hirax.net::Keywords::「正しさ」のブログ



2010-03-09[n年前へ]

「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない。 

 斎藤美奈子の「文章読本さん江 」から。

 「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない。読む側になって考えてみれば、すぐにわかる。無難で上手なだけの文章なんか、これ以上、読みたい?私たちが求めているのは、常識をくつがえすような、新鮮な文章でしょう?

  「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない、と書いてしまうと語弊があるかもしれない。「科学的に正しいこと」「興味深いこと・面白いこと」が両立する場合は、それほど稀(まれ)というわけでなく、あるからだ。たとえば、寺田寅彦の随筆などがそうだ。(科学的に)正しく、そして面白い。もちろん、寺田寅彦のような稀有な例を出してしまうと説得力が失せるかもしれないが、科学的ということに限れば「正しいこと」と「興味深いこと」はそう珍しくない、と言っても良いのではないだろうか。

 ここで、斎藤美奈子が書く「正しいこと」というのは、そういう分野における「正しさ」ではない。それは、たとえば、ニュースを見てレポーターやキャスターが語る「正しいこと」や、それについて、さらに人が語る「正しい」こと、というようなものかもしれない。

 少なくとも、私が読みたい文章は常識に沿った道徳本ではないことは確かである。

2010-03-10[n年前へ]

科学がすべてではありません。 

 阿刀田高「殺し文句の研究 (新潮文庫) 」の「白い恐怖」中の言葉から。

 科学がすべてではありません。人の心の方が正しいことがあります。

2012-05-08[n年前へ]

「人々の意思が正しく反映されたもの」と「正しい情報」は両立しない 

 「マシなインターネットを作る:malaさんインタビュー

 物事が複雑になると、人は読みたいようにしか読まないし、都合の良いように捉えて、そのまま伝搬しちゃう。

 そうですよね。…だから、というわけではないですが、最後の部分、

 すでにインターネットが社会の意思決定システムとして利用されているわけで、人々の意思が正しく反映されるよう、技術者が真剣に考えてサポートしていかなければいけない。
 …本当は間違った情報は修正されるようなシステムを自分で作らなきゃいけない。
の「人々の意思が正しく反映されるよう」と「間違った情報は修正されるようなシステム」は、違う方向を向いていて、それらは矛盾し・相容れないものではないかのか…と強く感じます。「人々の意志」が好み・欲するものを正しく反映したもの…つまり流行るものと、「”正しい”情報」というものは、果たして相容れるものだろうか?…と疑問に思うのです。

 そういえば、「”分数もできない大学生”のような"みんな"が行う判断は正しいと思いますか?」という実に曖昧な質問を、先生に聞いてみたことがあります。その時、言われた「分数ができても、みんなが正しい判断をするとは言えない。金融工学がいかに進もうと、バブルは繰り返す」という言葉を思い出しました。人々の意思が正しく反映されたもの、「バブル」のように多くの人を動かし「流行る」もの…と、「”正しい”情報」とは重ねがたいものではないか、と考えたりします。

 「人々の意思が正しく反映されたもの」と「正しい情報」は両立しないのではないかと思います。そしてまた、”正しい”…って「そもそもどんなことなんだろう?」と、首をかしげたりもするのです。

2012-05-16[n年前へ]

最近のつぶやきから:「好きなこと」や「流行るもの」や「正しいもの」など 

 「Google 辞めました」を読んで、ふと思い出した格言(?)は「好きなこと(趣味)は”仕事”にしないほうがいい」

4:07 PM - 12 May 12
 「好きなことは仕事にしないほうがいい」…けれど、好きなこと・実現したいことに向けて起業し・時に人を雇い、そして、また(自分とは違う人の)「好きなことは仕事にしないほうがいい」の振り出しに戻るんだろうか。

8:21 PM - 12 May 12
 日経BPデザインの「見えないデザイン」記事ではないが、「それっぽい(あたかも)論理であるかのように見える(人に感じさせる)理由」と「人の感情に(何かしら)訴える物語のようなロマン」が足されたものは流行(はや)る。

8:09 AM - 11 May 12
 「見えないもの」を「目に見えるようにする/具現化する」こと無しに書く記事は、「物語」「オカルト」だよね。

9:23 AM - 19 May 12
 もしも「流行る」ものを「修正する」というシステムを作ろうとするなら、自分なら、どんな風に考えるだろう? 流行る・修正するをイコールPosi/Nega フィードバックと考えると、それらは(感覚的には)とても両立しそうにない。修正する=Negative FBでなく「正しいものを面白く・流行らせる」Positiveフィード・フォワード・システムを作ることを目的にするべきだろうか?

 いや、それでは、狭くて上手くない…。そんなPositiveフィード・フォワード・システムがフィードするものよりも、広い世界には、もっとずっと自然に・強く流行るだろうもの・人の心を惹きつけるものがある…。

10 May
 「間違った情報が修正されるシステム」を作るなら「こういうものは正しい」とか「こういう人たちの言葉は参考になる」というモデル/知識を、観測器が適時修正するというシステムで、(この短文ですら何度も登場する)”正しさ”は、結局のところ、人それぞれ/各自が独立に持つというものにしようか。

9:28 AM - 19 May 12
 多数の人が共有する、「こういうものは正しい」とか「こういう人たちの言葉は参考になる」というモデル/知識を観測器が適時修正するというシステムを作ろうとしても、それは「現状(ありとあらゆる現状技術のメディア)そのまま」だろう。

9:35 AM - 19 May 12
 各自が独立に判断をして、あるいは行動モデルを作り、その取捨選択が生存(拡大)確率を決めた結果、「正しさ」の精度が高められていくのだろうか。…だとしたら、「保証・サポート」が充実している世界・システム下では、(それらが無くならない限り)「正しさ」は手に入らないのかもしれない。

9:39 AM - 19 May 12
 不安に飲み込まれないためには・負けないためにはどうすればいい?…「不安は(を)人間で解消しちゃいけない。それは避けた方がいい。それは逃げ道だ」…モノは人にいつも答えてくれるけれど、人間は違うから、自分の不安を解消する術を他人(ひと)に向けてはいけない ・・・という名言。

 …大高洋夫をゲストに迎えた「鴻上尚史と里田まいのサンデーオトナラボ(2011年08月07日)」の25 分前後から。

8:18 PM - 10 May 12



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