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2013-03-24[n年前へ]

テレビ画面に映るアイドルの「胸のドキドキ」がわかる未来!? 

 テレビ画面に映るアイドルの「胸のドキドキ」がわかる未来!? を書きました。

 スマホカメラで写した顔画像で脈拍を検出することができるなら、テレビに写された顔の画像からも、もしかしたら(写っている人の)脈拍を検知することができるかもしれない?と思いつきました。そこで、前田敦子がTV画面に向かって話す映像をコンピュータで明るさ・緑/赤方向の色変化・黄青方向の色変化に分解し、顔に相当する部分だけの緑/赤方向の色変化だけを抜き出してグラフにしてみました。

テレビ画面に映るアイドルの「胸のドキドキ」がわかる未来!?テレビ画面に映るアイドルの「胸のドキドキ」がわかる未来!?






2013-10-28[n年前へ]

「自分だけの世界」をウェアラブルにまとう世界 

 コント達者・リアクションのプロフェッショナルな方々が(視野角が広く・全周囲を自由自在に眺めることができるヘッドマウントディスプレイシステムである)Oculus Riftを掛けながら演じる「すれ違いコント」を拝見しました(Powered by @GOROmanさん)。

 昔ながらの落語でも、あるいは漫才でもコントでも…普遍的に面白い状況のひとつが、人の間のすれ違い行き違いです。たとえば、コンビニの店員とお客間の会話、あるいは友人同士の会話、互いの言葉や意図にすれ違いが生まれる状況は、笑いや(時にそれ以外の何かも)感じさせます。そんな極端な例が、コント演者の1人がOculus Riftをかぶり「他の演者たちとは違う世界を眺めている状況」かもしれません。そんな「すれ違いコント」を楽しみました。

 Sonyがウォークマンを出した時、「これは画期的なモノだ!」と思いました。それまでの時代は、「音・音楽」は特定の場所でしか聴くことはできなくて、逆に言えば、同じ場所にいる人たちは皆同じ音を聞いていたものでした。それが、ウォークマンが作られた瞬間、同じ場所にいても、違う音楽や違う音場を各人が聞いているのが日常になってしまいました。

 Oculus Riftを掛け「自分だけが眺める世界」を浮遊する人を見つつ、「自分だけの世界」をウェアラブルにまとう世界が間もなく来るのかもしれない、と気づきました。今の時代なら、電車の中や駅前で違う音に包まれている人たちがいるように、少し先の時代には、違う世界・景色に包まれた人たちが、すれ違い歩く日が来るのかもしれない…と考えます。

 …それは、同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。

今日見た景色をなぜ作りたいか

 あるいは、その逆に、遠く離れた違う場所にいる人たちが「同じ景色」を見ながら、一緒に集(つど)うことが普通の日が遠くない未来に実現しているに違いありません。

 こうして、世界の姿が少しづつ…あるいは時に大きく変化していくのだな、と思います。そんな未来を垣間見た数時間でした。

「自分だけの世界」をウェアラブルにまとう世界






2014-01-01[n年前へ]

「変わらない」ための「努力」 

 イチローが語る「努力」という定義(の変化)を読みました。かつては「自然に当たり前にしていたこと」だけど、それを「意識的にしなければならなくて、それをしなければ、自分が自分でなくなってしまうこと」それこそが努力というものだという定義が、とても確かなものに感じました。

 第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか。

2013年「春」
 試合前にするストレッチだったり、いろんな準備がありますよね。それを、なんとなくこう、やりたくない瞬間が現れるんですよ。でも、それをすると、僕を支えてきた僕が崩壊してしまう。と、想像したので。そこだけは続けたということですよね。…これが、努力なんじゃないかなと思いますね。

2013年「冬」

 「(年齢の上下は全く関係無く)すごいなと思う尊敬する人はたくさんいて、けれど十年近く経った頃、…そんな人たちの何割か「あぁ、つまんない人に変わっちゃったな」と思うことがあります。もしかしたら、それはイチロー言うところの「努力」をしたか・しなかったか…ということが分水嶺になっていたのかもしれない…と考えます。

 若い人は(たいがい)輝いてる。七転八倒で、七転び八起きで…何というか、下っ端ーずでも何であっても、主体的で・可能性に満ちてる(…十年くらい後に「つまんない人に変わっちゃったな」と思うこともあるけど)。何はともあれ、可能性に乾杯だ!

「大事なこと」や「可能性」に乾杯だ!

