2009-09-01[n年前へ]
■哲学をすること
永井均「マンガは哲学する (岩波現代文庫)」の「あとがき」から。
世の中にすでに公認されている問題に置いて一方の側に立ってしまいがちな人は、それがどのような問題で、どちらの側に立つのであれ、哲学をすることはまず不可能である。
哲学は、他にだれもその存在を感知しない新たな問題をひとりで感知し、だれも知らない対立の一方の側にひとりで立ってひとりで闘うことだからである。
2009-09-02[n年前へ]
■次は、その悔しさを、上手に描いてごらんよ。
西原理恵子の「上京ものがたり 」第50話から。
出版社で女の子が
わんわん わんわん 泣いていた。
でも わるいのは あんただよ。
あんたが つまんないから わるいんだよ。
この くやしいの。
今度 上手に かいてごらんよ。
2009-09-03[n年前へ]
■神はたくらみ深いが、しかし、悪意は持たない。
野口悠紀雄の「無人島に持ってゆく本―「超」整理日誌〈2〉 」から、アインシュタインの言葉。
Raffiniert ist der Herrgott,
aber boshaft ist Er nicht.
神はたくらみ深いが、しかし、悪意は持たない。
2009-09-04[n年前へ]
■低い所に仕事は流れる
右近勝吉「平凡な私が月300万円稼ぐ7つの理由 」から。
なぜ私が作業服をユニフォームにしているかということについては、実はもうひとつ理由があります。
便利屋はサラリーマンよりも一段、低く見られないと仕事が来ないからです。
2009-09-05[n年前へ]
■台湾自転車メーカーが軽視する日本市場
白井健次の「YS‐11、走る!―たった一人で世界と闘う技術者魂 」から。
要するに台湾のメーカーが重視するのは近くにある日本ではなく、遠くにある欧米マーケットという不思議な状況が続いているのだ。(中略)だが、そんな日本の風潮も、ここのところやや変わってきた気配を感じる。本当にいいものを自分で見分け、長い間乗るという方向に変わっていけば、日本にも本格的な自転車文化市場が形成されていくことだろう。
2009-09-06[n年前へ]
■相手より下にいないと流れてこない
「低い所に仕事は流れる」を書き写すとき、ふと思い出した河合隼雄の言葉。この言葉は、永江朗「話を聞く技術! 」の中にあり、「相手の話を聞くために何が必要か」ということを語ったもの。相手よりも下にいないと流れてこない。
河合隼雄
2009-09-07[n年前へ]
■深い青の空にはコバルト色の基本的な青よりももっと深い青の雲が…
「色の名前 」からゴッホの言葉(手紙)。
深い青の空にはコバルト色の基本的な青よりももっと深い青の雲が飛散っていた、それからもっと明るい蒼白い天の川のようなものも。
2009-09-08[n年前へ]
2009-09-09[n年前へ]
■型の中に静かに収まっている、すべてを削ぎ落とした一行に
児玉清が25人の作家にインタビューした児玉清の「あの作家に会いたい」 から、小川洋子の言葉。
俳句とか数式とか、型の中に静かに収まっている、すべてを削ぎ落とした一行こそが、実は最も美しく、最も多くを物語っているのかもしれません。
2009-09-10[n年前へ]
■子供の頃パパのこと作文に書いた
JR東日本1995CM "PAPA LOVES TRAIN"(葉山まりな) in touch IIから。
子供の頃パパのこと作文に書いた。
パパの電車のこと何度も書いたね。
2009-09-11[n年前へ]
■おいしいお酒、ありがとう。
杉浦日向子の最後のエッセイ集 「杉浦日向子の食・道・楽 (新潮文庫) 」から。
呑まなければ、もっと仕事ができるし、お金もたまる。たぶんそうなんだろう。ベットにもたれ、ゆるり、適量を満たしながら、なんてことのない一日に、感謝して、ほほ笑んでいる。間に合わなかった仕事、ごめんなさ、おいしいお酒、ありがとう。
このエッセイ集の中に収録されている、ひと月ひとつ、愛用の酒器などを撮った美しい写真とエッセイ、全部で12か月分の「酒器十二か月」を眺めていると、色んな酒器を手に持って、色んなお酒を飲んでみたくなる。
今日も、ちゃんと酔えて、よかった。あした間に合うね、きっと。
2009-09-12[n年前へ]
■「病」という「気難しい客」にも、通じる言葉はきっと見つかる
十数年、難病と毎日をともにした、杉浦日向子の言葉(「杉浦日向子の食・道・楽 (新潮文庫) 」から)。
こう見えても、わたしは十年以上の中堅病人だ。立派な病名を医者から与えられ、ちゃんと通院(時々入院)しながら、処方箋の薬を飲み、頑張らない日常を過ごしている。
病は誰にとっても歓迎されざる客だ。いつの間にか上がり込んで、身内のような顔で(もっとも身の内だ)居座っている。
江戸のころ、「闘病」という言葉はなく、「平癒」といった。
たて籠った珍客は、偶然か必然か、ともあれ、自分の身体を選んで侵入し、居座った。
