hirax.net::Logos::2009-03

2009-03-01[n年前へ]

「……十年たったら、笑い話だ」 

 森達也の「視点をずらす思考術 」より

 とても好きなドラマがある。向田邦子の「阿修羅のごとく」。…いろんな問題がひっきりなしに起きる。そしてそのたびに、騒動に巻き込まれた四人姉妹の年老いた父親が、唇を噛み締めながら、自分に言い聞かせるようにこうつぶやく。
「……十年たったら、笑い話だ」

p.174 十年後を想像すれば世界は広がる
 僕だけじゃないしあなただけでもない。人は誰もが悩む。仕方がない。そういうふうに生まれついている。このときに人は視界が狭くなる。これも仕方がない。そういうふうにできている。でも十年後を想像すれば、きっと少しだけ視界は広がるはずだ。

p.175 十年後を想像すれば世界は広がる

2009-03-02[n年前へ]

食べること・生きること 

 週刊SPA! 鴻上尚二 ドン・キホーテのピアス「『おくりびと』を観て、文化の力を感じた」より

 映画(おくりびと)には、じつにたくさんの食事シーンが出てきます。
 それは、「死」の対極にある行為、つまりは生きていくための行為です。
 そして、じつは生きていくことは、他の生物の「死」を食べる行為なのだという、やはり私たちは「死」から逃れられないのだ、ということを教えてくれる大切なシーンなのです。
 ふぐの白子を焼いて食べるシーンも、フライドチキンを黙々と食べるシーンも、生きるとは何かを教えてくれます。じつに象徴的なシーンです。

2009-03-03[n年前へ]

爆笑問題の太田光と向田邦子 

 爆笑問題の太田光が向田邦子について、NHKの「わたしのこだわり人物伝」で語った内容が詰まっている。「私のこだわり人物伝 (2005年6/7月) (NHK知るを楽しむ (火))

2009-03-04[n年前へ]

科学を物語をとして語る人文的手法 

 「連」がテーマのGraphicationの最新号 2009 No.161 より。

 二十一世紀は、科学における人間回復の時代としなければならない。資源エネルギー問題や環境問題など、人間の存続が激しく問われる難問が山積みしていることを思えば、科学が人間に近づくことが求められているからだ。そのためには、科学を物語をとして語る人文的手法が欠かせない。分離の融合は必然的なのである。

池内了 「つながる知」-分離の融合 @ GRAPHICATION

2009-03-05[n年前へ]

いつでも、次の作品が最高だ 

「今までで最高の作品はどれですか?」
「次の作品です」

チャップリン

2009-03-06[n年前へ]

「かげがえのない私」という物語 

 池田清彦 「科学とオカルト (講談社学術文庫) 」より。

 幸か不幸か、社会はこの現実社会にはないものを物語という形で流布する。「かげがえのない私」というのも、こういった物語の一つである。

池田清彦 「科学とオカルト (講談社学術文庫)

2009-03-07[n年前へ]

自分が持たない・憧れを書く 

 私の広告術(広告批評) より。

 …結局自分が書くもの・作るものというのは、平たく言えば、憧れて書くんじゃないかと思うんです。自分にない者自分にできないこと、こうあったらいいけどなかなかできないね、と思っていることを書く。

岩崎俊一 p.137

2009-03-08[n年前へ]

教科書と実際の「問題」の違い 

 この言葉は本当にたくさんの、そして結果を出してきた人たちが言う。

 教科書には答えがあるが、実際には答えがない問題が多い。

小西義昭 日機装(株)

2009-03-09[n年前へ]

「自分は壁の側に立つ」と表明する人が居るだろうか 

 週刊SPA! 3/17 田中康夫の東京ペログリ日記 vol.236 より。

 もし硬い、高い壁と、そこに投げつけられて壊れる卵が有るなら、たとえ、壁がどんなに正しく、卵がどんなに間違っていても、私は卵の側に立つ。

村上春樹 「壁と卵」スピーチ

 こういう場合に「自分は壁の側に立つ」と表明する人が居るだろうかという事だった。作家はもちろん、政治家だって「卵の側に立つ」と言うのではないか。卵の比喩は格好いい。総論というのは並べて格好いいのである。

斎藤美奈子  「かっこう悪い卵達」 朝日新聞・文芸時評 2009/2/25

2009-03-10[n年前へ]

(日本の)学校で正解が一つの問題ばかり解き続けること 

 週刊SPA! 鴻上尚二 ドン・キホーテのピアス 707 「騒動になった熊本県の社会科」テストを考える の一部を要約するとこうなる。

 人生の正解は一つに決まらないにも関わらず、(日本の)学校では(用意された)正解が一つの問題ばかり解き続ける。そして、実社会に出たら、正解は一つじゃないという当たり前のことに気づき、愕然とする。

2009-03-11[n年前へ]

