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2008-05-30[n年前へ]
■RADWIMPS オーダーメイド
きっと僕は尋ねられたんだろう。生まれる前、どこかの誰かに。
「未来と過去、どちらか一つを見れるようにしてあげるからさ。どっちがいい?」
「そういえば、最後にもう一つだけ。”涙”もオプションで付けようか?無くても全然支障はないけれど。面倒だからってつけない人もいるよ。どうする?」
2008-05-29[n年前へ]
■「余の辞書に不可能という語はない」
「余の辞書に不可能という語はない」っていうのは「余に不可能事はない」というのとは違うので、不可能なときは、ほかの人の辞書を借りてくればいいリクツだ。この辞書を経由したあたりに、けっこうアジがあるかもしれない。
南伸坊「ごはんつぶがついてます」 P.107
2008-05-24[n年前へ]
■「大村益次郎」の頭
私が大村益次郎の肖像画を描いたキオソーネであれば、「コノアタマ、スコシ、ヘンデス!」と、何度も確かめただろう。しかし、益次郎の弟子は、「シ、然り。されど師匠はまさにこのようでありまして……」南伸坊は天才である。南伸坊が雑誌「旅」に連載したものが本になったのが、「歴史上の本人」だ。10年前の本である。その人のなりをして、その人が過ごした場所に行き、その人になって感じていく。
神技とおそれられた大村益次郎の軍略とは、つまり「情報」であり「技術」であり、「近代」であり「合理主義」であった。……つまり、大村益次郎は、その頭によって必要とされ、その頭によって殺された。
「この頭部は……」と私は頭部をまた脱ぎながら思った。見掛けの滑稽さに似つかわしくなく深刻である。
大村益次郎には、平時に、学者や研究者として生かしてあげたがった。知ることの楽しさ、一途にそこにつき進んで、家庭に帰れば冗談を言って笑い転げるような、そんな生活をさせてあげたかった。そうしていたら、明治維新がならなかったとしてもだ。
南伸坊 「歴史上の本人」
2008-05-17[n年前へ]
2008-05-14[n年前へ]
■「せこはせこなりの用途がある」
寄席は下手な人が大ぜいいていんだな。デパートなんかで、ブランド商品ばかり並べてあるコーナーがあるでしょう。寄席はああなっちゃ、だめなんですよね。せこの部分がたくさんある中に入って、初めて光ってくるものがある。せこはせこなりの用途があるんですね。
色川武大「寄席放浪記」 p.51
■古典のリレー
古典というものは(落語に限らず)前代の口跡をただ継承しているだけでは、古典の伝承にはならない。前代のこぴーでは必ずいつか死滅するか、無形文化財のようなものと化して烈しい命脈を失ってしまう。リレーというものはそうではないので、その時代に応じて新しい演者が、それぞれの個性、それぞれの感性で活かし直していく。それではじめて古典が伝承されていくのである。
色川武大「寄席放浪記」 p.51
2008-05-13[n年前へ]
■前に出る人間」「それを支える人間」
人間には2種類あってよ。「前に出る人間」と「それを支える人間」前に出る人間は大変だよ。自分が武器だからな。前に出る人間は自分の替えはきかない。自分以外では食えない。
キッツイよな。……おまえはどっちの人間なんだろうなぁ。
岡田恵和 「あかねSAL☆」
2008-05-08[n年前へ]
■「個性的な石も集めて見ればただの砂利」
個性々々と云って、一つの石ころが他の石ころと違うことを得意になっても、お前さん方を大勢一緒に集めて見たら、ただの「砂利」ではないか。
広津和郎「年月のあしおと」







