2009-05-02[n年前へ]
■独立感覚に優れた人
何度も何度も、さまざまな言葉を引用している、山田ズーニーの「理解という名の愛がほしい——おとなの小論文教室。II 」の最後の数ページから。
どこにも所属せず、なんのうしろだてもなく、なんの権力にもおもねらず、北は新潟・盛岡から南は宮崎まで、「言葉」という刀ひとつを頼みにたったひとり、旅から旅へと渡っていきます。
…成功しているか、していないかには関係なく、目先の成功のために、自分の感覚を売り渡した人は、一見ツルツルしています。一見ひらけていきます。揺れることもない。でも、目先の成功に、自分の感覚を売り渡した人は、品のない顔をしています。
自分の感覚でやることだから、プレッシャーもやたらきつく、失敗の痛さもどでかい。だから、自分の感覚を疑い続けるのもあたり前で、悩み続けるのもあたりまえで。それは一見、くよくよと見える。
それでも自分の感覚を売り渡さず、自分の感覚で最後まで、遠く、時間のかかるゴールを目指そうとする人だけが、独立感覚に優れた人なのではないか、私は、そう思うのです。
2009-05-03[n年前へ]
■「自分を持つということ」
瀬戸内寂聴の「寂聴 人は愛なしでは生きられない 」から。
自我があると悩むでしょう。自分の思い通りにならないと人は苦しみますね。千年も昔に、六条御息所は、こうした自我とプライドのある女性として描かれているんです。
ということは、・・・作者の紫式部に自我があり、プライドがあって、そのために非常に悩みを持った人ではなかったか、と思うんです。
「自分を持つということ」
2009-05-04[n年前へ]
■ロマンを感じさせる「東京・地下の深い闇」
「(表に出てこない)何か隠されているものがある」というのは、人の興味をかきたてる。たとえば、どこかの山中に「江戸幕府の埋蔵金が隠されている」なんていうのも、その一例であるし、あるいは、「歴史の中の出来事には、その水面下で私たちに見えないように巧妙に隠された秘密がある」なんていうのも、そうである。そして、そんな2つが 組み合わさったような例が、「大都会の地下には、私たちの知らないものが、歴史の過程で秘密裏に作られ、そして隠されている」というものである。
そんなことが書いてある本、東京の地下鉄や地下通路の地図から、あるいは、戦前・中・後のさまざまな地図から、東京の地下に広がっていた世界・あるいは今も広がっている世界を「想像」させてくれるそれらの本は懐古歴史ミステリーのようで、しかも、今現在の世界へも繋がっているミステリーのようで、読んでいると不思議なほどにハマってしまう。
2003年には、日野市で民家が傾き、調べてみると、その下に地下道があった。大型トラックがすれ違える広大な地下道は、いまもまっすぐ市街地の下を東西に貫通している。
「写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密―東京駅周辺の地下の謎に迫る! 」
東京の地下はいまも深い闇のなかにある。にわかには信じられないような闇である。寺院の地下に変電所や博物館がつくられ、公園の地下には冷暖房施設、巨大貯水池、地下駐車場がつくられている。地下鉄の駅の上を走る地下自動車道は、今も国民には公開されていない。
「写真と地図で読む!帝都東京・地下の秘密―東京駅周辺の地下の謎に迫る! 」
2009-05-05[n年前へ]
■もう会えないの。もう会えないの。二度と会えないの。
RCサクセションに入る前の仲井戸麗市のグループ、古井戸 (Fluid)の「さなえちゃん」から。
大学ノートの表表紙に、ぼくを描いたの。
一日中かかって一生懸命描いたの。
あんまり素敵だから、
消すのはもったいないの。
ボクは消えないの。ぜったい消えないの。
ぜったい消えないの。ぜったい消えないの。
大学ノートの裏表紙に、さなえちゃんを描いたの。
一日中かかって、一生懸命描いたの。
でも鉛筆で書いたから、いつのまにか消えたの。
大学ノートの裏表紙の、さなえちゃんが消えたの。
もう会えないの。もう会えないの。
二度と会えないの。
2009-05-06[n年前へ]
■「人のために書くのがプロ、自分のために書くのがアマチュアだ」
斎藤美奈子「文章読本さん江 」から。
