hirax.net::Logos::2010-06

2010-06-01[n年前へ]

欠点を数え上げても幸福にはなれません 

 婦人公論4月22日号に収録されている、内田樹の「欠点を数え上げても幸福にはなれません」から。

 「言われて治る」ようなものは「欠点」とは呼びません。でも、そういう本質的な欠点は、その人の本質的な長所と表裏一体になっています。
 そして、決して治るはずのない性格特性を「減点」対象として日々意識することで、幸福になる人は誰もいません。…そんなふうにして、自分で自分を不幸にしている人がたくさんいます。

2010-06-02[n年前へ]

「空の高さ」と「自分の影」と。 

 from redexxx

上(うえ)を見ないものは、空の高さを知らず。
下(した)を見ないものは、新しい芽吹きを知らず。
前(前)を見ないものは、続(つづ)く地平を知らず。
周(まわ)りを見ないものは、ともに歩む友を知らず。
後(うし)ろを振り返らぬものは、己(おのれ)の影を知らぬ。

2010-06-03[n年前へ]

「選ばなかった人の物語」 

 「選ばなかった道

 選ばなかった人の物語は、成功者や失敗者の物語に比べれば華やかさに欠けるかもしれないけれど、実際に分かれ道に立って選んだ時の葛藤に思いを馳せれば、同じくらい劇的な人生であるはずなのだ。成功者のわかりやすい物語よりも、一見「平凡」な人生に隠された、そういったドラマをもっと知りたいと思う。

 成功者の視点から語られる物語は、たいていの場合、とても単純明快でわかりやすい。けれど、選ばなかった人の物語は螺旋階段のようにわかりにくい。「選ばなかった人」は「決断を容易にする人」を憧れと同時に冷めた目で眺め、決断を容易にする人は、「選べない人」を…じれったく情けなく思うのだろう。

 Appleが華やかだった時代、Apple][のコンパチ基板が秋葉原にあふれていた時代、月に数度、秋葉原に行った。その後、NeXTが消える寸前になり(少なくとも、当時はそう感じていた)、Appleの株券が「燃えるゴミ」同然になっていた時も、秋葉原に行っていた。今この瞬間は、Appleは調子がいいようだ。

 海辺の景色を眺めれば、毎日繰り返されてる「潮の満ち引き」が見える。テクノロジーとビジネスの世界も、たぶん、きっと同じなんだろう。

 ただ、そんな風に、一歩ひいて眺めていたら何かを選ぶことはできないはずだ、ということもわかる。

2010-06-04[n年前へ]

Don't Stop Believin'  

 Glee によるJourneyの"Don't Stop Believin'"から。

Some will win, some will lose.
Some were born to sing the blues.
Oh the movie never ends.
It goes on and on and on and on.

Don't stop believing.
 「sing the blues」はブルースを歌うってことから、「泣き言を言う、愚痴を言う、弱音を吐く」という意味になります。
勝つヤツもいる 負けるヤツも、
泣き言を言うために生まれたヤツもいる。
この映画はずっと終わらない。
そんなことがただ続く。

Don't Stop Believin'.

2010-06-05[n年前へ]

「彼女たちの言葉」 

 「彼女たちのドラマ―シナリオライターになった女性たち」の頁をめくっていると、おそらくインタビュアーが「シナリオライター志望者へのアドバイス」を問うたのでしょう、女性脚本家たちが、他の人に向けたアドバイスめいた言葉を言う部分があります。ふと、それぞれインタビューイが、一体どんな言葉を話しているのか眺めたくなりました。

 そこで、何人かの言葉をここに書き写してみることにしました。違う人が語った言葉でも、それらを並べてみると浮かび上がってくるものがあるかもしれません。

 「諦めないで続けなさい」という言葉がよく言われますが、諦めないでやっていても、どうしても報われないときもありますから、無責任には言えなくなってきました。「夢はきっと叶うもの」なんてとても気軽には言えません。でも言える言葉があるとすれば「自分を信じる」ということですね。

井上由美子 (「はやぶさ新八御用帳」など)
 結局、自分のしたいようにしてきた人が一番強い。自分のしたいようにするために、努力を惜しまない人。

梅田みか (「お水の花道」など)
 何かになれる人はとっくにその何かを始めてる。…だから、「これをやりたい」という強烈な意志のある人が残っていくんだと思います。本当に書きたいという気持ち、それに打たれ強く粘り強いこと。そういう強い意志があれば、その人はきっと何かの道を見つけることができるはずだと私は思います。