 もう十年近く前、「変わらないということは、変わるということ」という言葉にひどく印象づけられました。あの言葉は、とても非情で正確な言葉だったのだろうとも思いますし、それと同時に「変わり続けていると、その中に変わらないものが見えてくるのかもしれない」とも思います(参考:続「変わらないということは、変わるということ」)。

 「変わらない」でいるためには、「変わらない努力」が必要だ。「変わらない努力」というのは、結局のところ「変わる努力」だ。その人自身や状況といったものが変化している限りは、自分も変化していかないと、取り残されてしまう…という冷徹な言葉だ。

 2014年の01月01日、今年最初の日記は『変わらないための努力』です。

2015-03-05[n年前へ]

未来に失われる「今この瞬間」に没入できる「この瞬間を記録しておくこと」は、きっと未来の役に立つ 

 SIGGRAPH2015の没入感コンテストみたいな「没入感コンテンツ」を作るなら、個人的には「実写は使わない」。だって、どこかに行けば本物が存在する”コンテンツ”だったとしたら、本物の方がずっとリアルだし・豊かだし、その本物と再生物の間にある差分としての「物足りなさ」を感じちゃうだろうし。

 だから、たとえば「昭和の日本の景色」みたいな、もう行くことができない場所に行けるコンテンツならば、とても体験してみたいと思う。もう今は存在しない60〜80年代の東京、数え切れない人たちが生活していた香港九龍城、廃墟となる前の軍艦島、90年代のバンコク…何だかそういう没入感コンテンツこそ眺めてみたい。(参考:昭和が古臭く見えたり懐かしく思えるのって写真の画質のせいだよな?

 かつて自分がよく知ってた世界を眺めると、色んな記憶が鮮明に甦る。…だから、GoPro6台リグとか、Ricoh Theta m15みたいな全天周動画を撮れるカメラで、普通の場所を意味無く撮り溜めておけばいい思う(昨年11月のチェンマイ・ロイクラトンは、そんなGoPro6台リグ野郎達が溢れてた。韓国から来たGoPro6台リグでステレオ撮影していた野郎は熱かった。…しまった名前聞いとけば良かった。<−3m三脚の上にTheta取り付け撮影してたわたしもたぶんその野郎のひとりだ)。そうすれば、20〜30年後、その世界に没入し・症状が改善する将来のボケた老人(それはつまりは将来の自分自身のことだ)だってとても多いだろう。

 今、Google Street view carが走り回って写し続けてるこの瞬間の360°の街並みの数々は…きっと十年・二十年先に、貴重なメディカル・マテリアルになっているに違いない。Google Medical health care centerとか、数年先に立ち上がってても、全然違和感ないかも(Google社員が読んだらら鼻で笑いそうだけど)。

 で、3丁目の夕日的なかつての昔あった世界をレンダリング生成し甦らせる技術を持っている人たち作り上げるコンテンツが、数年先には、(多分)認知症治療とかその手の業界で普通に使われ・役立っているんだろう、と思う。それは、機械・光学・物理技術が現在の医療を作り上げてきたけれど、将来は情報技術がその役割の少なくない割合を担っているという具合だろうと考えてみたりする。

2016-02-03[n年前へ]

「小保方さんと若山教授」と「コミュ力と若い世代への期待」 

 小保方さんの回顧録がベストセラーになっているらしい。小保方さんを担ぐ意見は全くもって理解できなかった。しかも、科学教育業界にそういう意見が多く、かなりビックリした。…けれど、あの事件が起きた流れは、3つのことから、とても納得できるようになった。

 納得できるようになった理由のひとつは、「リアル・クローン」という若山教授の実兄が書いた本を読んだこと。この本は、STAP騒動の遙か前の話を書いたもの。「リアル・クローン」でも(若かりし)若山教授は(ハワイを舞台にして)いくつかの問題に巻き込まれるのだけど、それは英語力の不足から「当然の主張」をしなかったためと感じられた。そしてまた、ある種の経験(自分自身が「そんなことはできない」と思われることを信じて成し遂げた経験)を持つ若山教授なら、「怪しいと感じられることをする若い人」に対して批判的なことは言わないようにする・受け入れるようにするだろうな…と感じられた。

 (納得できるようになった)理由の2番目は、STAPの当時、小保方さんのインタビュー音声(20〜30秒あたりから)を聴いたこと。なるほど、これはとても自然で印象的な「コミュ力・自己主張力」がある。こういう切り返しができる人に一目おくようになる気持ち・流れは、とても良く理解できる。

 そして、理由の3番目は、神戸理研が次世代の可能性を要求していた…と聴いたこと(お酒を飲みつつ聴いていたので全く正確ではないけど)。

 これだけ条件が揃えば、けれど「若い世代への期待」とか「コミュ力の不均等」なんて普遍的にいつでも起こることだけど、こういう事件は起きるよなぁ…と納得するに至った。舞台背景を踏まえて、あの登場キャラクターを集めたとしたならば、STAP事件は必然(もしくはかなりの高確率)で起こったような気がする。そしてまた、「教育」という未知の可能性に期待を掛ける(そして性善説で動く)業界で、小保方さん支持の奇妙なバイアスが強かったことは、それは必然だったのかもしれない…と思う。(小保方さんを、コミュ力や可能性以外で支持する気持ちは、今も全く理解できないけれど)



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