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2003-04-13[n年前へ]

偵察衛星の「視力」はいくつ!? 

 30倍の双眼鏡で覗くアフリカ人です。スゴいんだかスゴくないんだか、笑っているのか泣いているのかよく判りません。そんな話です。

偵察衛星の「視力」はいくつ!? 

30倍の双眼鏡で覗くアフリカ人

 ほんの何週間か前、米軍がイラクへ侵攻し始めた頃、テレビのワイドショーでは米軍の偵察能力の話題がよく取り上げられていた。なんでも、10cm前後の分解能があって飛行場に止まっている車の車種まで判別することができるとか、歩いている人を認識できるとか、そりゃまたビックリの偵察衛星の性能を事細かに報じていた。
 そしてまた同じ頃、北朝鮮の軍事施設の監視などを目的として打ち上げられた日本初の「偵察衛星」の話題もワイドショーで取り上げられていて、こちらの方は分解能1mという性能を挙げながら、米軍の偵察衛星との能力比較などが行われていた。

 とはいえ、日本の偵察衛星が高度約490kmから地表1mの物体を見分けるとか言われても、あるいは米軍の偵察衛星のように250kmの上空から10cm程度のものを見分けるとか言われても、それだけではワタシにはどうもピンとこないのである。どのくらい「よく見えているか」がなかなかワタシにはピンとこないのである。少なくとも、ワタシにとっては「どのくらいよく見えるか」ということは、もう片目を隠す「黒いしゃもじ」あのCの形と切り離して考えることはできないのである。つまりは、昔学校で受けた視力検査の「視力」というものが「どのくらいよく見えるか」の尺度になってしまっているのである。偵察衛星がスゴイと言われても、じゃぁどの位の「視力」なの?と思ってしまうわけである。視力4.0というアフリカ人の何倍スゴイ、と言われなければワタシにはどうも今ひとつピンとこないのである。

 というわけで、今回は偵察衛星の視力を計算してみることにした。まずは視力の定義である。視力の定義は、「識別できる最小視角(単位は分)の逆数を視力とする」となっている。だから、例えば視力1.0の場合には、直径7.5mmのCの形に刻まれた幅1.5mmの切り込みの場所を5mの位置から認識できるということになる。もし、10mの距離からその1.5mmの切り込みを識別できれば、視力は2.0であるし、21mの距離から識別できるなら、おっとビックリのアフリカ人と同じ視力4.0ということになるわけである。

 それでは、偵察衛星の場合で計算してみることにしよう。とりあえず、識別できる最小サイズをS(m),識別する物体までの距離をd(km)とすると、上の定義から視力は

1/(360*60*ArcTan[S/(d*1000)/ 2 * π])
と表される。そして、先のワイドショーで知った数字などをこの式に入れてみると、
  • 高度約490kmから地表1mの物体を見分ける日本の偵察衛星 = 視力 143
  • 高度約250kmの上空から10cm程度のものを見分ける米軍の偵察衛星 = 727
と、偵察衛星の「視力」を知ることができるのである。日本が誇る偵察衛星であれば、おっとビックリのアフリカ人の視力の35倍ほど上で、そして米軍の偵察衛星であればさらにその5倍以上の視力、つまりビックリ・アフリカ人の何と180倍ということになるのである。何だか、スゴイんだかスゴくないんだかよく判らなくなってしまうのである。日本がガンバッて打ち上げた偵察衛星が「スゴイ視力のアフリカ人が30倍の双眼鏡で覗いているのと同じ性能」だと言われても、偵察衛星がスゴイんだか、アフリカ人がスゴイんだか、それとも実は偵察衛星がスゴくなかったんだか、何が何だか判らなくなってしまうのである。そしてまた、ワタシの視力は日本人としては良い方の2.0位なので、アメリカの偵察衛星はワタシが400倍の望遠鏡を覗く程度のスゴさだと判るのである。まぁ、どっちにしてもピンとくるような、こないような不思議な感じだが、とにかく日本人の偵察衛星は視力が140程度で、アメリカ人の偵察衛星の視力は730程なのである。そんなことが、今回はとにかく判ったのである。

 さてさて、目がいい人が高倍率の双眼鏡を覗いていれば、私たちは当然「何が見える?」と聞くに違いない。ましてや、それが偵察衛星で、軍事行動に走る前であるならば偵察衛星から何が見えるかを丹念に調べるに違いない。もしも、私たちが高度250km偵察衛星に

「そこの街には誰かが居る?」
と訊けば、それが15cmの精度の偵察衛星ならきっとちゃんと答えてくれるに違いない。
- 今、そこには人が何人か歩いています
そこで、私たちは偵察衛星にもう少し詳しく聞いてみる。
「その人達はどんな表情を浮かべてる?」
「悲しんでる?それとも、笑ってる?」
15cmの精度では人の表情までは判らない。人が居ることは判ったとしても、今の偵察衛星では人の顔までは写らない。近くで眺めてみないことには、人の表情は判らない。

2003-07-10[n年前へ]

5mも飛び出す眼鏡不要の立体視 

 微小凸レンズを並べたレンズアレイでつくる3次元ディスプレイこんなディスプレイの話題が懐かしの「物理の散歩道」で書かれていたのはもう三十年前。こんなディスプレイを使って、どんなコンテンツができるのだろう?
 そういえば、ずっと昔にラブホテルでバイトしていた時に「特別室」にだけ置いてあった「立体テレビ」って観てみたかったな。ずっと、故障中で観ることができなかったのだけれど。ちょっと観てみたかったな。

2003-09-14[n年前へ]

紙がいいものと電子ブック「が」いいものと  

 スラッシュドットの電子書籍の話
 面白かった書き込みはこの

実は老眼鏡をかけて紙の本を読むより、 かけないで液晶ディスプレイでテキストを読む方が、はるかに楽なんですよ。 ディスプレイの方が明るさや眼からの距離を調整しやすいからなのです。
というもの。ただし、この手の意見は通常無視されるものではないかと思う。それは、「老眼鏡をかける人」というのが多数派ではない、あるいは「老眼鏡をかける人」相手の商売はニッチな商売だと認識されているからだと思う。その認識が将来どうなるかは判らないけれど、いわゆる大企業では大きいが故のコストを考えると確かにそのニッチな商売(と判断している以上は)には手を出しづらいに違いない

 どう思います?

2003-10-16[n年前へ]

おばあさんの唇 

 朝からの報告を終え、東横線の乗換駅で列車を待っていた。横の方から眼鏡をかけた小柄なおばあさんがよそみをしながら歩いてきた。あれあれ危ないな、と思う間もなくそのおばあさんの顔が私の肩にぶつかった。
 私はぼうっとしていたし、丸顔のおばあさんはなんだか急いでいるようですぐに視界から消えてしまった。で、ふと気づくと私の背広(ドレスコードのあるビルでの報告だったからしょうがなく着た背広の)の肩には鮮やかな赤い口紅の跡がしっかりと残っていた。
 なんだかよそ見なんかしててずいぶんとそそっかしげなおばあさんだったけれど、深紅の口紅でやっぱりまだまだ女なんだよなぁ、と思ったのだった。六十はとうに過ぎていそうだったけれど、背広に残った唇の跡を見ながら思ったのである。



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