大石静 (「ふたりっ子」など)
 登らなければいけない坂道の途中では絶対、下を振り向かないで、上だけを見ていて欲しい。というのは、下を見てしまうとつい弱気になってしまうからです。…振り向くな、上だけを見ていなさい、と訴えたいですね。

高橋留美 (「ショムニ」など)

 …そして、同時に似たような言葉が含まれている関連記事、「「空の高さ」と「自分の影」と。」を眺めてみると、また複雑な色合いの思いが浮かぶかもしれません。コインをトスして何かに掛ける時、それは一体、表を向くのでしょうか、あるいは、期待に反して裏を私たちに向けるのでしょうか。

 だから、コインには2つの面があるということさ。

Steve Wozniak

2010-06-06[n年前へ]

憂歌団からレベッカまで、バンドはいつか解散するの? 

 十年以上前にバンド活動を休止した憂歌団、そのリード・ヴォーカルの木村充揮がしゃがれた声で歌う”CHE.R.RY”に聞き惚れる。声を重ねて一緒に歌いたくなる。

恋の始まり、胸がキュンと狭くなる。
いつまでも待っているから、
春の冷たい夜風に預けて、メッセージ。

 憂歌団の曲を久々に聴きたくなり、TSUTAYAに行く。そして、その勢いで、憂歌団がなぜ活動を休止したのだったっけ?という思いに駆られ、「バンド臨終図巻 」を読む。

 それは本当に「音楽性の違い」だったのか……? 全てのバンドの解散には必然があった。クレイジー・キャッツからビートルズ、フリッパーズ・ギター、羞恥心まで古今東西洋邦200バンドの解散の真相に迫る。
 冒頭で、ドラムを叩いているのは小田原豊。この本には、小田原豊がいたレベッカも、もちろん登場している。解散・活動休止宣言をしたバンドだけのはずだけれども、ありとあらゆるバンドがここに含まれている…かのように感じてしまうのは、「バンド」という絆が永遠に続くことはないからだろうか。

2010-06-07[n年前へ]

続 「ずっと」も「好き」も、どこにもないから。 

 「通映画批評 > パーマネント野ばら」を読む。

 この美しさの正体が、やがてある残酷さとともに、明らかになる。そのとき、世界のすべてが一変する。町の風景の寂しさは、美しさに変わり、町の人々の滑稽さは、優しさに変わる。時に忘れられたような町は、本当に時が止まっていたのだ。
 パーマネントは「永久」という意味だ。なぜパーマ店の客らが異常に「パーマの強さ」「パーマの永続性」にこだわっていたのか。見終わったとき、その気持がわかって、胸に染み入ってくる。
深く頷く。そして、もしかしたら・・・とふと違うことを連想する。

 人の少ない田舎町を出て、そして、その田舎に戻らない人だからこそ、どこにも存在しない景色を夢見つつ、そして、切ない景色を描き続けることができるのかもしれない。

 この作品のほとんどは、確かにすぐれて叙情的なものばかりだ。しかし、もう一度涙をぬぐって読み直せば、そこに違うものも見える。表面的な美しい抒情の向こうに潜む、西原の恐ろしいほどの絶望と、それから胸の底にわずかにのぞく希望とが、読みとれるだろう。
「ずっと好き」はどこにもないから・・・
好きやずっとなんて、ないことは、 とっくのむかしから知っている。

2010-06-08[n年前へ]

解析解の方が、因果関係に直結していて役に立つ!? 

 今年が始まる頃、「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」という言葉から始まる年賀状に対して、書いた返事から(関連記事も参照のこと)。

 何か問題を解くときに、「特殊解だけが必要な場合でも、汎用解を解く方が簡単」ということがあることもあると思います。シミュレーション計算の結果より、解析解の方が、因果関係に直結していて役に立つ、みたいな感じです。
 この後に連ねた言葉は、「東工大の内川研・山形大の山内研のどちらを選ぶにせよ、標準色覚にこだわらない、汎用的・一般的な感度関数からスタートした色覚・色彩学問を一度眺めてみたいように思います」

2010-06-09[n年前へ]

働かない人も一定人数いる世界 

 熊野寮が鉄筋コンクリートの建物なら、吉田寮は朽ちた木造の建物で、奥に中核派が占拠するのが熊野寮なら、多分ふつうの学生が占拠していたのが吉田寮で、熊野寮で余った夕方の寮食があれば、(何食余りがあるという寮内放送と同時に)それをサンダル履いてアサりに行くのが吉田寮生という感じだったろうか。