未来のシナリオ 

 「未来のたね ― これからの科学、これからの人間 」(とその紹介文)より。

 著者は現在我々が享受している科学の力について、例を挙げながら易しく解説するとともに、科学の発展の可能性と、それによって未来の地球に何が起こるのかを具体的にイメージさせてくれる。そして、よりよい未来をつくるために今の我々に何ができるのかを考えさせてくれる。

本書が優れているのは、一見難しそうに見える科学の話を、科学嫌いの人でも楽しく読める物語にしている点だ。未来を担う子どもたちはもちろん、大人にもぜひとも読んでほしい。科学と未来を身近に感じ、自分の生活を見つめ直すきっかけを与えてくれる、楽しくてためになる1冊だ。(いわむらちえこ)
 正確な未来予測というものはありえない。ぼくは…なにかのできごとが、歴史を根本的に変えてしまう可能性を物語っている。未来への道は無数にある。そのうちのたった一本の道だけが、結果として人類の未来になる。

未来のたね ― これからの科学、これからの人間
 (未来の知性が新しく発見する)発見(あるいは気づき)こそが、ぼくたちの未来をつぎつぎに変えていくんだ。それは、きみもきっとわかっていると思う。

未来のたね ― これからの科学、これからの人間

2009-03-12[n年前へ]

本当は女優になりたかった 

 久世光彦の本はもっと文庫本になってもいい、と思う。文庫本として本棚に並び、ふと買うことができるようであって欲しい、と思う。そして、いつでも持ち歩ける文庫本で、ふと読みたくなった場所と時間に読みたい、と切望する。

 ところで、男も女もひっくるめ、すべての職業の中で女優がいちばんだと思います。その誇らしさも、その嫌らしさも、身の引きしまるような優美さも、吐きたくなるくらいの醜悪さも、あるいはそれらが不思議に絶妙に両性しているからこそ、何にもまさって女優がいちばんだと思います。

久世光彦  「私があなたに惚れたのは
 それ故に、あなたがもし選ばれてあるのなら、恍惚だけでは片手落ち、不安の方もどうか忘れないで下さいと、せめて嫌味の一つも言いたくなるのです。

久世光彦  「私があなたに惚れたのは

2009-03-13[n年前へ]

井戸端会議・大多数の意見には… 

 広告批評の「私の広告術 」より

 井戸端会議の意見、大多数の人が言っていることには宿命的にものすごくウソが含まれている。

岩崎俊一

2009-03-14[n年前へ]

人の心理は悲観の誤謬を起こす 

 城山三郎の「打たれ強く生きる 」よりケインズの言葉。

 人間の心理として、不況のときなど、現実の打撃以上に悲観してしまう。悲観の誤謬(エラー・オブ・ペシミズム)が起こる。

J.M.ケインズ

2009-03-15[n年前へ]

「わかる」ということ 

 橋本治の『「わからない」という方法 (集英社新書) 』より。

 「わかる」とは、実のところ、「わからない」と「わかった」の間を結ぶ道筋を、地図に書くことなのである。「わかる」ばかりを性急に求める人は、地図を見ない人である。常にガイドを求めて、「ゴールまで連れて行け」と命令する人である。

2009-03-16[n年前へ]

人はどうしようもなく愚かだけど 

 森達也 「A2 」 より。

 人はどうしようもなく愚かだけど、これ以上ないほど素晴らしい。その思いだけは、きっとこれから先も変わらない。

森達也 「A2

2009-03-17[n年前へ]

短いフレーズやスローガンへの違和感 

 森達也の「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい 」から。

 現実と虚構の皮膜を漂流するドキュメンタリストだからこそ、短いフレーズやスローガンを掲げて拳を突き上げることへの違和感をどうしても払拭できない。

森達也 「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい

2009-03-18[n年前へ]

ちょっとした発言やいろんなアプローチ 

 他の人が書いた文章を読んで、他の人の視点からの眺めを見て、本を見たくなることがある。

 相川藍の”BOOK”「活躍する女性たちの本」が、椿姫彩菜の「わたし、男子校出身です。 」に対して、書いた文章を読むと、この本を読みたくなる。

 世の中にはいろんなアプローチの優しさがあるんだなと思う。ちょっとした発言や懐の深さが、どれだけ他人を救うことか。この本には、個性豊かな人間である私たちが、少しずつ理解し合いながら互いの悩みを軽減し、幸せに生きるためのヒントがつまっている。

2009-03-19[n年前へ]

阿修羅のごとく 

 「阿修羅のごとく 」オープニングより。

 「阿修羅」とは、言い争いの象徴とされるインドの神のこと。表面的には仁義礼智信をかかげながら、実は猜疑心が強く、互いに事実を曲げ、他人の悪口を言い合う…。

阿修羅のごとく

2009-03-20[n年前へ]