気難しい客だけれど、通じる言葉は、きっと見つかる。長年、病人をやっていると、そんな気がするのです。
2009-09-13[n年前へ]
■十の単位で十分なこと
杉浦日向子 「杉浦日向子の食・道・楽 (新潮文庫) 」から。
数値は、風向きを知る予報であって、自分の健康の出来不出来ではないと思う。ことに、年齢、身長、体重、スリーサイズ。それらは、十の単位で認知していれば十分なことで、それなりに安定していればOKのはずだ。わたしたちが持つ、命の力は、たぶん数字では測れない。
2009-09-14[n年前へ]
■「作る」と「時間」と「葛藤」と
橋本治の「人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書) 」の「産業は、人にどのような間違いをもたらすようになったか」から。
「作る」という行為は、葛藤の中を進むことなのです。「ものを作る」という作業は葛藤を不可避として、葛藤とはまた、「時間」の別名でもあります。
簡単な真理とは、「いいものは簡単に作れない」で、「時間をかけて作られたものは、それなりに”いいもの”になる」です。
2009-09-15[n年前へ]
■「みんな悩んで大きくなった」はいいけれど
橋本治の「人はなぜ「美しい」がわかるのか (ちくま新書) 」の『「成長」が無意味になってしまった後で登場するもの』から。
「孤独」を発見した近代は、これを「なんとかなる」の前のプロセスとして位置付けたのです。
ところが、この単純明快な基本原則は、あるところで壁にぶつかります。
「みんな悩んで大きくなった」はいいけれども、「お前も挫けずに頑張れよ」路線で大人になった青年達が、ろくなオヤジになれなかった-ならなかったというだけのことです。
2009-09-16[n年前へ]
■直観的に結論を先に決めてしまう人間
グラフィケーションで連載された11編の対談が収録された「科学技術を考える 」から、坂村健の言葉。
私は予定結論的推論機能と言っているんですが、要するに人間の場合は、直観的に結論を先に決めてしまうんですよ。例えば物を買うにしても、欲しいと思った時、代替そこで結論は決まっているんです。だけど、買うに至るには頭脳の理解と同意がないと、買う意思決定ができない。そこで、頭脳が後からついていって、あたかも演繹的な推論をやっているふりをしながら予定結論にどうやって近づくかという道を探している。その道筋が頭脳を満足させれば、買うと決まるわけです。
2009-09-17[n年前へ]
2009-09-18[n年前へ]
■合議アルゴリズムが有効な局面
情報処理 Vol.50 No.9 Sep. 2009 の『合議アルゴリズム「文殊」 単純多数決で勝率を上げる新技術』に対する湖東俊彦氏のコラムから。
合議が一定の成果を得ているのは、先に悪手を指してしまうとなかなか勝てないが、妙手を連発しなくてもなんとか均衡を保って、相手が先に悪手を差せば勝てる、という将棋の特性ではないかと思います。レベルは互角でそのうち悪手を差すレベル同士ならば、合議の意味があるのではないかと思います。相手が格上だと駄目かもしれません。
2009-09-19[n年前へ]
■「景気と文学」
関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか (ことばのために) 」の「景気と文学」から。
大正9年(1920年)3月15日に株式が大暴落して、第一次世界大戦景気による大正バブルが崩壊します。それで損をした人がたくさんいました。(中略)普通の人々が浮かれたという点では、昭和末から平成初年にかけてのバブル景気とおなじです。人の気持ちはかわりません。この文章が書かれてから、「バブル」と「バブル崩壊」のプロセスが、すでに繰り返されているように思います。「人の気持ちはかわりません」という言葉も、きっと何度も繰り返されてきたのだろう、とも思います。
夏目漱石の活躍期はその戦後不況とぴったり重なっています。(中略)いわゆるプロレタリア文学も昭和不況とともに盛んになるのです。漱石の文学が「不況文学」であるように、景気と文学の関係はもっと考えられてもよいと思います。
2009-09-20[n年前へ]
■「落語とは業の肯定である」
堀井憲一郎「落語論 (講談社現代新書) 」から。
立川談志は「落語とは業の肯定である」と言っていた。落語の本質をひとことで言い表している。つまり、「落語が表現しているのは、人間のおこないのすべてである」ということだ。人のおこないを論評せずに引き受ける。それが落語である。
2009-09-21[n年前へ]
■「個性」という安易な幻想
関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか (ことばのために) 」の「無知に個性はない」から。
