hirax.net::Keywords::「眼鏡」のブログ



2005-02-13[n年前へ]

組み合わせの数・お医者さんごっこ編 

「やおい」の評価演算子理系の会話ってこんなん(その3:お医者さんごっこ編) 「お医者さんごっこ(シチュエーションプレイ)」をする時の組み合わせってどんな感じ?という話題の「組み合わせの数・お医者さんごっこ編

 「お医者さん対お医者さんってとかの同種同士の処理」「眼鏡っこ処理」「男×男処理(さらに前後関係重要)」「女×女処理(これも前後関係重要…なの?)」とか、人それぞれの各自コダワリ意見もあふれ出てきそうだが、そんな自分のアイデアを各自のページで構築してみるのも、一興かも。

2006-05-08[n年前へ]

「組織生態系シミュレーション」「フェルメール」「眼鏡」 

 今日の「LINK n年前へ」は「生態系ピラミッドシミュレーションを違うピラミッドとして眺める」「現代のフェルメール」と「水彩画のフェルメール」「眼鏡橋を心の中ににかけてみたい」などです。

偉い人が壊れても下っ端が残ることはありますが、下っ端が壊れると必ず偉い人が全部壊れちゃいます。偉い人が偉いのではなく、偉い人は大量の下っ端に支えられてやっと存在しているのだとか
自分と正反対の自分二つの自分によって作られた眼鏡をとおしてもっといろんなモノを見てみたい

2010-11-15[n年前へ]

アニメ・マンガの「めがねっこ」は実はみんな伊達メガネ 

 めがねっこが大好きです。だから、こんな感じの文章を「めがねっこ大好き。」と称して書いたことがあります。

 たとえば、建築で言えば、鉄骨建築が理系で、プレハブ住宅が文系なのである。プレハブ住宅を支えるのが壁であるように、皮膚の感覚を大事にするのが文系で、力強くそそり立つ鉄筋コンクリートのごとく、骨から組み立てていくのが理系なのである。つまり理系は骨があるのである。詩で言えば、散文詩は文系で定型詩が理系なのである。つまり、理系は型を守り抜く心を持つのである。
 だから、たとえば、理系は女子高生の制服が大好きなのである。ありとあゆる個性を持つ女子高生たちをセーラー服(あるいはブレザー)という記号で記号・集合論的に取り扱うことを可能にし、ついにはその制服を見るだけで萌えることができる、それが理系なのである。
 「このアイドルがなんとなく好き」という素直で曖昧模糊とした衝動で動くのが文系であるならば、「このアイドルがめがねっこだから好き」という確固とした意志を形にしたもの、それすなわち理系なのである。

 そんな気持ち「めがねっこ大好き。」な気持ちを、ずっと変わらなく持ち続けています。・・・その一方で、アニメ・マンガの「めがねっこ」を見るたびに、何だかとても納得できない気持ちになるのです。なぜかというと、それはアニメ・マンガの「めがねっこ」は実はみんな伊達メガネにしか見えないからです。アニメ・マンガに描かれているメガネは、どれも光を曲げるという機能を持たない・・・つまり、まったく眼鏡の機能をなしていない伊達メガネに見えるのです。

 たとえば、ドラえもんの「のび太」さんを見てみましょう。・・・しまった、「のび太」のメガネは「メガネは顔の一部です」状態で、伊達メガネうんぬん以前の問題です。それなら、スラムダンクの小暮さんならどうでしょう。・・・ほら、小暮さんの眼鏡の無効に見える顔の輪郭も、目の輪郭も、眼鏡を通す・通さないに関わらず、少しも変わらず同じように見えています。そう、スラムダンクの小暮さんは、伊達めがねくんなのです。そして、他のアニメ・マンガ・キャラたちを眺めてみても、みなが「光が少しも曲がることがないメガネ」をかけているのです。これは、「骨から組み立てていく」理系的には、少し難があるのです。それでは、本当に「メガネ」ではなくて、ただの伊達眼鏡にしか思えないのです。

 「これはすごい!」と感心するぐらい忠実なメガネを描いたアニメ・マンガの「めがねっこ」があれば、とてもハマりそうな気がします。「そうか、この主人公は右目のディオプトリーがマイナス2.5Dで、左目はマイナス2.75Dで少し乱視が入っていて、そのお母さんはちょっと老眼気味のプラス2.5Dの可愛い眼鏡の奥にどんぐりまなこの目が隠れている・・・という具合に、見事なくらいに律儀に設定された「めがねっこ」たちを眺めることができたら、たぶんものすごく魅力的に感じるに違いない、と妄想が炸裂する今日この頃です。

2012-04-12[n年前へ]

「遠視の人は老眼になりやすい?」の謎を解け! 

