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2012-01-18[n年前へ]

「高校・大学の頃の自分」に送る「短く具体的なメッセージ」 

 Shiroさんの「知的なツール、努力の方法」から、"I'm not as smart as I thought I was. "(日本語訳:僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった)を読んだ。

 悩む高校生に対して返されたMIT卒業生によるアドバイスを、高校生だった頃の自分が読んだとしたら、間違いなく「どうすればいいのか、全然わかんないよ…」と思うだろう。 「…意味分からないし。もっと、短くて・具体的に何を・どうやればいいか教えてくれよ」と感じるに違いない。 あるいは、「高校の卒業生総代に選ばれなかった」とか「MITに行けなさそうだ」という(天上界の)高校生の悩みに対して、「頭のいいヤツはこれだからよー」と斜に構えたコトを考えるだけかもしれない。

 「MIT卒業生によるアドバイス」は昔の自分には絶対に届かない。 だから、高校生だった頃の、そして大学生になった頃の(他の誰でもない)自分自身に向けて、短く・具体的なメッセージを書いてみることにした。 そのメッセージは、たった2つだけだ。

 1番目のメッセージは、世界(つまり、自分の先にある未来)は「わからない」ものがたくさんある、ということだ。 だから、「ぼくの頭ではわからない…」と感じ、自信を失い・不安になるような状況は、もう数え切れないくらい何度も何度も繰り返し訪れ続ける、ということだ。 それまでに獲得した「(特定の)力・道具」だけでは、乗り切れそうにないように思えるかもしれない時が、それはもう何度も訪れる。 …そんな状況や不安と折り合いをつけ・それに負けずに共存していくために必要な「方法・能力」について書いたのが、次のメッセージだ。

 2番目のメッセージ、それは「好奇心・興味」を持ち、「未来・可能性・したいこと」を想像し・見つけ出す心を持て、ということだ。 それが、どんなにくだらなく思えることでも、何か「自分が楽しくなる・それをやりたくなる・そこまで辿り着きたくなる」ものを夢見て・焦がれる心を大切にしろ、ということだ。 「好奇心・興味」や「未来・可能性・したいことを想像し・見つけ出す気持ち」が大切でとても有効だということを、その証明を次に書く。

 「手に入れる結果」というものは、どうやら「努力した量」と(やはり)「天性の力」が掛け合わされたものと一致するようだ。 それは、つまりこんな方程式だ。

手に入る結果 = 天性の力 × 努力した量
多少の誤差はあるようだが、この方程式は結構正確だ。 「手に入れる結果」に「天性の力」は関係ないと言ってしまえば、多分それはウソだ。 きっと、それは間違っている。 「手に入れる結果」は「努力した量」でも決まるが、「天性の力」にも比例する。 同じ時間努力しても「手に入る結果」は人それぞれ違う。 そこには確かに「天性の力」が関係している。

 「天性の力」を意志で変えることができないのであれば、その分「努力する量」を増やせばいいという言い分は多分真実に近いのだろうと思う。 …しかし、「努力する量」をただ増やせばいいなんていうメッセージを他ならぬ君に送るつもりは全くない。 それでは、ただの精神論で、その精神論を実践する根性も忍耐力も、残念ながら君は天性持ち合わせていないということを、(君と同じ本人である)私が一番よく知っているからだ。

 重要なヒントは、上に書いた方程式だ。 この方程式は、「右辺が左辺を決める」と読めるかもしれないが、それと同時に「左辺が右辺を決める」とも読むことができる。

努力する量 = 手に入る(だろう)結果 / 天性の力
この方程式に登場する「定数」は、実は「天性の力」だけだ。 「手に入れる(だろう)結果」と「努力した(する)量」は、それは間違いなく「変数」だ。 「努力した量」で「手に入れる結果」が決まるとも言えるが、それとは逆に、「手に入れる(だろう)結果」次第で「努力する(できる)量」が決まる、とも言える。 つまり、「手に入れる(だろう)結果」を、豊かな想像力・妄想力で描いて・それを欲すれば、「努力する量」はいくらでも増える、ということだ。

 「天性の力」を増やすことができなくても、「手に入れる結果」…その楽しさ・面白さを想像し拡大することは、無限にできるはずだ。 タダなのに無限に使うことができるという存在、それが想像力だ。

 努力した量が手に入る未来を決めるんじゃない、無限の好奇心・興味・未来や可能性を想像して見つけ出す心・自分が楽しくなる何かを見つけ辿り着きたいと欲する心…それが、「無意識のうちに努力する量」を限りなく増やし、そして未来を作り出していくんだ。 だから、世界を見て・未来を想像して・くだらない好奇心やささいな興味を大切に持ち続けて欲しい。 それらは、不確実で・わからないことばかりで・変化し続ける世界の中でも、いつだって、その先へゆっくりと歩き続けようとする「原動力」になるはずだ。

 さて、こんなメッセージを(年の離れた)君に送った理由は、もうバレているに違いない。 つまりは、21世紀ののび太(の子孫)が20世紀にドラえもんを送った理由と同じようなものだ。 21世紀を歩く未来の僕を作り出すだろう20世紀にいる君が、「夢を見て・何かを手に入れたいと思う欲望・気持ち」を少しでも増やしてくれるといいなと…君の未来は他(?)力本願に願っているわけだ。

 未来を作る「原動力」は、未来に対する無限の欲望や想像力だ。 未来を夢見て、自由自在に描き出し、そこへ辿り着きたいと願う力を、大事に抱えて続けて欲しい。

2012-01-20[n年前へ]