ぼくらの人生は・・・ 

 村上春樹 「かえるくん、東京を救う」(神の子どもたちはみな踊る )より

 もちろんぼくらは誰もが限りのある存在ですし、結局は敗れ去ります。でもアーネスト・ヘミングウェイが看破したように、ぼくらの人生は勝ち方によってではなく、その敗れ去り方によって最終的な価値を定められるのです。

村上春樹かえるくん、東京を救う

2009-03-21[n年前へ]

「阿吽」の像 

 たまに通る街の一角に、顔を寄せて力強い顔を見せる「阿吽」がいる。その「阿吽」たちがいる場所の前で、いつも立ち止まってしまう。そこは争いに対して、結果を出す・司る場所の裏で、そこに佇む「阿吽」たちは、一体どんなことを考えているのだろうか。

 阿吽(あうん)は仏教の呪文(真言)の1つ。悉曇文字(梵字)において、阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされた。次いで、対となる物を表す用語としても使用された。

Wikipedia 「阿吽」

阿吽






2009-03-22[n年前へ]

Research is to see what... 

"Research is to see what everybody else has seen, and to think what nobody else has thought."

Albert Szent-Gyoergi

2009-03-23[n年前へ]

Less talk, more music. 

 Less talk, more music.

佐野元春

2009-03-24[n年前へ]

江國さんの凄みをひとことで言えば・・・ 

 福田和也 「悪の読書術 」の「江國香織は天才である」から。

 何と云っても、江國さんの凄みというのは、比類のない文章上の技巧、意識の確かさと、古来天才の症例分析でよく語られる境界症例的な精神の危うさが同居しているということでしょう。

福田和也 「悪の読書術

2009-03-25[n年前へ]

自遊自在 

 探偵!ナイトスクープ などを作り上げた、TVプロデューサー松本修 の言葉。

自遊
自在

松本修

2009-03-26[n年前へ]

学生はムダに打ち込む姿がいちばん、美しい。 

 京都大学の時計台下の喫茶室で見た、万城目学が色紙に書いた言葉から。

学生はムダに打ち込む姿が
いちばん、美しい。

万城目 学

2009-03-27[n年前へ]

数学好きの日本人を作り出した「塵劫記」 

 京都新聞のソフィアで、「誰が数学嫌いにしたのか 」の著者上野健爾の回、「江戸文化理解のために和算研究を」より。

 江戸時代、多くの人たちが数学の難問を作りそれを解くことに夢中になっていた。津々浦々に数学の愛好者がいて、老若男女が身分を超えて数学を楽しんでいた。こうした現象を生んだ要因は1627年に初版が出た「塵劫記」によるところが大きい。
 「塵劫記」は江戸時代を通してベストセラーとなった数学の教科書であり、美しい図と遊び心をくすぐる問題が多数含まれていた。

ソフィア 「京都新聞文化会議」 上野健璽氏 153

2009-03-28[n年前へ]

「相手の気持ちや事情を理解し、考える」 

 京都新聞 出版最前線の、渡辺 淳一 「欲情の作法 」に対する書評より。

 センセイはまず、男性に自分の精子を顕微鏡で見なさいと勧める。卵子にたどり着く精子は一つだけ。男は振られる生き物だという自覚を促し・・・
 教えの根底に流れているのは「相手の気持ちや事情を理解し、考える」ということだ。…これは恋愛論であると同時に、性を切り口にした優れた人間関係論でもあるのだ。

2009-03-29[n年前へ]

何度でも 

 「何度でも

何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ
10000回だめで へとへとになっても 10001回目は 何か 変わるかもしれない



2009-03-30[n年前へ]

岡村孝子 「電車」 

 岡村孝子の「電車 」から。

混み合う電車に押し込まれ
ガラスに額をつけたまま、
仕事を始めていたずらに
時間が流れていくけれど、
誰もが自分の生き方を
見つけて歩いてゆくけれど、
 私は都立大という東横線沿線に住んでいたんですが、いつも電車に乗って仕事に通っていたんですね。その電車の中って、一杯ドラマが毎日生まれていて、その電車の中のドラマや、電車から見る風景を見ながら書いた曲です。



2009-03-31[n年前へ]

村上春樹と雨月物語と時間が止まった大礒町 

 京都新聞 「風の歌 村上春樹の物語世界 37」より、

 長編「海辺のカフカ 」は「僕」が、なぜか高松に向かう物語。この作品でのインタビュー冒頭、「これは雨月物語の影響ですか」と質問してみた。なぜなら「雨月物語 」冒頭の「白峯」は、西行が讃岐(今の香川県)に向かう話なのだ。
 実はその時、こんな質問もしてみたかった。
 「雨月物語好きだから大礒に住んでいるのですか」と。
「雨月物語」冒頭には西行が讃岐に向かうまでに、東国の歌の名所を行脚する旅が書かれている。途中、西行は「大磯小いその浦々」をおとずれる。…現在の大磯町である。