 「眼の(ピントの)調整範囲」は、年齢が同じであれば、たいてい同じくらいです。ただ、そこには「オフセット」があります。つまり、近い側にピントが合うという人と、遠い側にピントが合う、というオフセットです。前者は近視と呼ばれ、後者は遠視と呼ばれます。

 近視や遠視の人は、メガネやコンタクトレンズをすることで、眼の(ピントの)調整範囲のオフセット(ズレ)を打ち消します。たとえば、ピントが合う領域が近い側にオフセットしている近視の人であれば、メガネをかけることで「裸眼時の眼のピント調整範囲(実線)」を「メガネをかけた状態のピント調整範囲(点線)」へと変え、(よく眺める距離領域や)無限遠が見えるようにするわけです。

 「眼の(ピントの)調整範囲」は、オフセットはありますが、年齢が同じであればたいてい同じくらいであって、「年をとるにしたがい、眼の(ピントを合わせることができる)調整範囲が狭くなる」ことが「老眼」です。だから、「老眼」は遠視の人にも近視の人にもモレなくやってきます。

 しかし、「老眼」というものを「(裸眼で)近くが見えなくなること」だと感じる人も多いのではないかと思います。そういった感じ方を前提にすると、近視の人はメガネをとれば「ピントが合う領域が近い側にオフセットしている」わけですから、年をとって老眼になったとして、メガネをとって裸眼にしてしまえば、比較的近い側を見ることができる、ということになります。(もちろん、メガネをとってしまうということは、無限遠や遠くは見ることができなくなります。それは遠視の人が老眼鏡をかけることと同じです)

 「遠視の人は老眼になりやすい?」と言われたり、それと反するように「遠視であっても近視であっても、老眼にはなるんだ」と言われたりします。そこで感じる矛盾は、「老眼」の定義(その言葉をどう考えるか・受け止めるか)が少し互いにズレていることが原因です。

 そんな「ズレ」も、上に挙げたようなグラフを眺めれば、自然に溶かし・納得できるように思います。

「遠視の人は老眼になりやすい?」の謎を解け!






2012-08-22[n年前へ]

自分で作る「セカイメガネ」 

 ①視線方向を計測し ②視界映像も取り込んで ③外部センサデータも使いつつ ④外部モロモロを制御しよう!という(自分用)メガネを作り始めています。そんなものを作ろうと思ったきっかけは、今は慶応SFCにいる増井さんの言葉です。

 昔は、近眼のニンゲンは生きていくことができなかった。「近眼」というものは、そういうものだった。  しかし、メガネという道具が作り出された今は、メガネが日常に溢れる普通のものになった今は、近眼というものを気にする人はいなくなった。近眼なんて「病気」は消えた。
 こんな言葉を聞いて、自分の目の不自由なことを補うメガネを作りたくなったのです。

 右上に貼り付けた「自分用メガネ」…メガネ中央部にUSB経由でPCに動画をリアルタイム出力できるカメラが備え付けられていて、赤外光照射&視線方向を(赤外線で)計測するためのカメラ(これもUSB経由でPCに動画をリアルタイム出力可能なもの)も備え付けたので視線と視界を同時に計測できるカメラメガネです。

 たとえば、右に貼り付けたのは『AKB 48 を観る(自分の)視線』です。そして、下に貼り付けたのは、メガネの中央部に埋め込まれた小型カメラ+ミニ魚眼レンズを使って取り込んでいる、リアルタイム撮影している「視界映像」です。どんなものを眺めていて、どんなものに顔を向け、そして(そんな風に眺めた景色中の)どの部分に目を向けたか(惹かれたか)を映し出し・計測してしまう・・・のです。

 というわけで、「視界」と「視線」を同時に把握する、すなわち、どんなセカイを眺め・どんな一角に目を(そして心を)奪われるかを調べ上げる視界・視線の同時撮影カメラを作っています。自分の視界(世界)や視線を白昼のもとにさらしてしまうこの「セカイメガネ」…結構恐ろしい最終兵器かもしれません。



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