近年は、個性とかオリジナリティとかの言葉が、魔法のように人を束縛しているのではないでしょうか。自己表現、自己実現も同じです。また、次の言葉は 堀井憲一郎「落語論 (講談社現代新書) 」から。
いま、(中略)人は一人一人が個性を持った素晴らしい存在である、と教えられる。おとなになって木陰で休んでいる気分で振り返ると「嘘も休み休み言ってもらいたい」とおもえる。
2009-09-22[n年前へ]
■伝達できない技能は技能でない
関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか (ことばのために) 」の司馬遼太郎に関する章から。
『真説宮本武蔵』で彼は、伝達できない技能は技能でないと強調し続けます。(中略)つまり、教育できないものは文化ではない、一瞬の芸にすぎない、という考えが彼の中には濃厚にありました。反吉川『武蔵』ですね。
2009-09-23[n年前へ]
■「過去が詰まった濃い本」と「未来を書いた薄い本」
橋本治の「大不況には本を読む (中公新書ラクレ) 」から。
(中略)本の多くが「過去のこと」を語っていて、「それでどうなんだ?」という「現在から先のこと」を考えるのが読み手の担当だという、仕組みになっているからです。
(中略)「これまでのあり方を振り返って、未来を検討する」ということをしなくなった。「その未来にはこうすればいい」という予言の書-つまり、分かりやすくてすぎ役に立つ「理論の書」を求めるようになったのです。
2009-09-24[n年前へ]
■大阪の象徴「通天閣」を三十一万円で買い取った吉本
竹本浩三「オモロイやつら (文春新書) 」から。この通天閣は、初代の通天閣。吉本せいは、吉本の創業者の一人で吉本興業の初代社長。
昭和十三年、吉本せいは念願の大阪の象徴「通天閣」を三十一万円で買い取った。
2009-09-25[n年前へ]
■「のりしろ」という、ムダではない「ムダ」
瀧口雅仁「平成落語論─12人の笑える男 (講談社現代新書) 」から。
文化でいう「のりしろ」と言えばいいのか。ムダではない「ムダ」。あとになって切り捨てられるかもしれない部分があってこそ、芸というものの良し悪しは見えてくるのではと、最近強く思うのだ。
2009-09-26[n年前へ]
■「老眼鏡」と「物は言いよう」
「老眼鏡」や「臨機応変」、今一つなイメージの言葉とポジティブに響く言葉、そんな言葉を少し言い換えてみると、同じ内容のはずなのに印象が大きく変わる…と笑いながら聞いている内に「話の世界」に引き込まれていく、立川志の輔「猿後家」。
2009-09-27[n年前へ]
■、私たちの日常にひそむささいだけれど不可思議な謎
北村薫のデビュー作、「空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書) 」の冒頭に宮部みゆきが書いた紹介文から。
ヒロインの「私」と探偵役の噺家 春桜亭円紫師匠とのやりとりを通して、私たちの日常にひそむささいだけれど不可思議な謎の中に、貴重な人生の輝きや生きてゆくことの哀しみが隠されていることを教えてくれる。そして、「解説」で引用される北村薫が単行本で書いた言葉が、次の一文。
”小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思います”
2009-09-28[n年前へ]
■「欲望」と「希望」
「EXPO’70 驚愕!大阪万国博覧会のすべて」の冒頭に掲げられた言葉から。
そこでこれを読んでいるあなたにひとつの質問をぶつけてみたい。「なぜ飛行機は空を飛ぶのか?」。飛行機が空を飛ぶのは、ジェットエンジンを積んでいるからなのか?それとも初飛行機に成功したライト兄弟のおかげなのか?または空気抵抗と推進力と重力の諸問題を解決したせい???どれも答えとしては正解なのかもしれない。しかし哲学的だが、最も物事の本質を突いた回答がある。それは「人間が”空を飛びたい”と強く願ったから」-。
一見、単純にも見えるこの答えだが、そこには明るい未来への希望を失い夢を持つ頃のできない今のこの時代にとって、ひとつの答えが隠されている気がしてならない。1970年の大阪万博を観に行った当時の子供たちは皆一様に、自分たちが大人になる21世紀には、クルマは空を飛び、ロケットでの月旅行や近世探検へ行く時代がやってくる、と当たり前のように信じで疑わなかったという。
2009-09-29[n年前へ]
■上手い人は上手い人が好き
柳家花緑「落語家はなぜ噺を忘れないのか (角川SSC新書) 」から。
落語家って、上手い人は上手い人が好きなのだと、私は思うのです。祖父が弟子でありながら独立して、落語協会まで離れて立川流を立ち上げた談志師匠を認めていたのは、やはり上手かったからなのでしょう。祖父(五代目柳家小さん)から聞いた言葉に「芸人の発言力は高座だ」というのがあります。つまり、噺の上手くないやつは何か言っちゃいかん、ということですよ。