hirax.net::Keywords::「演劇」のブログ



2006-04-05[n年前へ]

「今や、数の原則がメインカルチャーを担っている」 

 各種締め切りに追われていた。気づくと、ポケットにたくさん破った紙が入っている。移動途中などに雑誌を読んで、「気になったページ」を破りとったするからだ。というわけで、ポケットの底に入っていたのが、この「今や、数の原則がメインカルチャーを担っている」 ホリエモンと数の原則について、何回か連続して書かれたうちの一回。

数に還元しないもうひとつの世界観があるんだということを知らない世代は、そもそも、どうして演劇ジャーナリストがぼやいているのかも分からないでしょう。 人は、数の原則をメインカルチャーの基準にしようと願ったのではないかと思います。中途半端な数だと、サブカルチャーになるけれど、圧倒的な存在はメインカルチャーになる。  鴻上尚史 「ドン・キホーテのピアス」555回

2007-11-30[n年前へ]

「美味しい食べもの」を表現する技術 

 色んな小説や随筆などの中に登場する「おいしさ表現」を集めた「おいしさの表現辞典(東京堂出版)」を読んでいると、目の前にベルトコンベアがあって、その大通りの上を「信じられないほど美味しい食べもの」が次々と行進していくような気になる。一言でいえば、「ものすごく食べたくなるのに、見てるだけ」状態になる。この本には、そんな「目の前に料理があるかのように感じる」文章が詰まってる。

 祖母に、お焦げを作ってくれたどうか尋ねる。 「パリパリいってから七つ数えたから大丈夫だよ」
 かまどで、硬いマキで鉄の釜で炊くご飯。しかもアツアツのおこげで握るおにぎりである。
向田邦子「父の詫び状」

 文章に限らず、絵画や写真や演劇や歌といったものには、つまり、ありとあらゆる表現技術には、きっと同じ基本があるのだろう。対象物を観察して、その対象物をよく感じた上で、何を濾過して強調するか決め、そしてそれを描く、そんな原理があるのかもしれない。

 湯気は人の心をほのぼのと温かくする。
東海林さだお「タクアンの丸かじり」

 本物よりも美味しそうな食べ物の写真。見たことのない料理だけれど、なぜか食欲をそそられる絵画の中の料理。実際に聞く調理の音より、生き生きと音が弾けて聞こえる映画の中の厨房シーン。そういうものを作る人たちは、どういう目や耳で料理を感じているんだろうか。

 両眼はきらきらとかがやき、颯爽として蕎麦をあげ、蕎麦を洗う。
池波正太郎「散歩のとき何か食べたくなって」

 そして、美味しそうに食べものを表現し尽くす人たちは、どんな風に食べものを味わうんだろう。きっと、美味しさで脳波計の針が振り切れるくらい、ADコンバータで桁あふれが起きるくらい、その美味しさを味わうんだろう。その美味しさの片鱗から生まれた表現さえ、こんなに美味しそうなんだから。

 コーヒーの香ばしい香りがうす暗い店内に午後の親密な空気をつくり出していた。
村上春樹「ノルウェイの森」

名作映画の料理レシピ映画の中の料理 料理と天文学イタリア料理の定番、カルパッチョは画家の名前






2008-05-06[n年前へ]

「舞台裏」 

 マンガ家の西原理恵子が「サンデー毎日」に連載していた4コマ・マンガとエッセイをまとめたものが、1993年に毎日新聞社から出版された「怒濤の虫 」だ。西原理恵子は、「あのコラムは毎日新聞の担当の方が、私の文章を手直ししてくれているんです。時には、原文の姿がどこにも見当たらないほどに」というようなことをどこかで書いていた。その言葉を当然のように受け入れられるほど、確かに「怒涛の虫」はいかにも手馴れた具合で言葉が書き連ねられている。

 世間的には、それで金を稼いでいれば仕事、そうでなければ趣味、ということになるのであろうが、それではday jobをこなしながら喰えない舞台俳優を続けている人にとって、舞台は何なのだろう。
 少し前、河合さんの文章を読み、ずっと思い返していたのは、「怒涛の虫」の中の「死んだのはひとりの芸術家でした」という文章だった。
 彼だけは、その日暮らしの生活を送りながら、完成度の高い絵を描き続けていました。…それなのに、彼の絵は売れませんでした。
 「怒涛の虫」の中で、(唯一といってよいと思う)4コマ・マンガが描かれず文章だけが書かれていたのが、「死んだのはひとりの芸術家でした」だった。西原理恵子と担当編集者が書いた言葉の割合はわからないけれど、若い頃の西原理恵子の「番外編」のような内容で、なぜかずっと忘れられない。
 死んだのは、フリーアルバイターではなく、ひとりの芸術家でした。

 当時のサンデー毎日の”担当S”、今は毎日新聞で「毎日かあさん」の担当をしているのが、毎日新聞出版局の志摩和生だ。「毎日かあさん 出戻り編 4」の「後ろ見返し写真」には、フリーカメラマンの鴨志田穣の笑う姿とマンガ家の西原理恵子の後姿が写っている。この写真を撮ったのは、カメラのファインダーを覗いて、そんな景色を切り取ったのも志摩和生氏だ。そうだ、あの”担当S”氏だ。

 本が作られるまでの裏作業、写真を撮影するための作業、舞台の上で演じられる演劇の舞台裏…そんなことを見るのも良いな、と時折思う。華やかな舞台の舞台裏や、それとは程遠い舞台裏を知りたい、と時々思う。

2009-01-14[n年前へ]

「東大安田講堂事件」と「劇作家」 

 1968年に起きた「東大安田講堂事件」を読んで、ふと鴻上尚史の「ヘルメットをかぶった君に会いたい」 を連想した。答えがない問いを前にして、その問いを振り払うことができない感じというか、トイレに行ったはずなのに残尿感が強く残り続けている夢の中のような、そんな面持ちになった。

 そして、さらに、井上ひさしが「死ぬのがこわくなくなる薬―エッセイ集〈8〉 (中公文庫)」に書いたこんな文章を思い起こした。

 "わたしには"<現在という時間・空間に、どのような形で住み込むのが、もっともよいのか>という切ない想いが彼の魂の底で暴れ狂っているようにおもわれます。さまざまな時・空間を並べて繋げて結び合わせ、作家自身がその時・空間を生きながら、現在という時・空間にどう住み込むのがよいかを、野田さんは必死に探し求めているようです。

井上ひさし 「野田秀樹の三大技法

 もしかしたら、野田秀樹に限らずとも、ほとんどの作家が作るものは、そんなものが多いのではないだろうか。少なくとも、鴻上尚史が書く戯曲はまさにそのようなものだ。世界を映し出す舞台、そんな世界の中でどう生きるか、どう立ち続けるか、そんなことをずっと書き続けているように思う。・・・そういうものを書く劇作者は、たぶん、とても多い。

 どうも作者というものは、自分のために薬を調合する人種のようである。

井上ひさし 「死ぬのがこわくなくなる薬

2009-05-18[n年前へ]

「僕たちの好きだった革命 

 鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス」 No.716 から、「僕たちの好きだった革命 」再演について。

 1969年に行き、30年たって47歳で高校2年生として復学してくる中村雅俊さん演じる山崎は、行ってみればドン・キホーテです。
 ・・・「どうしてそんなにガンバルの?」と片瀬那奈ちゃん演じる未来(みく)は・・・聞きます。
 山崎は答えます。「未来(みらい)を信じているからさ。」
 未来は納得できません。「ほんとにいいい未来になる?」と思わず聞きます。山崎は驚いて返します。・・・



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