hirax.net::Keywords::「選択」のブログ



2010-03-22[n年前へ]

「科学が何を実現するか」を科学は答えない 

安斎育郎・板倉聖宣・滝川洋二・山崎孝「理科離れの真相 (ASAHI NEWS SHOP) 」から。

 「科学をいかなる価値の実現のために役立てるべきか」という深刻な問いに対する答えは、科学それ自身からは出てこない。(中略)問いに対する答えは、本質的に価値観の選択の問題であり、科学のありようを指導する別の原理を必要とする問題である。

2010-05-01[n年前へ]

女子学生の恋人選び方 実験編 

 少し前、女子学生相手に、こんな実験をしてみた。実験として出した「お題」は、「これから20人が登場します。順々に人が登場します。といっても、登場するのは”あなたとの相性を数値で表したもの”だけです。あなたは、(順に出てくる相性数値を眺めながら)この人を恋人に選ぶ、と決めたところで、手を挙げてください。あなたは、手を挙げた瞬間の相手を選ぶことになりますから、すでに登場した前の人を選ぶことはできませんし、それ以降に登場する人を選ぶこともできません」というものである。この「お題」を出した時に、どのような選び方をするのかを知りたかったのである。

 ちなみに、女子学生に見せる数値は、20人1セットの実験を始める前に、平均値と分散を適当に決めた正規分布乱数である。20人1セット内では平均値と分散は変化しないとはいえ、その平均値や分散は、相性数値を眺める被験者はわからない、という条件である。

 面白かったのが、女子学生が全員「最初の数人分の数値に関してはただ眺め、どういう相性数値が出てくるのか、つまり、平均値はどの程度でバラツキはどの程度なのかを、最初の数人を眺め・見極めた上で、相性数値が上位に入る人のところで”手を挙げる”という選び方をした、ということだった。とても興味深い事に、被験者はみな同じような選び方をしたのである。この選び方は、数学が導く理想の選び方、とほぼ同じである。

 その結果、被験者全員が「(コンピュータが用意した)20人の相手の中から相性数値がベスト3に入る相手を見事に選んだ」のだった。

 女子学生の直感(あるいは、推論・予測能力というべきか)は、恐るべき精度を持つものだと驚かされたのである。

2010-05-02[n年前へ]

女子学生の恋人選び方 ”あなたも挑戦してみよう”編 

 今日は、女子学生の恋人選び方 実験編でやってみた「これから20人が登場します。順々に人が登場します。といっても、登場するのは”あなたとの相性を数値で表したもの”だけです。あなたは、(順に出てくる相性数値を眺めながら)この人を恋人に選ぶ、と決めたところで、手を挙げてください。あなたは、手を挙げた瞬間の相手を選ぶことになりますから、すでに登場した前の人を選ぶことはできませんし、それ以降に登場する人を選ぶこともできません」というお題を、あなたも試してみる・体験してみることができるようにしてみました。

 下にあるのが、その道具(フォーム)です。JavaScriptの正規分布乱数関数を使い、20人分の「相性数値」をボタンを押すたびに順々に(1人分の数値づつ)出力します。出力される「相性数値」は数値が大きい方が「相性が良い」ということを示します。20人分まで出力すると、一旦止まり、また初期に戻ります。

 正規分布乱数の平均値と偏差は固定されています。だから、この記事のソースを眺めれば、どんな正規分布乱数であるかがわかってしまうことになります。つまり、どんな「人たち」が登場するのかを、おおよそ予想することができてしまいます。とはいえ、そんなカンニングはせずに、ぜひ、順に並ぶ数値群から、どんな人たち(数値群)が登場するのか想像してみてください。

そして、20人目まで(20人目を含む)の間で、「この人(数値)を選ぶ」と(相性数値が出た瞬間に)決めてみてください。そして、さらに、自分が選んだ数値が20個の数値の中で一体上から何番目に位置していたか、ということを調べてみてください。その結果が、あなたの「選び方能力」ということになります。

 「(コンピュータが用意した)20人の相手の中から相性数値がベスト3に入る相手を見事に選んだ」女子学生たちを、あなたは超えることができたでしょうか?それとも、全然ダメだったでしょうか…?

 ところで、登場する相性数値から平均値・分散を直感で刻々予想し、あなたが想像した予想平均値・分散の変化推移を眺め直してみても面白いかもしれません。そうすると、自分がどんな風に考え・予想をしていたかを、自分自身で改めて知ることができ、ちょっと不思議な気持ちになることでしょう。

2010-05-12[n年前へ]

僕が一番欲しかったもの 

 あなたの「大きな岩」は何ですか?

 ある大学でこんな授業があったという。
 
「クイズの時間だ」
教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」
教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」
そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。そして、砂利を壺の中に流し込み、 壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。

 そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」
学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。

 「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。

 彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」
と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、 大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」

 君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。

 ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、 君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。

 そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体失うだろう。

2010-06-03[n年前へ]

「選ばなかった人の物語」 

 「選ばなかった道

 選ばなかった人の物語は、成功者や失敗者の物語に比べれば華やかさに欠けるかもしれないけれど、実際に分かれ道に立って選んだ時の葛藤に思いを馳せれば、同じくらい劇的な人生であるはずなのだ。成功者のわかりやすい物語よりも、一見「平凡」な人生に隠された、そういったドラマをもっと知りたいと思う。

 成功者の視点から語られる物語は、たいていの場合、とても単純明快でわかりやすい。けれど、選ばなかった人の物語は螺旋階段のようにわかりにくい。「選ばなかった人」は「決断を容易にする人」を憧れと同時に冷めた目で眺め、決断を容易にする人は、「選べない人」を…じれったく情けなく思うのだろう。

 Appleが華やかだった時代、Apple][のコンパチ基板が秋葉原にあふれていた時代、月に数度、秋葉原に行った。その後、NeXTが消える寸前になり(少なくとも、当時はそう感じていた)、Appleの株券が「燃えるゴミ」同然になっていた時も、秋葉原に行っていた。今この瞬間は、Appleは調子がいいようだ。

 海辺の景色を眺めれば、毎日繰り返されてる「潮の満ち引き」が見える。テクノロジーとビジネスの世界も、たぶん、きっと同じなんだろう。

 ただ、そんな風に、一歩ひいて眺めていたら何かを選ぶことはできないはずだ、ということもわかる。



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