文章のプロとは名のある作家やエッセイストのことではない。出版業界では「ライターさん」などと呼ばれる職人的な「伝達の文章」の担い手たちである。文章の「プロ」とは「プロフェッショナル」ではなく「プロレタリアート」の略語と考えるべきなのだ。名もない雑誌の記事だって、新聞の折り込み広告の文章だって、だれかが書いているんだよ。
文章におけるプロとアマの差は、文章が上手か下手かではない。人のために書くのがプロ、自分のために書くのがアマチュアだ。
2009-05-07[n年前へ]
■自分の選ぶ道は最善の道
小山薫堂の「考えないヒント―アイデアはこうして生まれる (幻冬舎新書) 」から。
人生って、選択の連続ですよね。だから迷ったり、何かうまくいかないことがあると、「これでよかったのか」と後悔しがちなんですが、僕は、どんなに失敗しても、どんなに大変なことがあっても、これが最善の道だと思うんです。
2009-05-08[n年前へ]
■Take Me Out to the Ball Game~私を野球に連れてって~
朝日新聞「観衆直撃、球場やきもき」から。
野球というスポーツは球を激しく打つことで成り立つ。これを見るためにファンは球場にやってくる。どこに球が行くかなんて、誰も責任は持てない。
「視界を遮るものはいらない」
Take me out to the ball game,
Take me out with the crowd;
Buy me some peanuts and Cracker Jack,
I don't care if I never get back.
Take Me Out to the Ball Game
(私を野球に連れてって)
2009-05-09[n年前へ]
■作家の愛した作家
久世光彦の「向田邦子との二十年 (ちくま文庫) 」について、朝日新聞2009/05/09の春山陽一氏の「再読ガイド」から。
作家久世光彦さんのエッセー集「触れもせで」('92年)と「夢あたたかき('95年)には、いずれも「向田邦子との二十年」という副題がついていた。飛行機事故で81年に姿を消した作家の向田さんへの追慕をつづったものだ。絶版になっていた両者が今回、合本で復刊された。
小紙「うたの旅人」記事で'08年7月に2人のことを取り上げ、久世さんの2冊が絶版であると触れた。それが縁で復刻されたという。情けを報せると書いて情報と読む。痛感した。
2009-05-10[n年前へ]
■可能性は悩みで、悩みは可能性だ。
山田ズーニーの「おとなの小論文教室。」は、これまでに三冊出ている。以前書いたように、私はこの本は、「小論文教室」という名前では良くないと感じている。そういう本・内容ではないと思っている。そういうものとは違う、けれどとても素晴らしいものが詰まっているシリーズだ。
だから、タイトルが別に付いている2巻目・三巻目とは違い、「おとなの小論文教室。」という名前の一巻目はとてももったいない、といつも感じてしまう。
(一巻目について)この本は本当に良かった。けれど、タイトルは、本当に良くない。少なくとも、この本のタイトルは、この本の内容の素晴らしさを表していない。私がこの本の中から読み取ったことは、「自分を見つけ出す」ということだ。
「おとなの小論文教室。」(inside out 2006/05/15)
「おとなの小論文教室。」の三巻目には、的確でいて印象的な名前が付けられている。その「17歳は2回くる 」の冒頭に書かれている「はじめに」を抜粋した文章が以下になる。
悩みは可能性だ。
若い人は悩む。
でも、「自分はこれからだ」と思っているおとなは、もっと悩む。
「自分はこれからがおもしろい」と想っている、すべての人に本書を捧げる。
山田ズーニー
このタイトルの「17歳」は思春期=思い悩む時期で、17歳(年)は、14歳であっても15歳であってもかまわないし、2回であっても3回でも4回でも構わない。とにかく、思春期=思い悩む時期は何度かくる。そんな人たちに「足を進めるには悩む。けれど、そうすることができる力があなたにはある」と力をこめて伝えるこの本は、時折読み直してみるのにとてもいい。
2009-05-11[n年前へ]
■今という時代の自由と余裕
「自分の選ぶ道は最善の道」の小山薫堂のインタビュー記事。
見えとかプライドなどから自由でありさえすれば、自分の命や頭を使って、また何度でも自分の人生に立ち向かっていけるのです。
