2004-11-09[n年前へ]
■何処へ行く?Google:もしかしてシリーズ
「就職しない = もしかして: 就職できない」 ニュースは世相を映すとはいうけれど、検索結果は世相を映すんだなぁ。 from 読書記録ChangeLog
2008-12-05[n年前へ]
■西岡常一 「木のいのち木のこころ 天」
「木のいのち木のこころ―天・地・人 (新潮文庫)」(あるいは「木のいのち木のこころ〈天〉」)は本当に貴重な必読書だと思う。斑鳩大工の西岡常一が語った言葉を塩野米松が書いたこの本には、本当に色々な形の、それでいて重い言葉が詰まっている。
時代は科学第一になって、すべてが数字や学問で置き換えられました。教育もそれにしたがって、内容が変わりました。「個性」を大事にする時代になったといいますな。
しかし、私たち職人から見ましたら、みんな規格にはまった同じものの中で暮らしているようにしか見えませんのや。
近くの図書館の蔵書にこの本が入っていたならば、迷わず借りて読んでみるといいと思う。とても高い密度の真理が、きっとこの本には詰まっている、と思う。そして、折に触れてこの本に書かれている「たくさんのこと」を何度も何度も読み返したい、と思ったなら自分のものとして買ってみると良いと思う。
木そのものが精密やないんですから精密機械は無駄ですな。そのとき精密に削っても次の日には狂っていますやろ。
少なくとも、技術者になりたいと思っている人は、けれどこれまで読んだことがなかったというような人は、読んでみるといいと思う。絶対に、そう思う。
2009-01-24[n年前へ]
■斎藤美奈子の「本の本」
本の本―書評集1994-2007 人はパンのみにて生きるにあらず、というけれど「生きることを支えるパン以外のもの」の一つが本だと思う。本を読んでいくことで感じること・得られることはとても多い。
本を読むことで得られるものはとても多いけれど、その一方、本自体の数もとても多い。だから、本屋や図書館でどの本手に取ろうか・・・と思い悩んでしまう。そんな時、誰かの書評があると、あまり悩まずにその本を手に取り読むことになる。
そういえば、私は斎藤美奈子の書評を頼りにして、そしてその書評を念頭に置きながら本を読むことが多い。
本を読む行為は基本的に孤独です。しかし、そこに一篇の書評が加わると、世界は何倍にも膨らみます。同じ本を読んだはずなのに、あまりの受け取り方の違いに驚いたり、その本の新しい価値を発見したり、ときには書評のおかげではじめて意味がわかったり。自分とは違う感覚で、自分よりも圧倒的に多い読書量にもとづいた書評は、自分の読書とは異なる見方を教えてくれる。確かに、書評は読書を立体的に眺めることを可能にしてくれる。
(中略)
もしこういってよければ、書評は「読書を立体的にする」のです。
斎藤美奈子 「本の本」
上に引用した文章は、斎藤美奈子の「本の本―書評集1994-2007」の最後に書かれた節だ。この本は単行本サイズなのに6cmの厚さを持っている。そして、厚さに比例したたくさんの本への書評が書かれている。それは、まるで、たくさんの本が詰まっていて、親切丁寧で、だけどサイズは小さな魅力的な図書館のようだ
2009-01-27[n年前へ]
■斎藤美奈子「話を聞かない男、地図が読めない女」
斎藤美奈子の「趣味は読書。」 の188頁、「話を聞かない男、地図が読めない女」に対しての感想から。
この手の本は、思想的には必ず保守で、論旨は必ず荒唐無稽だ。もちろん、だから売れるのである。人々の価値観は概して保守的だし、正しい科学の知識もお呼びじゃない。彼らが望んでいるのは「あなたの性格はこう」「あなたの人間観家はこれでうまくゆく」とだれかに力強く断言してもらうことだけなのだ。で、ある人は霊能者のもとへ走り、ある人は占いに凝り、ある人は疑似科学に救いを求める。20世紀が科学の時代だったなんて、信じられない。勝利したのは、科学の装いを凝らした迷信だけだったんじゃない?
斎藤美奈子 「趣味は読書。」 p.188 「話を聞かない男、地図が読めない女」
2009-03-24[n年前へ]
■江國さんの凄みをひとことで言えば・・・
福田和也 「悪の読書術 」の「江國香織は天才である」から。
何と云っても、江國さんの凄みというのは、比類のない文章上の技巧、意識の確かさと、古来天才の症例分析でよく語られる境界症例的な精神の危うさが同居しているということでしょう。
福田和也 「悪の読書術 」