2009-12-01[n年前へ]
■ ― 結局は、自分の持ち球を投げるしかない、ということです。
北村薫「北村薫の創作表現講義―あなたを読む、わたしを書く (新潮選書) 」から。
― 結局は、自分の持ち球を投げるしかない、ということです。
― 結局のところ、表現とは、≪どのような自分であるか≫を見せることです。
特に何か書きたいこと(ここで言うのは長文の話である)がない、という人も多いかもしれない。しかし、こんな言葉を北村薫の語り口で書かれると、あぁそうか、という心持にさせられる。
しかし、長く生きていると、書きたいことというのは、否応無しに出て来るものですよ。
2009-12-02[n年前へ]
■進化しているように見えるのは、枝葉の部分が多い。
どこで読んだのかは忘れてしまったが、数年前に手帳にメモした糸井重里の言葉から。
進化しているように見えるのは、枝葉の部分が多い。根や幹の部分は、昔の人たちから学ぶことばかりだ。
2009-12-03[n年前へ]
■江國香織が描く22人のインタビューイの物語
江國香織「十五歳の残像 」への感想から。
よくあるインタヴュー集とはひと味もふた味も違うものになっています。それはたぶんインタヴューアーとインタヴューされる側の発言をそのまま載せるスタイルではなく、江國香織が自分でインタヴューしたものを元にして、あらためてひとつの物語として完成させているからだと思います。
彼女が意図してたのかどうかは分かりませんが、この本を読んでると、インタヴューされる側がみな、江國香織の小説の中の登場人物のように思えてなりませんでした。インタヴュー集と言うよりは、江國カラーたっぷりのひとつの物語って感じです。
大人と子どもの間で揺れる、どっちつかずの少年時代。格好いい大人たちは、どんな15歳を過ごしてきたのか。江国香織の緩かなまなざしが、22人の思春期を鮮やかに甦えらせる。
2009-12-04[n年前へ]
■どの人が言ってることも…
銀色夏生の「あの空は夏の中 (角川文庫) 」から。
たくさんの本を読んだ。 どの人が言ってることもウソじゃないと思うけど
どの人が言ってることも本当じゃない
私はすこし疲れた気持ちになって
夕立の窓を開ける
2009-12-05[n年前へ]
■「後ろ」と「夢」と「愛」と「先」
寺山修司が綴った言葉を、二つ抜き出してみる。
ふりむくな ふりむくな
うしろには夢がない。
私には忘れてしまったものが一杯ある。
だが私はそれらを「捨ててきた」のでは決してない。
忘れることもまた、愛することだという気がするのである。
2009-12-06[n年前へ]
■揃っているのが良い、歪んでいるのは悪い、なんていうルールは…
JR東海のキャンペーンCM「そうだ 京都、行こう。」の10年前の冬に投げかけられた、「大仙院」からの言葉。
まっすぐ揃っているのが、良い。歪んでいたりずれているのは、悪い。なんてルールは、この「ちゃわん」のどこにもみつかりません。
そうだ 京都、行こう。「1999年冬 大仙院」
2009-12-07[n年前へ]
■そうだ 京都、行こう。
「今わたしたちは、日本の歴史の、どのあたりを歩いているのだろう。」という言葉に惹かれて、京都近郊の長岡京市にある光明寺に足をのばして行ってみる。
冬の空気を間近に感じながら、飲んだ後の帰り道、ひとり、天下一品のラーメンを食べに行く。こってりスープとシャキシャキのネギで体を暖め、夜の町を歩く。
2009年の秋。
今わたしたちは 日本の歴史の、
どのあたりを歩いているのだろう。
2009-12-08[n年前へ]
■一生のうち二年や三年、ばくちでメシが食えたって、それはアルバイトみたいなものだ。
色川武大「うらおもて人生録 (新潮文庫) 」から。
プロと言う観点からみると、一生のうち二年や三年、強くて、ばくちでメシが食えたって、それはアルバイトみたいなものだ。ばくちのプロなら、ほぼ一生を通じて、ばくちでメシが食えなければね。
2009-12-09[n年前へ]
■「結局は、自分のためにやってきたんです」
山際淳司「スローカーブを、もう一球 (角川文庫) 」の「たった一人のオリンピック」から。
そして時が流れた。二十代の後半を、彼はボートとともにすごしてきてしまったわけだった。ほかのことに見向きもせずにだ。オリンピックに出るという、そのことだけを考えながら、である。
決算はついたのだろうか。彼が費やした青春時代という時間の中から果実は生み出されたのだろうか。一つのことに賭けたのだから、彼の青春はそれなりに美しかったのだ、などとは言えないだろう。
「結局は、自分のためにやってきたんです」
津田真男は、現在、ある電気メーカーに勤めている。ボートはやっていない。
2009-12-10[n年前へ]
■「いろんな仕事」と「厳しい掟」