この頃よく、自己プロデュースという言葉が、仕事の一つの戦略のように使われています。自分をどう見せるか、自己演出のようなイメージで用いられていますが、本来のプロデュースは生産するという意味で、外側を装飾するということではありません。そんなことに心を砕くのではなく、やはり、自分自身を磨き、素の力を強くしていかなくてはと思います。
世の中にはたくさんのノウハウがあふれているし、社会的に受け入れられる方法を身に着けたいと思うのは当たり前かもしれない。それでも僕は、ちょっと落ち着いて、みんなが常識だという喧騒(けんそう)から距離を置いて考えてみて欲しいと思う。
2009-05-12[n年前へ]
■未来とは、選択肢と確率の組み合わせからなる空間だ。
西村和雄 「満員御礼!経済学なんでもお悩み相談所 (日経ビジネス人文庫) 」から。
われわれが意思決定を通じて、多くの選択肢の中から一つつを選ぶ、それが次の瞬間を決めます。未来は大きく広がった選択肢の集合で、そのどれが実現するかは決まっていないのです。自分の今この瞬間の行動は、未来の一部の状況が実現する可能性を高め、ほかの状況が実現する確率を低めることになります。
未来とは、選択肢と確率の組み合わせからなる空間なのです。・・・完全に将来を決める公式など存在しないのです。
2009-05-13[n年前へ]
■「どうだろうねえ」
今週のSPA! 鴻上尚史の ドン・キホーテのピアス 715 「忌野清志郎 さんが亡くなってしまった・・・」より。
初めてお会いしたのは、もう25年ほど前です雑誌の対談の企画でした。・・・実体験を元に作詞するのなら、有名になってしまって、どうやって次の名作を生むのでしょうか、そんな質問をぶつけました。
清志郎さんは、「どうだろうねえ」とのらりくらりと僕の質問をかわし続けました。後から読めば、暑すぎるインタビュアーと決して本音を語らないアーティストの見事なぐらいすれ違ったインタビューになっていました。
清志郎さんは、そもそも本音を語るつもりがない、という感じでした。本人は口下手と言っていましたが、それより、「んなこと、熱く突っ込まれても、君にそもそも言う義理はないし」というような感じでした。
自分自身のスタイルを「のらりくらり」とすることで貫いている人はいいな、と思う。一見、器用のようで、実は不器用で「器」に填まらず、けれど「用」を為す、それはいいなと思わせる。
2009-05-14[n年前へ]
■日本の会議は”怪議”という
扇谷正造の「聞き上手・話し上手―市民のための講座(講談社現代新書) 」から、王克敏によるものらしいという言葉。
「(日本の会議は)人を集めて議せず、議して決せず、決して行わず、行って責任をとらず、これを”怪議”という」
2009-05-15[n年前へ]
■「常に不変であるものは、変化である」
枝廣淳子、内藤耕の「入門! システム思考 (講談社現代新書) 」から。
変化は常に起こる。「常に不変であるものは、変化である」という格言があるほどだ。 (p.8)
2009-05-16[n年前へ]
■真のフォアランナー
山田ズーニーの「17歳は2回くる おとなの小論文教室。(3) 」から。
グラウンドで1周近く抜いてしまった人は、外から見ると、遅れた人に見える。そういう人の中に、真のフォアランナーがいる。 (p.107)
2009-05-17[n年前へ]
■「だれのものであれ人生とは・・・」
だれのものであれ人生とは、与えられた機会とその時の選択、生来のものとつちかったもの、自らの意思と運命が交差して、蜘蛛の巣のようにからみあったものである。 (p.5)
2009-05-18[n年前へ]
■「僕たちの好きだった革命
鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス」 No.716 から、「僕たちの好きだった革命 」再演について。
1969年に行き、30年たって47歳で高校2年生として復学してくる中村雅俊さん演じる山崎は、行ってみればドン・キホーテです。
・・・「どうしてそんなにガンバルの?」と片瀬那奈ちゃん演じる未来(みく)は・・・聞きます。
山崎は答えます。「未来(みらい)を信じているからさ。」
未来は納得できません。「ほんとにいいい未来になる?」と思わず聞きます。山崎は驚いて返します。・・・
