2007-07-18[n年前へ]
■鈴木英人とマクドナルド的な芸術フローチャート
デジカメ写真のイラストレーション化プログラムを作る時、絵画の本を読みあさりました。もちろん、今でも、プログラミング途中ですから、今も読みあさっているわけです。
そんな風に読んだ本の一冊に、鈴木英人のイラスト教本がありました。鈴木英人という名前を聞いても何も感じない人でも、こんな版画を一目見れば、きっと80年代の空気をナイアガラ・トライアングルの音楽と共に思い出すはずです。
鈴木英人のイラスト教本がまた興味深いものでした。鈴木英人の作画法は、まさに「工房方式」で、鈴木英人本人が不在でも作画を行うことができるように、版画を作るやり方が完全にマニュアル化されていたのです。「誰でも同じように作業をすることができる」というマクドナルドのマニュアルのようで、その手順はまさに、(実際に描くのは手作業ですが)まさに画像処理アルゴリズムのフローチャートでした。ゴルゴ13を量産する「さいとうプロ」のようなアプローチは古いながらも新鮮さと、自分にはない感覚を知ることができて、興味深かったように思います。
2007-08-26[n年前へ]
■夏の終わりの浜辺の音楽
湿度が高いけれど、涼しくなってきた夏の終わり。風が吹く浜辺沿いでは、昨日は浜茶屋だった場所で、ビールやカクテルが売られている。夏の最後の風と、少しのアルコールと、流れる音をを楽しんでいる人たちは、とても心地よさそうだ。
風吹く浜辺では、気持ちよい音楽を体で感じることができる。少し離れたところでは、アコーディオンとバイオリンの音が、ウッドベースの音に支えられながら流れている。
2007-09-16[n年前へ]
■「因果関係」と「歴史」
「イラスト化」ソフトを作ろうとした時には、スケッチの勉強をしていた。
同じ景色を見ながらも、きっと、私と彼は全く別のことを考えている。こんなに綺麗に、空が空気が青く染められている場所に一緒にいるのに、全然分かり合えていないんだ。夏過ぎには、ヘアスタイル加工のプログラムを作るために、ヘアスタイルの歴史を勉強していた。そんな風に「○×の歴史」を勉強するようになったのは、「歴史」を知ると、現状の必然やそこに至るまでの因果関係が納得できるように思うからだ。
今まで見てきたように、空気の色すら多分他人と共有しえない。少し前から、油絵の歴史を勉強している。絵やビデオや本を見ながら、油絵やテンペラ画を勉強している。
「大きな古時計」の続編の歌が有名ではないけれどあって、おじいさんの住んでた家を訪ねてみたんだ…。There is hope for the smallthere's a change for us all油絵の歴史を辿っていると、どんなものの歴史も時間という一つの軸であらわせるものなのだな、とつくづく納得する。科学という名の錬金術が経済学に影響を与えるように、錬金術が絵画のありようを形づくっている。
二つの場所に立っているからこそ、その二本の足下を確かに感じることができるんじゃないかな。その時にある色材が、その時の絵の描き方を決め、その時にある文化が、その時に描かれるものを決める。
同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。私たちがいる時間と、私たちが眺める絵画が描かれた時が、時間軸の上で違っている以上は、その絵画が描かれた時代の空気とともにその絵画を眺めることはできない。
自分が生活している国とは別の国、自分が生活することができない場所そんな場所の音楽や文化を眺めることができるのは、切なくもあるけど、それでも、とても嬉しい。だから、せめて歴史を辿ってみる。そうすれば、少しだけ、その絵画が描かれた時代の空気を想像することができるかもしれない。それに、時代の流れは、螺旋階段のように、同じような場所の上をぐるぐる回っているかもしれない。
われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。
2007-11-15[n年前へ]
■「喉越し過ぎるビールの速さ」と「ポタージュスープのトロみ」を味わう
