hirax.net::Logos::2010-07

2010-07-02[n年前へ]

吉行淳之介と山田詠美の「せつない話」 

 山田詠美が集めた「せつない話 (光文社文庫)」 を読んだ。頁をめくると、まず初めに冒頭を飾っているのが、吉行淳之介の「手品師」という話で、とても新鮮だった。新鮮だった理由は、日暮れた夜の街を描く吉行淳之介の描写がとても気持ち良かったことと、その内容を「吉行淳之介」が描き、「山田詠美」がそれを「せつない話」という題目で収録した、ということだった。面白いのは、吉行淳之介と深い関係にあった、宮城まり子による選集にも、やはり、この「手品師」は入っているということだ。

  この「手品師」という短編には、女性に対する何とも複眼的な眺め方がされていて、とても素直であったり、あるいは、冷めた客観的であったり、結局のところ、切ないけれど愛を向けた描き方がされている。宮城まり子や山田詠美は、一体、この物語をどのような心地で読んでいたのだろうか?

 この短編を読んだ後は、蒸し暑い夕暮れの路地を歩き、路地裏の飲み屋に入りたくなる。何か一皿頼み、そして、冷えた酒を飲みながら、通りを歩く人を眺め、眺めた人に、きっと恋をしてしまうに違いない。

2010-07-03[n年前へ]

重要なのはパワーアップだと思う。 

 江國香織の「雨はコーラがのめない 」の中にこんな一節があった。旅に出るとき、必ず持っていきたい本というものがあって、江國香織角田光代の本は、バッグの中に必ず放り込んで持っていく。

 重要なのはパワーアップだと思う。年と共に技術をアップさせる人はたくさんいるけれど、パワーをアップさせられる人は少ない。
 江國香織の愛しているボーカリスト3人のうちの一人がスティングだという。そういえば、スティングが歌う"So Lonely"と、年を経てから歌う"So Lonely"を聴くと、そんな「パワー」を感じる。もっとも、この曲の場合は、「技術」も違っているように感じるけれど、それでも、異なる時に歌われた声を同時に聴くと、そんな「パワー」を感じる。

 旅をすることが好きな人は、江國香織と角田光代をネイティブに読むことができる幸せを、きっといつも感じているのではないか、と思う。それにしても、江國香織が書く文章は、 一見形にしようがない感情を、冷静な論理でこれ以上なく正確にスケッチしていて、その才能の重なりは奇跡としか言いようがないように思う。

2010-07-04[n年前へ]

「人の意地悪な部分とか汚い部分をまず受け止めないと」 

 「#336 川の底からこんにちは ~石井裕也監督インタビュー その2~」から。

 「人の魅力を描こうとした時に、その人と会っていても、すぐには魅力ってわからないじゃないですか。その人の魅力を見つけるには、その人の意地悪な部分とか汚い部分をまず受け止めないと、美しい部分や愛おしいところも見つけられないと思うんです。だから、まずは汚い部分をちゃんと見ようということなんですよね」

 最後の瞬間の直前まで、とても強い主人公、そしていろんな女性と男性が、心から魅力的な映画だった。

2010-07-14[n年前へ]

「正のフィードバック」と「負のフィードバック」 

今日の「n年前へ」から。

 電子機器・メカ機器で多く使われるフィードバックシステムは、「負のフィードバック」だ。なぜなら、それにより「システムの安定化」を実現化することができるからである。逆に言えば、そういう風にシステムを作らなければ、安定して機器を動かすことはできない。

 その一方、ユーザーインターフェースをつかさどる機器は、「正のフィードバック」として動くものも多い。たとえば、車のハンドルを動かすパワーステアリングなどは、入力の増幅が出力の増幅を生み出す「正のフィードバック」システムだ。少ない力で人の手助けをするシステムを作ろうとするならば、「正のフィードバック」を使うのが自然で人に優しい、というわけである。そういった、ユーザの反応を増幅拡大して見せるポジティブ・フィードバック系が多い。

 ユーザの操作・反応がとても重要であり、同時にマスメディアでもあるようなツールを作ろうとするときには、この「フィードバック」特性を意識することは、きっと何かの知見を与える、と思う。「正のフィードバック」と「負のフィードバック」、そして、それらのフィードバック・システムが生み出すシステム、そういったものの挙動をシステムに関わる人々が想像してみることは、きっと何かの役に立つのではないだろうか、と思う。


「メディアの特性」と「制御工学の安定性」

2010-07-15[n年前へ]

「凄いもの」を作る側に立て 

 「Fast&Firstの blog風」から。

 大規模集積回路 LSIがある。従来は単純ロジックを組み合わせながら作っていた回路が、今は専用IC一つでできてしまう。エンジニアは回路設計する事をせず、仕様書を読んで配線を繋ぐだけだ。
 しかし、そんな便利なLSIを設計する人も存在する。宮崎氏の言うのは、LSIを便利だ凄いぞと崇(あがめ)ている側ではなく、その凄いものを作る側に立てと。