2009-05-19[n年前へ]
■金融資本主義という「システム」について
鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス」 No.716 から、「僕たちの好きだった革命 」再演について。 から
それは、「私たちは、金融資本主義という失敗しつつあるシステムに生きていることはよくわかっている。かといって代わりにどんなシステムを提示したらいいのかわからない。けれど、今のままのシステムが間違っていることだけははっきりしている」という実感に生きる社会です。
2009-05-20[n年前へ]
■「時間」を味方にした人が・・・
JAF MAte - auto user's monthly magazine (ジャフメイト) - 2009/06 「対談 くるまをマナベ No.10」より。
よく女性の敵は「時間」だと言うけれど、本当は「時間」を味方にした人が素敵になれるんです。
石田純一
2009-05-21[n年前へ]
■高学歴ワーキングプア
GRAPHICATION(グラフィケーション) 2009. No.162「特集:働き方を変えよう」
過去の時代に比べれば、自分の意志で道を選べる選択肢の多い社会が実現したかのように見えますが、しかしその実態は一方通行の専業型で、やり直しの効かないシステムがまだまだ支配的です。
人の働き方は、どんな仕事につくかというだけでなく、人の生き方、さらにはどんな社会を望むかという社会参加を含む選択の問題にもつながっています。資本主義社会の根幹をなす“賃労働”という、時間で労働力を売る働き方を変えられるかどうかなども大きな課題といえるでしょう。
真に多様な働き方が認められ、誰もが安心して暮らせる平穏な社会とはどのようなシステムが望ましいのか、今回の特集を通じて考察しました。
その中の連載記事、池内了「現代科学の見方・読み方 56」の「高学歴ワーキングプア」より。
市場原理を徹底させ、自由競争こそが活力のある社会を生むとの「新自由主義」経済は、未曽有の経済危機を招き、ますます格差が拡大して社会を披露させてしまった。
その中で高等教育を受け、博士号を取りながら、使い捨てられ、その日暮らしをしなければならない高学歴ワーキングプアが数多く存在することも忘れてはならない。
2009-05-22[n年前へ]
■モンゴメリー日記に見る「日記というもの」
モンゴメリーは憑かれたように日記も書き続けていた。日々の出来事を自分一人を読者とするひとつの物語に脚色して、日記の頁を埋めていった。(p.40)
わたしたち読者にとって、日記は隠された心の<真実の>吐露のように見えるが、もうひとつ裏には疑いもなくさらに隠された心がある。それは作り直したり、強調しないとありきたりでつまらないとし、日記に書かれなかった部分である。(p.43)
2009-05-23[n年前へ]
■「若さ」と「老い」と
「新しい衣服衛生 」より。
人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる。
人は自信とともに若く、恐怖とともに老いる。
希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる。
サミュエル・ウルマン「青春」
この一説の前段。
青春とは、人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた想像力、逞しき意思、燃ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却(しりぞ)ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
年を重ねだけでは人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑や不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(あたか)も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂を芥(かい)に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。 曰く驚異への愛慕心、空にきらめく星辰(せいしん)、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(きんぎょう)、事に処する剛毅(ごうき)な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