 「京都大学新聞社/Kyoto University Press » エリート×起業家×ニート 新入生キャンペーン2010講演会録(2010.05.16)

 僕が住んでいたのは熊野寮で、基本的にここでだらだらしていました。熊野寮はほんとに、まあ吉田寮とかもありますけど、本当にもうボロくて汚くて廃墟のようで、いるとどんどんやる気が失われていくという感じなので、あんまり住むことはオススメしませんけど、見に行ってみることはお勧めします。廃墟見学的な、ちょっと時間が止まっているようなすてきな建物を見学するという意味で、行ったら面白いと思います。
 そこは竜宮城のような場所で、竜宮城はキャンパス内にあるけれど、教室に行くわけじゃないから、別にそこが網走でも・太陽が一年に一回しか差し込まない極地であっても、構わなかったのかもしれない。
 働かない人も一定人数世界にはいるし、そういうものが世界だと思うし、それでバランスが取れているんじゃないかな、という世界観があるんですね。みんな頑張ってちゃんと働かないといけない社会というのはすごく生きづらい気がするし、逆に働くのだるいなって人が100%でも、それはそれで社会として不安に思います。

 高校生の頃、「自由」という言葉を知っていたようなつもりになっていた。もっと、「自由」という言葉を謳歌した”つもり”になったのが、今はもうない吉田西寮という場所でだった。

2010-06-12[n年前へ]

「ストーム」という嵐 

 ストームは、日本の旧制高等学校大学予科旧制専門学校新制大学などの学生寮において学生が行う蛮行のこと。バンカラの一種。

 「バカ騒ぎ」を基本とし、寮内器物の破壊にまで至ることも少なくなかった。歓迎ストーム・返礼ストーム、街に出て気勢を上げる街頭ストーム、巨大な火を焚きそれを囲んで行うファイヤーストーム、夜中に入学の抱負などを言わせ説教のようなものを続ける説教ストームなどもあった。現在でも学生らによって「ストーム」と称する行事が行われる後身校がある。 これらは単なる馬鹿騒ぎではなく、ディオニューソス的感興を伴うものとされていた。

2010-06-13[n年前へ]

「本当の理科人間」 

 「本当の理科人間」に限らず、「本当の文科人間」でも同じではなかろうか、とも想像する西村肇氏の言葉から。

 本当の理科人間は理屈を言い争うディベートを好みません。どんな結論にも理屈はつけられるので、このようなコトバによる議論が、意味ある結論に導くとは思わないからです。
 理科人間の議論は一回で論戦を決着できる物証の提示、あるいはそれから反論の余地なく導かれる推論の提示です。
 理屈を聞いたり・言ったりするよりも、「動く」ものを作り出すことが好きだ。「こういうものがあったらいい」と思えば、実際に作ってみればいい。もしかしたら、そういうものも「物証」のひとつになるのだろうか。それは、「本当の理科人間」に限らず、「本当の文科人間」でも同じなのではないだろうか。

2010-06-14[n年前へ]

虹を超えて、カンサスを超えて。 

 ずいぶん前、「続 オーディオ常識のウソ・マコト 」を読みました。昔ながらのコンピュータファンでしたら、この著者こそがサッポロ・シティ・スタンダードの開発者であることを知っていることでしょう。あるいは、もしも知らなかったとしたら、あの世界標準のカンサスシティ・スタンダードに対して、極東の国の最果ての北国から生み出されたあのサッポロ・シティ・スタンダードのことを、懐かしく思い出すのではないでしょうか。

 北海道の札幌と言えばハドソンも思い出します。今も昔も、意外に田舎の町でもコンピュータは盛んだったのでしょうか。

2010-06-20[n年前へ]

「被害者意識を持たないこと」 

 「笑ってコラえて」の「日本列島金の卵の旅」から。

 この仕事をやっていく上で、五十を越えたおっさんがアドバイスできるとすれば、「被害者意識を持たないことだね」
 好きでやってることなんだよ。大変な人生かもしれないけれども、選んじゃった限りは、お互い頑張ろう。

堤幸彦

2010-06-21[n年前へ]

My Way 

 いつだったか、秋の気配を感じる北米の町から、中米に遊びに行った。その時、深夜のハンバーガーショップで、市場通り沿いの公園で、土産品が並ぶ一角で、そして、ピラミッドのてっぺんで、確かヘビーローテーションで聴いて言いた曲が、この曲だった。

地に足付け、頭雲抜け、進む。前に、前に、前に。
Believe my way my way my way.