周りの風潮に惑わされることなく、みんなは自分のやりたいことを見つけなさい。世の中にはいろんな仕事があるんです。いろんな人がそれらの仕事に従事して、世の中は成り立っているんです。
ただし言っておくけどもね、そこにはしっかりとした技術を身につけていなければ、生き残れないという掟、厳しい掟があることもどうぞ忘れないでください。
自分の技術は自分で一生懸命磨いていく。それを支えているのは何か、(それは)この人たちの意欲です。…そしてもうひとつ。狭い視野で物事を捉えないということ。
2009-12-11[n年前へ]
■一瞬の才能なんてだれでもあるんだよ。
「あぁ…」と感嘆させられる言葉を本の中で読むことがあります。そして、手帳に書き写します。そして、時折、ここにさらに書き写します。これは、渡辺淳一の「男と女のいる風景 」の中の言葉です。
一瞬の才能なんてだれでもあるんだよ。けれど、とても心に鋭く響く言葉は、ここには書けず、手帳にすら書き写すことができないことも多いものです。ただ、心の中に、その言葉が残るのです。
問題はそれを持続させるのがむずかしいんだよ。
この本も、そんなここに書き写さない言葉がたくさんある、そんな本でした。
2009-12-12[n年前へ]
■一塁ベースに行ける、と信じつづけること
山際淳司の「山際淳司―スポーツ・ノンフィクション傑作集成 」の「途中入社」から。
野球には盗めない塁が一つだけあるんだ。知ってるかね。ファーストベースだ。ここだけは盗塁できない。そして一塁に出なければ、得点もできない。一塁ベースに、何が何でも行くことさ。それが野球だ。
(1985年に米野球殿堂入りしたカージナルスのエノス・スロウターが晩年に語った)その話をすると、蓑田(浩二)は考えながらいった。
「一塁ベースが遠く見えるときがあるな。でも・・・」
彼はつづけた。「…肝心なのは、行けるんだと信じつづけることだ」
2009-12-13[n年前へ]
■スポーツシーンは「読む」に値する
山際淳司が生前に自ら選んだ文章等をまとめた「山際淳司―スポーツ・ノンフィクション傑作集成 」の最後を飾る、「ツール・ド・フランスを”読む”」の一番最後を締めくくる一節。
ところで、もうひとつ付け加えておくと、ここではツール・ド・フランスのことを書いたが、スポーツシーンは「読む」に値するということだ。スポーツを解読していくと、いろいろなものが見えてくる。それは逆から言うと、スポーツが人間に関するもろもろのことを、つまるすべてを含んでいるからにほかならない。もしかしたら、人が力を費やすさまざまなことを、この「スポーツ」という言葉に置き換えてみても、その文章は「真」なのかもしれない。
2009-12-14[n年前へ]
■理科はすきですか
遠くのホームでひとり列車を待っている人がいる。その人の方向へと、小さなロボットが自転車に乗って向かおうとしている。自転車に乗るロボットを、ひそかに、青い衣装をまとった女性が優しく見守っている。
ホームに立つ人はどこに行くんだろうか。小さなロボットは、どこまで行き着くことができるのだろうか。
理科はすきですか
村田製作所
2009-12-15[n年前へ]
■一人一人はみんな面白くていいヤツなんだけど
「阿川佐和子の会えば道づれ―この人に会いたい〈5〉 (文春文庫) 」から岩城宏之の言葉。
昔、(山本)直純が言ってたの。「ジャイアンツの選手は一人一人はみんな面白くていいヤツなんだけど、読売巨人軍として行動すると、あの嫌なジャイアンツになる」と。それを僕は日本巨人軍症候群と呼んでいるんだけど、(後略)
2009-12-16[n年前へ]
■人間は論理・合理だけではうまくやっていけない
「阿川佐和子の会えばなるほど―この人に会いたい〈6〉 (文春文庫) 」中の、数学者というか、エッセイストの藤原正彦の言葉から。
藤原:人間は論理・合理だけではうまくやっていけないんだと。マルクスのような大天才が作った共産主義も論理的には非常に美しい。しかし、七十四年間、ソ連が実験して大失敗に帰した。それは人間と言う種には不適切だったからなんです。「理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 」の小島先生の2回分と合わせて読むと、とても面白く感じる。また、小川洋子の「博士の愛した数式 (新潮文庫) 」もさらに読んでみるのも面白いかもしれない。
2009-12-17[n年前へ]
■ 作りたくて仕方がねぇ人間がいるってことは…。
大和田秀樹「機動戦士ガンダムさん いつつめの巻 (角川コミックス・エース 40-23) 」
君のやろうとしていることは早い… 十年早すぎるんだ。
だったら、時代をよ 十年進めようじゃねぇか
オレたちの手で。
十年早えか遅いか決めるのは
オレたちじゃねぇ。 客だ。
作りたくて仕方がねぇ人間がいるってことは
それを見てェやつも いくらかはいる
ってことにならねェか?
