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2009-04-09[n年前へ]

BLUE BACKS「制御工学の考え方」 

 「制御工学の考え方―産業革命は「制御」からはじまった (ブルーバックス) 」は、わかりやすく面白く読めて満足感が得られる本だと思う。とんなことに興味を持っている人かによらず、どんな人が読んだとしても、きっとその人の興味対象と重なる「面白さ・新鮮さ」を感じそうな気がする。言い換えると、この本のあとがきに書かれている「普遍性」、そんな普遍性がある面白さが詰まっている。

 制御の普遍性は二つの意味がある。
 一つは工学の中での普遍性で、ほとんどあらゆる工学分野で制御は使われている…ある対象をうまく制御することに成功した場合、その成果は比較的容易に他の対象に展開できる。
 そしてもう一つは「まえがき」でも触れたように、工学を超えた普遍性である。
 経済学については、その本質がダイナミックスにあるにもかかわらず、経済学の教育がそれに目をつぶる傾向にあることを敢えて指摘したい。変化の激しい現代社会では、経済現象の静的な捉え方は、もはや近似としても成り立たないのではないか、と思うのは素人の見当はずれだろうか。
 わが国のもの作りが世界で長く優位を保ってきたのは、現場での経験を尊重する経験主義のおかげであった。しかし、経験主義が行き過ぎると、「理屈をこねる」ことを毛嫌いし、「えいやあっとやってみろ」という体当たり主義となる。
 制御工学は、理屈を嫌う体当たり主義に対抗する「理論派」の砦である。




2009-05-12[n年前へ]

未来とは、選択肢と確率の組み合わせからなる空間だ。 

 西村和雄 「満員御礼!経済学なんでもお悩み相談所 (日経ビジネス人文庫) 」から。

 われわれが意思決定を通じて、多くの選択肢の中から一つつを選ぶ、それが次の瞬間を決めます。未来は大きく広がった選択肢の集合で、そのどれが実現するかは決まっていないのです。自分の今この瞬間の行動は、未来の一部の状況が実現する可能性を高め、ほかの状況が実現する確率を低めることになります。
 未来とは、選択肢と確率の組み合わせからなる空間なのです。・・・完全に将来を決める公式など存在しないのです。

2009-05-27[n年前へ]

現代思想2009年5月号 特集=ケインズ 不確実性の経済学 

 地下の居酒屋で飲みながら、「現代思想2009年5月号 特集=ケインズ 不確実性の経済学 」を借りてパラパラとページをめくり読んだ。充実した執筆者たちが、それぞれの見方でケインズを論じていた。

 数年前、ケインズは過去の化石標本であるがように経済学の話を聞き、同じように、そういった雰囲気の本が本屋に並んでいた。けれど、今、本屋に行くと、ケインズという文字が溢れていて、地域振興券や高速代金割引がバラまかれ、まさに「ケインズ的政策」が日本中を席巻している。

 「100年に一度の不況」という言葉がしきりに使われている。100年に一度、不況が訪れるという。100年に一度、ケインズは蘇るのだろうか。歴史は何度も繰り返す、というのは本当なのだろうか。

2009-08-01[n年前へ]

「ケインズの不確実な未来」と「PID制御」 

 「現代思想2009年5月号 特集=ケインズ 不確実性の経済学 」を、しばらく前に居酒屋で眺めた。結局、その後、自分で買って、じっくり読んでいる。選挙のマニフェスト(のようなもの)と比べながら読んでみたり、歴史年表を見て歴史背景を確認しながら読み進めてみたりしている。

 この本を読む時、制御工学のPID制御をふと連想することがある。「"現在"の姿に応じた(比例した)"P=Proportional"と、過去の履歴を積分した"I=Integral"と、その瞬間の変化(動き・移り変わり)を強調した微分の"D=Differential"を、テキトーに混ぜ合わせたものを基準にして動く制御機構」と、人々が日々考え動くさまを重ね合わせてみたくる。

 人はやりなおしのきかない過去と、不確実な未来の前で、経済行為の決断をするのである。

「ケインズの思想」 伊東光晴

2009-08-02[n年前へ]

70年前の経済思想についての「衒学的議論」 

 「現代思想2009年5月号 特集=ケインズ 不確実性の経済学 」から。

 そして彼ならば、経済学者達が70年前の経済思想について衒学的議論に憂き身をやつしている様を見ることもまた、決して喜びはしないだろう。



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