2010-06-23[n年前へ]

「うれしいひとこと」 

 ある春の終わりに、京都府にある長岡京市にある市民会館にベートーベンの第九を歌いに行った。その時は、それから何年物間ドイツ語に苦労することになるとは知らずに、気持ち良くステージの上で歌を歌っていた。

 数か月して、寒い季節に、毎日のように、純肉体労働的アルバイトをするために、その市民会館の先にある埋蔵文化財発掘センターに通い詰めた。その頃、いつもい聴いていた(やはり長岡京出身の)種ともが作り・歌っていた「うれしいひとこと」から。

「うれしいひとこと」






2010-06-25[n年前へ]

考ええるどんな競争にも、最も確実に勝つ方法を提供してくれるのは科学である。 

 「ものごころがついた」のが5歳くらいで、その前の記憶は写真アルバムの中の景色としてか理解していない。だから、森本雅樹「宇宙経由 野辺山の旅 」に書かれているような、そんな頃の物語を読むと、何だか不思議な心地になる。そして、6歳くらいからの記憶、野辺山高原の天文観測所の中で暮らし・小さな分校に通っていた頃の記憶をほんのかすかに思い出す。藍色の空、太陽に顔を向ける朱色のパラボラアンテナ群、そして、クラス全部で11人が机を並べた木製の教室。

 しかし、前述のように、せまい範囲に限った場合、科学がすくなくとも最良の判断を与えてくれるのもたしかである。ひとまず考ええるどんな競争にも、最も確実に勝つ方法を提供してくれるのは科学である。
 夏が過ぎ、秋が訪れる頃、この言葉をふと思い出すのだろう。ふと、そんなことを考える。

2010-06-26[n年前へ]

人が世界を描写する時に必ず現れる「歪みや矛盾や食い違い」 

長い文章を書くということ」から。

 一言ふと漏らすコメントは非常に的確なものであるのが、普通です。なぜなら、クローズアップされた狭い景色の中には特に「歪み」も「矛盾」もないのが普通です。だから、そんな景色を描写した短い言葉・文章というのは、見事なまでに「その狭い世界」を写し取っているはずだと思います。
 ところが、もう少し広い世界を写し取ろうとすると、つまり、もう少し長い文章を使って広いものを描き出そうとすると、途端に色んな「食い違い」や「ほころび」や「矛盾」といったものが見えてきます。

 一枚の写真や短い言葉では、写真や言葉として上手く世界を(違うものに)写し取ることができたはずなのに、それらをたくさん組み合わせて一つのものにしようとした途端、たくさんの歪み・矛盾を眺めなければならなくなります。

 それらの歪みや矛盾というのは、対象物の複雑さをそのまま映し出したものかもしれません。つまり、対象物の歪みや矛盾というもの自身なのかも知れません。あるいは、そんな複雑な景色を眺めた時に、景色を眺める私たち自分自身の中にある・生まれる歪みや矛盾なのかもしれません。

 それらの歪み・矛盾・食い違いなどを何とかつなぎ合わせて一つのものにする、というのが長い文章を書くということなのかもしれない、とふと思います。だから、長い・広い文章を書くということは、そんなたくさんの歪み・矛盾と向かい合わざるをえない辛い作業だろう、と想像したりします。 ただし、もしも書かないでいれば「その書く辛さ」に向かう羽目に陥ることもないのかもしれませんが、「書こうとして始めて気づくこと」や「書き終えることでようやく発見すること」を見ることもできないのかもしれない、とも思います。
 「長い文章を書く」ということを考えるとき、文章の構造や展開はむろん欠かせない重要なことです。しかし、その底に流れるだろう一番重要で深い問題を考えに入れなければ、いけないのかもしれないとも、思うことがあります。

2010-06-27[n年前へ]

迷ったら描かない。キライな人は絶対描かない。 

 西原理恵子の言葉から。

迷ったら描かない。
キライな人は絶対描かない。

迷ったら描かない。キライな人は絶対描かない。






2010-06-28[n年前へ]

We've got to move on. 

 Struggling man / Jimmy Cliff

Struggling man has got to move.
Struggling man no time to lose.
We're a struggling men,
And we've got to move on.

「ダイジョウブですか?」
「ありがとう平気です」
うれしいひとこと、僕にささやく、そよかぜ、
まだ街にある限り、歌うよ。