回路の回り道






2010-07-16[n年前へ]

人の心には「向き」がある 

 人の心には「向き」がある。向きをベクトルには方向がある。それを言い換えれば、ある座標(場所)から他の座標(場所)へと向かう量を定義するものだ。違う場所と違う二つの場所があって、重きを置く場所があって、そこから違う場所へと進もうとする「向き」がある、ということは面白いと思う。

 景色の良い場所で、遠くの青空と白い雲を見ながら、「生物と無生物」とか、「過去と未来」とか、とりとめのないことを話す。

 情緒と論理が過不足なく絶妙に混じり合い、不思議なほど心に小気味よく響くリズムで、江國香織は言葉を書く。

hirax.net::Keywords::「江國香織」のブログから。
 わかりやすく物事を説明できる人の話を聞いていると、多くの場合、その人たちが私たちにわかりやすく話をすることができる理由に気づかされます。それは、その人自身の中で、話題・議論の中身について「十分に物事が整理されている」ということです。そして、その人自身の中で「わかりやすい話」として十分な理解が必ずできている、ということです。つまり、「説明術」の根本にあるのは「理解術」なのです。

hirax.net::Keywords::「江國香織」のブログから。
 そういえば、「時間」というのものには、自然で必然な「ベクトル」があるのだったろうか・あるのだろうか?そんなことを、江國香織の言葉を反芻(はんすう)しながら、ふと思う。
 なるほど数学的思考をするひとだ、とすぐにわかった。言葉のひとつひとつに、必ず論理的必然性というか、原因と結果が備(そな)わっている。双六(すごろく)風に正確に一歩づつ先にすすめていく話し方だ。それも、聞き手がとりのこされないように丁寧に、きちんきちんと手順を踏んで。

  たゆまぬひと - 公文 公さん「十五歳の残像

2010-07-17[n年前へ]

21世紀の「ぼくらの時代」は 

 100%新しいことなんて存在しないのと同じように、完全に現代に通用しないということも、ほとんどありえない。
 古典に描かれたエッセンスは、とてつもなく普遍的であるのが普通だ。
 寺田寅彦の言葉を借りれば、たとえば、それは「歴史は繰り返す。法則は不変である。 それゆえ過去の記録はまた将来の予言である」といったような感じだろうか。

And now we watch RealTime,
3-D rendering show.
Now it's one global store
Forget all about who you really are.

 このswfファイルは、クリックすれば再生スタートする。フラッシュのファイルを、いつまで使うことができるかはわからないが、技術革新の歴史は実に普遍的な「無限ループ」が続いているように見える。

2010-07-18[n年前へ]

未消化で出力されないまま「私の中でプールされ続けている種(たね)たち」 

from Radium Software.

 趣味としても仕事としても未消化のネタが、どこにも出力されることなく、僕の中に密かにプールされ続けている。ただ、だからと言って「趣味・仕事の曖昧さ」について改善を行うべきかというと、そうとも限らないと僕は考える。それよりも、ブログを趣味としてではなく、仕事の一部として捉え、定期的に出力を行う努力をするべきなのかもしれないと考え始めている。

趣味と仕事とブログ

2010-07-27[n年前へ]

ここは天国じゃないんだ。かといって、地獄でもない。 

 あるニュースに対する解説を聴いているとき、ふと、THE BLUE HEARTSのTRAIN-TRAINの歌詞の一節を思い出した。

弱い者たちが、夕暮れ、さらに弱い者を叩く。
その音が響きわたれば、ブルースは加速していく。

ここは天国じゃないんだ。かといって、地獄でもない。
いいヤツばかりじゃないけど、わるいヤツばかりでもない。

見えない自由が欲しくて、見えない銃を撃ちまくる。
本当の声を聞かせておくれよ。

2010-07-28[n年前へ]

「見届ける」ということ 

 from 「見える範囲のFinite justice」から。

 正義の女神ジャスティスは、目隠しをしている。予断を禁じ、公平な採決を下すためだが、けれどもその目隠しは、同時に、彼女自身の隠れみのにもなる。彼女は、人を平気で天秤に乗せ、平気で剣を振り下ろすことができる。彼女は自分の剣が、どんな人の命を奪うことになるのか見ないままでいられる。

 しかし、わが国の<正義>の女神は、目隠しをしない。日本の最高裁判所にある「正義」の像は目隠しをしていない
 彼女は、誰を天秤に乗せ、誰に対して剣を振るわなければならないのか、その目をしっかり開いて、一部始終を見届けなければならない

2010-07-29[n年前へ]

ローザ・ルクセンブルグ 「虹のまりちゃん」 

 ローザ・ルクセンブルグ 「虹のまりちゃん」

虹のまりちゃんが泣いている。
今日もあたしはないがしろ。
虹のまりちゃんが泣いている。
ずっと私はないがしろ。

虹のまりちゃんが檻の中。
可愛いまりちゃんは海の中。
ずうっと南でも、空の下。