その指摘・解説を読み進めながら、「なるほど。勉強になるなぁ」と思いつつ、「判断を要求されることが多い日常業務中、判断材料をNature や Science に掲載される論文のような文書として渡されても困るよなぁ…」とも感じました。そして、さらに「ここで指摘されている問題より、もっと大きな問題が、実は他にあるのではないか」とも感じたのです。

 その「問題」をひとことで書いてしまえば、「プレゼン・スタイルや論文スタイル…どんな種類の文書であれ、適切な情報を適切な順序・量・構成で文章にできる人なんて非常に少ないのではないか」ということです。「Nature や Science に掲載され論文のような文書」を書けるような人はほとんどいないように思います。あるいは、そういった文章を書くことができる人がいたとしても、その文章の内容(形式ではありません)がそれほど新しいものでなかったり(つまり、単に以前書いた文書の焼き直しだったり)するのではないか、とも思うのです。フォーマット・道具の違いを気にする以前の、実に低レベルな悩みを抱えている段階だったりするように思ったのです。

 というわけで、Edward Tufte の周りはいざしらず、道具の違いを気にする以前に、「論理的に話を組み立て、適度な量・構成としてまとめる」ことをまずできるようになりたい!と切望している今日この頃なのです。

2010-06-26[n年前へ]

人が世界を描写する時に必ず現れる「歪みや矛盾や食い違い」 

長い文章を書くということ」から。

 一言ふと漏らすコメントは非常に的確なものであるのが、普通です。なぜなら、クローズアップされた狭い景色の中には特に「歪み」も「矛盾」もないのが普通です。だから、そんな景色を描写した短い言葉・文章というのは、見事なまでに「その狭い世界」を写し取っているはずだと思います。
 ところが、もう少し広い世界を写し取ろうとすると、つまり、もう少し長い文章を使って広いものを描き出そうとすると、途端に色んな「食い違い」や「ほころび」や「矛盾」といったものが見えてきます。

 一枚の写真や短い言葉では、写真や言葉として上手く世界を(違うものに)写し取ることができたはずなのに、それらをたくさん組み合わせて一つのものにしようとした途端、たくさんの歪み・矛盾を眺めなければならなくなります。

 それらの歪みや矛盾というのは、対象物の複雑さをそのまま映し出したものかもしれません。つまり、対象物の歪みや矛盾というもの自身なのかも知れません。あるいは、そんな複雑な景色を眺めた時に、景色を眺める私たち自分自身の中にある・生まれる歪みや矛盾なのかもしれません。

 それらの歪み・矛盾・食い違いなどを何とかつなぎ合わせて一つのものにする、というのが長い文章を書くということなのかもしれない、とふと思います。だから、長い・広い文章を書くということは、そんなたくさんの歪み・矛盾と向かい合わざるをえない辛い作業だろう、と想像したりします。 ただし、もしも書かないでいれば「その書く辛さ」に向かう羽目に陥ることもないのかもしれませんが、「書こうとして始めて気づくこと」や「書き終えることでようやく発見すること」を見ることもできないのかもしれない、とも思います。
 「長い文章を書く」ということを考えるとき、文章の構造や展開はむろん欠かせない重要なことです。しかし、その底に流れるだろう一番重要で深い問題を考えに入れなければ、いけないのかもしれないとも、思うことがあります。

2011-01-09[n年前へ]

「自己」と「周囲」を観察する機会 

 ”各種文学がどのようにモノを描いているか”という視点から文学を眺め直す、斎藤美奈子「文学的商品学」の最終章「平成不況下の貧乏小説」から。モノ=目の前にあるさまざまなことを書くことや、自己を書くことの意味を宣言する最終段落で。

 なお貧乏が「書くこと」に結びつく。これって不思議じゃないですか?明日のパンを心配する人が、原稿用紙やワープロに向かうだろうか。それは彼らが「最底辺の貧乏」ではない証拠ではないのか。
 (松井計『ホームレス作家』の文章をひきつつ)極限の生活の中で、彼もまた「書くこと」を選ぶのです。書くことでも読むことでも、あらゆる知的な作業には、人間の尊厳を取り戻す力がある。そうなんです。残念ながら、ここは素直に認めなくてはなりません。人はパンのみに生きるにあらず、なのです。
 ただし、書かれたものが人の心に訴えるかどうかはまた別の話しです。『ホームレス作家』が読む人の心を動かすとしたら、「事実の重み」ゆえではなく、「事実の抽出」に優れているからです。そして、優れた作品は、必ず「パンの描き方」に秀でています。なぜ「書くこと」で人は困難を乗り越えられるのか。感情をぶつけられるからではなく、冷静に客観的に事故と周囲を観察する機会になるからではないでしょうか。その意味でも、表層の表現はけっして枝葉末節ではないのです。

2011-10-16[n年前へ]

『広い世界が持つ矛盾」や「役に立たない?役に立つ?」 

 今日の「n年前へ」から。

 ひとこととで書くコメントは、非常に的確なものであるのが、普通です。なぜなら、クローズアップされた狭い景色の中には特に「歪み」も「矛盾」もないのが普通です。だから、そんな景色を描写した短い言葉・文章というのは、見事なまでに「その狭い世界」を写し取っているはずだと思います。
 ところが、もう少し広い世界を写し取ろうとすると、つまり、もう少し長い文章を使って大きなものを書こうとすると、途端に色んな「食い違い」が見えてきます。…それらの歪み・矛盾・食い違いなどを何とかつなぎ合わせて一つのものにする、というのが長い文章を書くということなのかもしれない、と思います。
 今年の物理学賞は、天文学という「役に立たない」研究に決まった。化学賞は対照的に「役に立つ」道具づくりが栄冠に輝いた。

朝日新聞社説



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