2009-12-18[n年前へ]
■日々出会う分岐点に道しるべはない
「山際淳司―スポーツ・ノンフィクション傑作集成 」の「タマサブローのその後」から。
誰の人生にも分かれ道がある。分岐点というやつだ。しかしそれは奥深く分け入った山道で出会う(道しるべが立っていることが多い)分かれ道とは違う。
日々、生きているなかで出くわす分岐点には、当然のことだが、道しるべはない。そこで、やっかいなのだ。右へ行けば成功するのか、左に行けば可能性があるのか、誰にもわからない。ただいえることは、その場で立ち止まっていてはいけないということだ。立ち尽くし、考え込んでいても何も変わらない。
2009-12-19[n年前へ]
■「知っている」ことと「できる」ことは全く違う
齋藤孝の「なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943) 」のあとがき、から。
できていないのに、「わかっている」と言い続ける人には、進歩がない。「知っている」ことと「できる」ことは、全く違うことだ。そのあいだには深い川が流れている。
2009-12-20[n年前へ]
■我が国は、高校生に重要な経済問題を理解する基本的スキルを教えなければならない。
やはり、「アメリカの高校生が学ぶ経済学 原理から実践へ 」は良い。というわけで、またもや「アメリカの高校生が学ぶ経済学」で学ぶの時と同じように、またもや復習を繰り返している。専門書を読み進めようとすると、途端に全体が見えなくなってしまうので、何回もこの本に戻ることになる。
我が国は、高校生に重要な経済問題を理解する基本的スキルを教えなければならない。…高校卒業までに経済学の充実した教育を受けなければ、ほとんどの成人は、経済の機能や富の創造過程における自らの役割を学ぶ機会がまったく与えられなかったことになる。
本書冒頭に掲げられている W.B.ウォルスタッドの言葉
すべての人が突然、想像以上に裕福になったとしよう。大金持になっても、欲しいものの多くは手に入らない事態に陥る。
2009-12-21[n年前へ]
■僕らが見たつもりになっている世界
森達也の(小中高生に向けて書いた)「世界を信じるためのメソッド―ぼくらの時代のメディア・リテラシー (よりみちパン!セ) 」から。
つまり物事は、どこから見るかで全然違う。なぜなら世の中の現象はすべて、多面的だからだ。
わかりやすさは大切だ。学校の授業だって、わかりづらいよりはわかりやすい方が良いに決まっている。でもね、ここで大切なことは、僕たちが生きている今のこの世界は、そもそもとても複雑で、わかりづらいということだ。
何かを撮るという行為は、何かを隠す行為と同じことなのだ。
もう一度書くよ。僕たちはメディアから情報を受け取る。そして世界観を作る。でもそのメディアの情報に、大きな影響力を与えているのも僕たちだ。メディアが何でもかんでも四捨五入してしまうのも、その四捨五入がときには歪むのも、実際の物事を誇張するのも、ときには隠してしまうのも、僕たち一人一人の無意識な欲望や、すっきりしたいという衝動や、誰かわかりやすい答えを教えてくれという願望に、メディアが忠実に応えようとした結果なのだ。
学生時代、写真館でアルバイトをしていた。結婚式の写真を1,2mmトリミング(切り取る)するだけで、ずいぶん違う写真に変わることに驚かされた。たった2人しか写っていない写真でさえそうならば、たくさんの人たちがいる世界を写したはずのものは、ほんの少しのトリミング次第で、どれほどに大きく変わってしまうものなのだろうか?
