2010-07-02[n年前へ]
■吉行淳之介と山田詠美の「せつない話」
山田詠美が集めた「せつない話 (光文社文庫)」 を読んだ。頁をめくると、まず初めに冒頭を飾っているのが、吉行淳之介の「手品師」という話で、とても新鮮だった。新鮮だった理由は、日暮れた夜の街を描く吉行淳之介の描写がとても気持ち良かったことと、その内容を「吉行淳之介」が描き、「山田詠美」がそれを「せつない話」という題目で収録した、ということだった。面白いのは、吉行淳之介と深い関係にあった、宮城まり子による選集にも、やはり、この「手品師」は入っているということだ。
この「手品師」という短編には、女性に対する何とも複眼的な眺め方がされていて、とても素直であったり、あるいは、冷めた客観的であったり、結局のところ、切ないけれど愛を向けた描き方がされている。宮城まり子や山田詠美は、一体、この物語をどのような心地で読んでいたのだろうか?
この短編を読んだ後は、蒸し暑い夕暮れの路地を歩き、路地裏の飲み屋に入りたくなる。何か一皿頼み、そして、冷えた酒を飲みながら、通りを歩く人を眺め、眺めた人に、きっと恋をしてしまうに違いない。
2010-09-07[n年前へ]
■「科学的でも論理的でもありません」
「12星座の恋物語 」から。
「おはなし」は、科学的でも論理的でもありませんが、そのなかにたくさんの知恵や共感すべきエッセンスを含んでいることが多くあります。
この一文を読み、江國香織の「泳ぐのに、安全でも適切でもありません 」を連想したので、このクリップは「科学的でも論理的でもありません」という題にしてみました。
2011-03-17[n年前へ]
■「我々に必要な科学」
高木仁三郎(*)が「人間の顔をした科学 」中で、「火山を噴火させることで人を豊かにしよう」とする物語、岩手県花巻に暮らした宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」をひきつつ、そして宮沢賢治が書いた「我々はどんな方法で、我々に必要な科学を、我々のものにできるか」という言葉をひきつつ綴ったもの。
「グスコーブドリの伝記」や「雨ニモマケズ」など、(宮沢)賢治との出会いが始まったころ、私自身は核化学の研究者として、死の灰(核実験による放射性降下物)による環境の放射能汚染という問題にぶつかり、どう取り組んでいいか悩んでいました。
日照りの時は涙を流し、寒さの夏はオロオロ歩き。
…そういうものに私はなりたい。
その時から二十数年経って、臨界事故に接して人びとがオロオロしているのに対して、私たちがこの視点から情報を発信したり、分析したりすることに意味があると思っているわけですが、私はこの確信はあながち間違いではなかったと痛感するわけです。
*高木 仁三郎:1938年群馬県生まれ。1961年東京大学理学部化学科卒。日本原子力事業NAIG総合研究所、東京大学原子核研究所助手、東京都立大学理学部助教授、マックス・プランク研究所研究員等を経て、1975年原子力資料情報室設立に参加。1987年原子力資料情報室代表(98年まで)。1998年高木学校設立を呼びかけ、校長に。2000年10月8日逝去。専攻は原子核化学(理学博士)。
2011-05-18[n年前へ]
■「因果関係」という作用を与える(瓜二つの)「物語と科学」
無料で購読できる最高のグラフ誌「GRAPHICATION」 から、池内了の「子どもの遊びにおける物語性と科学性」を読みました。冒頭のこんなフレーズを読みながら、少し首をかしげてしまいました。
幼児期から小学校までの子どもが好きなものは物語と科学(理科)だろう。この二つは一見すると無関係なようだが、実は重要な共通点がある。想像力を刺激するという点だ。
なぜ、首をかしげてしまったかと言えば、それは「物語と科学」は無関係どころか、とても「繋がりやすい」ものだ、という印象があったからです。科学も物語も、そのどちらもが「因果関係を与えてくれる」瓜二つの作用を持つものだという意識があったので、「一見すると無関係」という言葉に違和感を感じてしまったわけです。
「普通、人間のいちばん好きな考え方は因果関係です」と言うのは心理学者の河合隼雄の言葉です。そして「人は因果関係を納得しやすい。というか、因果がないと、物事の関係性を納得しにくい生き物なんだよね、人って」と書いたのは、小説家の新井素子です。
だからこそ、「(人の心や頭を)納得させる因果関係」や「”こうあってほしい世界観”や”自分が欲しがっている魅力的な(適度な理屈・ロジックをまとう)結論”」を与えてくれる(ように思わせる)疑似科学という物語は人を惹きつけるのです。
僕がマクロ経済学に飛びついたとき、現実の世界は不況で不安定になっていたわけです。そんなとき、「公共事業をやったり、お札をいっぱい印刷したりすれば安定な世界に戻るんだ」というケインズ理論はとても魅力的で、僕の”こうあってほしい世界観”に近くて、あこがれとか高揚感に近い楽しさを感じたんですね。
そこで思ったのは、自分が欲しがっている”あまりに魅力的な結論”を与えてくれる適度な理屈・ロジックに飛びついちゃったんじゃないか。
小島寛之
科学も物語も、そのどちらもが「世界」を描いてるように見える巻物です。「因果関係」という作用・納得を与える(かのように見える)瓜二つの存在です。