料理の美味しさについて調べていたとき、結局のところ「違い」が美味しさを生んでいるんだ、という言葉を聞いた。 それが、居酒屋でビールなら、ジョッキに注がれた黄金色のビールと上に乗る白い泡の違い、飲むうちに変わっていく味や食感のグラデーション・移り変わり・違いがビールの美味しさの大きな要素になっている、なんていう話を聞いた。
「ビール」「違い」「美味しさ」と言えば、尾崎邦宏氏の「レオロジーの世界」を読んでいるときに、一番気に入ったのが「人が飲み物を飲むときの、液体の粘度と飲むときの速度(抵抗)の関係」を示すグラフだった。 それは、流れの速度で抵抗が変わる非ニュートン液体を被験者に飲ませ、被験者たちが「どのくらいの速度(また、それに応じて変わる抵抗)で飲み物を飲んでいるか」を確かめた結果である。 面白いことに、飲み物の飲み方に関して被験者ごとの違いはなく、誰でも飲み物の粘度に応じて「同じような飲み方」をしていたという。
粘度が10Pas以上の高粘度の飲み物、たとえばポタージュスープのような飲み物は、10 s^-1 程度の定速度で飲み込む。 非ニュートン液体は流れの速度で抵抗が変わるから、それは、スープの粘度の違いを「飲むときの抵抗の違い」として味わっている、ということになる。 トロトロしたポタージュスープを飲む時はポタージュが喉の中を伝う強い抵抗を味わい、サラサラとしたスープを味わう時には軽めの抵抗を楽しむ。
その一方、粘度が0.1Pas以下の低粘度の飲み物、たとえばビールなどを被験者たちが飲むときは、飲むときの抵抗値が一定になるように「飲み物の粘度に応じて飲む速さを変え」飲んでいた。 つまり、粘度が低い液体は早い流速で飲み、粘度が高めの液体は若干遅く飲んでいた、ということである。 ジョッキの中のビールを飲み込むときには、人は、そのビールがどのくらいの流速で喉の中を駆け抜けていくかを味わいの「違い」として楽しんでいる、ということになる。
空気の振動も、それがひたすらに一定単調だったなら、それはただの「音」に過ぎない。 しかし、音の高さが次々と変わっていくとき、それは音楽になる。 口に入れた途端に溶けていくアイスクリームの食感や、舌の上で甘みや辛みや苦みのバランスを複雑に変えていく味噌の味や、渓流下りのように速度を大きく変化させながら喉の奥へ落ちていくビールの喉越し、色んな違い・変化が「美味しさ」や「楽しみ」を作り出している。 色んな物理単位を鍵にして、食感の違いや、味の違いや、喉越しの違いが語られているのを見ると、何だか少し面白い。 そんな物理単位を「味の違い」として眺めることができるようになれば、理科年表を見るだけで思わずよだれが出てくるかもしれない。 そういう人に私はなりたい!?
2008-01-03[n年前へ]
■「バベル」
映画「バベル」は、田舎町にある映画館のレイトショーで観た。142分の上映時間がとても短く感じると同時に、坂本龍一の音楽を聞きながら、数え切れないたくさんのことを考えさせられた。伝え合えない"Discommunication"な世界を観ながら、言葉にならないことを感じた。
I just did something stupid.
同じ世界、少しづつ重なり合う世界で生きているのに、小さなことが大きなズレとなり、そのズレがただひたすらに広がっていく「無常に流れる時間」を描いた映画「バベル」の背後にそびえているのは「バベルの塔」だ。スクリーンに姿を現すわけではないけれど、バベルの塔がいつもスクリーンの向こうに見えている。
Do you want something to eat?
バベルの塔というと、16世紀のフランドル(今のオランダ・ベルギー・フランスの一部)の画家
ピーテル・ブリューゲルが描いたバベルの塔が有名だ。9月11日にテレビ画面に映った映像は、まさにブリューゲルが描くバベルの塔の一枚に描かれた景色のようだった。そんな、世界の大きなできごと、あるいは、身の回りの小さなできごと、どんなサイズのできごとも、こんな「バベル」なことで満ちている。そんな伝わらない言葉がばかりが溢れてる。
初めに言葉があった。 万物は言葉によって成った。 言葉によらずに成ったものはひとつもなかった。