2009-05-24[n年前へ]
■「この世はわからない事だらけです。」
「毎日かあさん 5 黒潮家族編 」から。
私と鴨ちゃんは8年前ミャンマーで出家した。
アジア中を旅した内 ミャンマー人が一番信心深かったように思う。
彼はここでピーニャソーダ(聡明なる者)という名をもらった。
だから位牌に戒名がない。
あの寺院にもっていってパーリー語で彼の名前を入れてもらうつもりだ。。
寺から出た高僧が力車を引きながら
「この世はわからない事だらけです。」と言っていた。
2009-05-25[n年前へ]
■「簡単な否定」は簡単だ
自分を否定してしまうのは簡単だ。
そしてもっと簡単なことは自分以外を否定することだ。
価値あること、それはそんな次元をつき破った何かとてつもなくでかい否定だ。
そしてその遥か彼方にあるはずの圧倒的な肯定だ。
2009-05-26[n年前へ]
■”データ先行病という現代病”
週刊SPA! 2009/6/2号 坪内祐三×福田和也「これでいいのだ!」VOL.340より。
(坪内祐三)実感よりも、データが先行する、データが優先される。・・・例えば、出版の現場も、データ主義になっていてさ。ずっと雑誌にいた知り合いの編集者が、15年ぶりに書籍に移ったの。そしたら、団塊の世代くらいの上司が、「データ、データ、データ、売上データ!」で仕事をしていて、驚いちゃったんだって。・・・「偏差値秀才は良くない」って言ってた人たちが、逆に、偏差値的なデータに振り回されちゃってさぁ。(右上のサムネイルは「経済成長という病 (講談社現代新書) 」)
2009-05-27[n年前へ]
■栗本薫、死去
栗本薫 死去。
ぼくは、一人目覚めて秋の音をきいている夜半、彼女のことを考える。
ぼくは彼女に呼びかける。悲しい夢を見たよ。きみがどこにもいなくなってしまう夢を。でも、よかった。きみはそこにいる。では、お休み・・・そして、ぼくは眠りにつく。
「猫目石(上) 」「猫目石〈下〉 」
2009-05-28[n年前へ]
■「自分」と「他人」
島田紳助の「ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する―絶対に失敗しないビジネス経営哲学 (幻冬舎新書) 」から。
他人のためには力を出せない人は、自分のためにだって本当はがんばれないのだ。
他人の仕事だといって手を抜く人は、自分の仕事でも手を抜く。
(p.117)
他人の話を聞かない人間は壁に当たる。
けれど、他人の話を聞く人間は前に進めないのだ。
(p.159)
2009-05-29[n年前へ]
■「僕」と「俺」と「私」
何かを語るには、”体験”こそが説得力をもつ。・・・本文の一人称は迷ったが結局”僕”にした。あとがきは”俺”にした。いつか”私”とも出会ってみたい。
2009-05-30[n年前へ]
■主体的に「選択する」という自由
坂口孝則 「営業と詐欺のあいだ (幻冬舎新書) 」から。
(江国香織 「冷静と情熱の間」で)理知的なあおいが、最後は非合理さに「賭ける」姿は印象的です。・・・あおいの選択は、間違っているかもしれないと思いながら、あえて選択したことに意味があった。そう私には感じられます。この主体性の存在が、非合理な選択を唯一救うものではないでしょうか。いつの間にか選ばされているのではなく、意識的に選ぶということのみが、自由を行使する条件だと私は思うからです。
(p.213)おわりに
2009-05-31[n年前へ]
■君の魅力は「伸びしろ」だ
朝日新聞、小山薫堂の『君の魅力は「伸びしろ」だ』から
数多くの成功ノウハウ本に感化されたり、ITに通じているというだけで、若い人は何か勘違いしているのかもしれない。即戦力にならなくては生き残れないという就職活動の方法論を刷り込まれていないだろうか。やる気は必要です。でもそれは、未熟な自分がこれからどこまで伸びていけるか、その伸びしろに注ぐやる気にしませんか。