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2009-03-09[n年前へ]

「自分は壁の側に立つ」と表明する人が居るだろうか 

 週刊SPA! 3/17 田中康夫の東京ペログリ日記 vol.236 より。

 もし硬い、高い壁と、そこに投げつけられて壊れる卵が有るなら、たとえ、壁がどんなに正しく、卵がどんなに間違っていても、私は卵の側に立つ。

村上春樹 「壁と卵」スピーチ

 こういう場合に「自分は壁の側に立つ」と表明する人が居るだろうかという事だった。作家はもちろん、政治家だって「卵の側に立つ」と言うのではないか。卵の比喩は格好いい。総論というのは並べて格好いいのである。

斎藤美奈子  「かっこう悪い卵達」 朝日新聞・文芸時評 2009/2/25

2010-03-09[n年前へ]

「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない。 

 斎藤美奈子の「文章読本さん江 」から。

 「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない。読む側になって考えてみれば、すぐにわかる。無難で上手なだけの文章なんか、これ以上、読みたい?私たちが求めているのは、常識をくつがえすような、新鮮な文章でしょう?

  「正しいこと」と「面白いこと」は両立しない、と書いてしまうと語弊があるかもしれない。「科学的に正しいこと」「興味深いこと・面白いこと」が両立する場合は、それほど稀(まれ)というわけでなく、あるからだ。たとえば、寺田寅彦の随筆などがそうだ。(科学的に)正しく、そして面白い。もちろん、寺田寅彦のような稀有な例を出してしまうと説得力が失せるかもしれないが、科学的ということに限れば「正しいこと」と「興味深いこと」はそう珍しくない、と言っても良いのではないだろうか。

 ここで、斎藤美奈子が書く「正しいこと」というのは、そういう分野における「正しさ」ではない。それは、たとえば、ニュースを見てレポーターやキャスターが語る「正しいこと」や、それについて、さらに人が語る「正しい」こと、というようなものかもしれない。

 少なくとも、私が読みたい文章は常識に沿った道徳本ではないことは確かである。