hirax.net::Keywords::「絵馬」のブログ



2003-06-18[n年前へ]

今日の絵馬 

 2003年2月に文京区の湯島聖堂で見かけたという、「お父さんが会社の試験に合格しますように」という絵馬。何歳くらいのこどもが書いたんだろう。

2005-03-27[n年前へ]

「ウルトラマンセブンになりたい」 

 今日見かけた絵馬は…、

  子供:  「ウルトラマンセブンになりたい」
  父、母: 「強い子になってください」

 ウルトラセブン…、それは確かに十分「強い子」かも。将来、背が伸びて、大きく(身長は40mくらいだっけ?)強くなっても、あまりビルとか街を壊さないでね。あと、3分以上体力が持つ持久力もつけた方が良いかも、ね。そしたら、地球を楽々守ることだってできるかも。それとも、もしかしたらウルトラマンセブンっていうのは、ウルトラセブンとは違うものなのかな?だけど、きっと強いんだろうねぇ。

「ウルトラマンセブンになりたい」






2005-04-23[n年前へ]

「歩いて伝わっていくこと」 その1 

 過去の富士ゼロックスの広報誌GRAPHICATIONを読んでいると、阿部謹也が「歩く文化」をめぐって算額(全国一覧)のことを書いていた。

江戸時代には、算学者というか数学者も日本中を歩き回っていましたね。これは専門の学者ではなくて、アマチュアの数学好きな(道楽)人たちです。そして、各地の神社などに数式を書いた絵馬を奉納してゆく。…誰か解く者はいないかと。そして、絵馬に書かれた問題を解いて廻って腕を磨くわけです。阿部謹也 「歩く文化」をめぐって GRAPHICATION
WASAN 日本全国津々浦々、数学の道場破りをしていくとは。四国一周八十八札所巡りみたいに、算額八十八札所巡りみたいなものもあるのだろうか?

 この後に書かれている「江戸時代の農書では、農民がやってはいけないとされていることとして、美田を買うこと・賭け事・酒を飲む、などの中に-算数に凝る-というのがある」という話も面白い。ということは、つまり算数をしたがる農民も多くいた、ということだろうか? 十字架を隠し持っていた隠れキリスタンのように、算数クイズを隠し持つ隠れ算数農民たちがいたのだろうか?【わしらも実はカネゴン】

2010-10-27[n年前へ]

古びていくARタグ 

 AR(仮想現実感)ソフトウェア、現実世界に「書置き」をすることができるソフトウェアが増えている。そんなソフトウェアで、神社の絵馬が吊るされているところを眺めたとしたら、どんな景色が見えるのだろうか。

 色褪せないままに、ずっと同じ「書置き」が見えても良いような気がするし、(更新されないとだんだん古びていく)「すたれるインターフェース」のように、時の流れとともに朽ちていく「書置き」でも自然なような気がする。

 神社の絵馬を宮司が護り・そしていつか燃やすのだろうか。それならば、ARタグはどのようになるのだろうか。

2011-01-01[n年前へ]

「絵馬」と"Twitter" 

 元旦の神社は絵馬を書く人であふれている。その一方で、Twitterやその類いのサービスを使って「つぶやく」人もあふれてる。そんな絵馬とつぶやきにまつわる言葉をふたつ。

 …奉納されている他人の絵馬が興味深い。twitter に通底する何かがある。皆それぞれの思いを持って毎日を生きている。

陰気な男でいいですか?
 …思い出したのは、hiraxさんの絵馬のエピソード 当時はホームページ書いててもそんなに反応とかなく、どこか諦観した感覚があったなー、と。

 インターネットは全世界で見れる可能性はあっても、実際は場末のホームページはPVが1桁で掲示板も閑古鳥とかで。で、現在はSNSとかTwitterもそうだけれど、気軽に反響があったり感想をもらったりできて、「絵馬」のような捉え方はしなくなった。
 良いことではあるんだけども、そのとき感じた気持ちも忘れないようにしないとな、と改めて思ったり。

rikuo (rikuo) on Twitter



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