「自分自身」に向けた「メッセージ」 

 最近の「とりとめもない、つぶやき(twitter)」から。

 努力した量が手に入れる未来を決めるんじゃない。無限の好奇心・興味・未来や可能性を想像して見つけ出す心・自分が楽しくなる何かを見つけ辿り着きたいと欲する心…それが、「無意識のうちに努力する量」を限りなく増やし、未来を作り出していくんだ。
 「苦労や悩み」は「必然」で、それを減らすことも消し去ることもできないけれど、「そんなものを無視できるくらいの魅力」を「見つけ出す・欲する」ことはいくらでもできるはず…それが「未来」というものじゃないか…と。うーん、何だか小さな赤ちゃんを(想像できないくらいの)痛みを伴って産み、そして、育てるお母さんにとっての「可愛いベイビー」みたいだ。
 「運」や「偶然」は、未来を決める大きな要素だと、確かに思う。…その上で「(天性でない部分の)才能」や「(なにがしかの)運」といったものには、「それらを生み出す”何か”」「自分が操作することができる何か」も、人それぞれ違うにせよ、存在しているんじゃないかとも思う。…いや、「思う」と決めている(そう思わないとやってられないから)。
 先日、隣の楽屋に「中林鉄太郎 様」と貼られていて驚いた。驚いた理由は、そのほんの少し前、中林・安西両氏らのローカリゼーションマップに興味を持ち、お二方のお話を聴きに伺ったばかりだったからだ。そして、それから数週間も経たないうちに、思いもがけない場所で隣り合わせる偶然に驚いたのだ。…これは確かに「偶然」だ。けれど「(ローカリゼーションというものに)興味を持つ」「そして、中林・安西両氏に話を聴きに行った」ことがあって、ようやく生じる偶然なのだ。そういう「偶然」は、結構ある。
 右辺と左辺、どちらかが原因でどちらかが未来だと決まっているわけじゃない…と思うことが大事だ。右辺と左辺を自由自在に動かす想像力と機転を、必ず手に入れて欲しい。
 『「高校・大学の頃の自分」に送る「短く具体的なメッセージ」』で書いた言葉を、さらに短く「ひとこと」にしてしまえば、「大変なこともある。それでも、未来に魅力を感じる力を手に入れて、前に進み続けろよ」ってことなんだろう。過去・現在(それはまさに自分自身だ!)・そして将来…すべての・ありとあらゆる自分自身に向けて。

2012-02-02[n年前へ]

20ヶ月以内にM7級地震が起こる可能性が5割以上1? 

 学生の可能性を可能にするポータルサイト ワンダーノーツに「20ヶ月以内にM7級地震が起こる可能性が5割以上1?」を書きました。

 「私たちを動かす”気持ち”」は「どのくらい先の未来の(そこに至るまでに積もっていく)・どのくらいの危険性」を「どのくらい重要だ」と考え「気にする」ものでしょうか。その「気にする度合い」と「他のメリット・満足(不満足の解消)」を天秤にかけて、私たちは毎日動きます。地震も原発事故、狂牛病もレバ刺し/ユッケ…
 「あまりに先の未来」も「あまりに小さな確率」も、私たちは気にしません。 そして、そういう「感覚」であるからこそ、私たちは毎日を気にせず・前(未来)に進んでいくことができたりもします。

2012-02-03[n年前へ]

「(コンドームに関する)フレミング左手の法則」と「AVモザイク不等式」と「思考法」 

 今日の「n年前へ」は、『(コンドームに関する)「磁気力」「フレミング左手の法則」で究極コンドーム「未来の3次元AVのモザイク」が満たすべき不等式』など。

 フレミングの左手の法則が、「男性のピストン運動(の起電力)」や「女性内部の血管での発電」に繋がっているとは思いもしませんでした。
 つまり、「3次元AVのモザイクの大きさ≧2次元AVのモザイクの大きさ+多視差により覗くことができる大きさ」という、「未来の3次元AVのモザイク」が満たすべき不等式が存在するに違いないのです。

 そして、『リニアモーターカーの親が書いた「10センチの思考法」』も、読み直したい。

 断言しよう。能力、才能、素質、これらは「やりたい」という欲求からしか生まれない。やりたいからやると楽しいし、楽しいから苦労を苦労と思わない。

2012-03-04[n年前へ]

過去と未来に呼びかける「現在(いま)の声」 

 「繋(つな)がる」という言葉で満ちたこの一年、その何年も前の、けれど同じ3月4日の「n年前へ」から。

 この地図を提供していたGoogleの開発者たちは、被災したニューオーリンズの状況を、その地にいる人たちを心配している人たちに向けて、こんな機能追加を(驚くべき素早さで)行ったのでしょうか。
 人々が分断され、競争に駆り立てられ、揚句の果てにゴミのように切り捨てられる。そんな社会を誰が望んだであろうか。…遅すぎる気もするが、いま求められているのは人と人のつながりであり、共に生きるための知恵だろう。
 日本で最も日没が速い最東端の納沙布岬灯台(北海道)から転倒し、リレー式に最西端の与那国島の西埼灯(沖縄県)に光が灯る頃、日本列島の輪郭が光のリングで結ばれる。これは、140年変わっていないし、永遠に変わらぬ光景だろう。
 「過去の景色」と「現在の景色」を、眺めいていると、色々なことが見えてくるに違いありません。…もちろん、そこからは、過去や現在の先にある復興した未来の姿も見えてくるはずです。
 「半神」は孤独、決定的なひとつの不在を生きることについて描き、「霧笛」はその孤独な他者へ呼びかける声の乗り越えられなさを描いていると言っていいかもしれない。…ともかくどちらも、深い愛についての話だ。



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