2009-12-22[n年前へ]
■○×△っていうらしい
スガシカオ/~ kokua の「Progress 」から。
ぼくが歩いてきた 日々と道のりを
ほんとは“ジブン”っていうらしい
誰も知らない世界へ向かっていく勇気を
“ミライ”っていうらしい
2009-12-23[n年前へ]
■メディアの形態
永江朗「メディア異人列伝 」から。
日本の新聞には「なぜ」がなく、あるのは事実の羅列だけ。一つの記事が短く、長い記事は共同執筆になってしまう。
「メディアが突出して悪いわけじゃない。メディアは鏡みたいなもの。僕らが望むからテレビや雑誌はこういう形態になっている。」
2009-12-24[n年前へ]
■ぼくらずっと全力で少年なんだ
スキマスイッチ「全力少年 」をクリスマスに聴きながら。
積み上げたものぶっ壊して
身に着けたもの取っ払って
幾重に重なり合う描いた夢への放物線
紛れもなく、ぼくらずっと全力で少年なんだ
視界はもう澄みきってる
2009-12-25[n年前へ]
■「制御工学」を「日常生活」に生かす
岩井善太・川崎義則・石飛光章「制御工学 (基礎機械工学シリーズ) 」から。制御工学の本はたくさんの本を読んだが、入門書としてはこの本が一番わかりやすいと思う。
制御を行うには、必ず制御のための対象(相手)があり、目標値を掲げ、現状を把握し、目標と現状の差を知り、そして対象に働きかけることになります。これがフィードバック制御の原理ですし、どのような働きかけ方(制御方式)をするかがポイントになります。この考え方は、私たちの日常生活のすべてのことにあてはめるポイントになります。
2009-12-26[n年前へ]
■「その時代の歌」と「あなたの時代」
Janis IanのWill You Dance?を聴きながら、「ポップミュージックで社会科 (理想の教室) 」を読む。頁をめくりながら、ジャニス・イアンの曲を聴く。
この本、「ポップミュージックで社会科 (理想の教室) 」を読んでいると、この時代、あの時代、さまざまな時に流れ・歌われた曲を聴きながら、その時折を知る人たちの話を訊いててみたい、と思う。「その頃、あなたはどんなことを思いながら、どんなものを眺めていましたか」「そして、どんなことを感じていましたのでしょうか」と尋ねてみたくなる。
Someone is waiting someone's crying Someone's lying No one's buying Janis Ian / Will You Dance?
2009-12-27[n年前へ]
■本当に身につけるためには、自分でいっぱい問題を解き、ソフトを組み、とにかく手を動かすこと。
山形浩生「訳者解説 -新教養主義宣言リターンズ- (木星叢書) 」から。
道を知ることと、その道を実際に歩くこととはちがうのである。本当に身につけるためには、自分でいっぱい問題を解き、ソフトを組み、とにかく手を動かすこと。
2009-12-28[n年前へ]
■この後に続く言葉も、あなたは教わっていますね
直木賞を受賞した北村薫の「鷺と雪 」の前作、言いかえれば、「街の灯 (文春文庫) 」に続く、「ベッキーさん」シリーズ第二作目の「玻璃の天 (文春文庫) 」から。ひきたい言葉はここには書かないけれど、北村薫が描き出す「時」と「人」には、本当に心動かされる。
「この後に続く言葉も、あなたは教わっていますね」この言葉は、第三作目でも繰り返される。そして、この言葉を聴く登場人物は、さらに第三作目で、その後に続く言葉を、さらにこの言葉の後に続く言葉を、護符を抱くようにじっと聴く。
2009-12-29[n年前へ]
■自ら「定義」し、「考察」をする
「アメリカの高校生が学ぶ経済学 原理から実践へ 」のミクロ経済学の復習実践課題から。
■ 以下の用語を定義しなさい。 「外部性」
■ 軍事基地の閉鎖から起こり得る正の外部性と負の外部性を1つずつあげなさい。
2009-12-30[n年前へ]
■「時代」という「馬」
北村薫が、昭和が始まり時代が大きく動くさなかの、人の日常を描いたベッキーさんシリーズ第1作目「街の灯 (文春文庫) 」から。
……悍馬(あばれ馬)というなら、時代ほどの悍馬はいないさ。ナポレオンでさえ、振り落とされた。
2009-12-31[n年前へ]
■天馬空を行く
北村薫のデビュー作「空飛ぶ馬 」の最終段から。
人は誰も、それぞれの人生という馬を駆る。
蛇足、という言葉を体現・具現化してしまうのなら、さらに、もうひとつ文を書き写してみるのなら、短編集である「空飛ぶ馬」の最後を飾る「空飛ぶ馬」の冒頭近くから、この一節をも書いてみることにしよう。せっかくの、年を越す大晦日の夜なのだから。
天馬空を行く。自由闊達(かったつ)の譬(たと)えだが、そのイメージには暗い物語の最後に救いをもたらす大きさがあるような気がした。