2010-12-01[n年前へ]
■「深夜ラジオ」の良さ。
めちゃイケでもお話していましたが「ムラオカタカオ」さんとして入院をしていた岡村さん。この5ヶ月、何があったのか?何をしていたのか?をたっぷり2時間お話しました!!
ヘッドホン(イヤホン)でダラダラと聞く、最後に流れる玉置浩二の「田園」まで、「深夜ラジオ」の良さを、久々に味わう。
2010-12-03[n年前へ]
■ビルが映る川面を、漕ぎ進む
都会的な景色が写る川面の上を、静かに早く、舟を漕ぎ進む人がいる。顔を上げて、道路の上を眺めみると、空に映えるビルを背にしてアスファルトの上を歩く人が、たくさんいる。
To get a little stronger,
I'm rowing away,
In my broken boat.
「ウォーターボーイズ」の最後、主人公たちのシンクロ演技のシーンで流れるたくさんのBGMの中で、パフィーが歌う「愛のしるし」の歌詞には字幕がつけられている。それは、この曲の歌詞が一種の台詞に、一種のメッセージにになっているからだろう。
2010-12-04[n年前へ]
■ドッグイヤーに生きる「文明人」は近視眼的な発想に陥りがちだ
縣 秀彦「天文学者はロマンティストか?—知られざるその仕事と素顔 (生活人新書) 」から。
純粋な科学の追究は、その成果を応用することで、人々の生活を豊かにしたり、(中略)人類の歩みや個人個人の生活と深く繋がってきました。そして二十一世紀を迎えた今、科学の成果は、タイムラグなく直接人々の生活と関わりを持つようになってきています。
これはとりもなおさず、今を生きる文明人たちが、近視眼的な発想に陥りがちだということを意味します。その結果、愚かなことだとわかっていながらも、私たちは無意識のうちに、「役に立つ」「立たない」という評価軸のみで人の営みを測ってしまいがちなのです。
「役に立たない」「知っていても得しない」ことに、人類は古くから取り組んできました。文化とはそういうものです。
2010-12-05[n年前へ]
■このやっかいな時代を生き抜くための知恵
「134日ぶりに仕事に復帰したナイナイの岡村さんの番組を見ました」という言葉から始まる、鴻上尚史のドン・キホーテのピアス「このやっかいな時代を生き抜くための知恵」から。
貧困にあえいでいる国をアメリカ大統領が訪れた。アメリカ資本による摂取が原因だと考えた民衆は、アメリカ大統領に向け、「ヤンキー・ゴー・ホーム!」というプラカードを掲げてデモを行った。・・・デモ隊の最後尾を歩く男は「"with me!"-私を連れて!」というプラカードを持っていた。
笑える間は、なんとかなるのです。逆に言うと、ちゃんと笑える精神状態を維持することが、とても大切なのです。
笑いに敏感になり、他人ごとでなく、自分の状態をちゃんと笑いにすること。それは、このやっかいな時代を生きていくための大切な智恵だと僕は思っています。
2010-12-12[n年前へ]
■東京の街に出て来ました。
音の重なり鳴る音に、ただ心動かされる、くるり「東京 」
東京の街に出て来ました。
あい変わらずわけの解らない事言ってます。
恥ずかしい事ないように見えますか。
駅でたまに昔の君が懐かしくなります。
ついでにちょっと君にまた電話したくなった。
君がいるかな。でもすごくつらくなるんだろうな。
2010-12-13[n年前へ]
■雨の日も、風の日も。
「そう 行かなくちゃ。このバスに乗れば間に合うはず」から始まる、くるりの「Jubilee」
「次は何をしよう?」「次はどこへ行こう?」と思いながらバス停に座りながら、そんな歌を聞く。
人はそれぞれのライフ、
新しい場所を探して。
「歓び」とは、
誰かが去るかなしみを、
胸に抱きながら、
あふれた一粒の雫なんだろう。
雨の日も 風の日も、
なんで僕は 戻らないんだろう。
くるり 「Jubilee」
2010-12-18[n年前へ]
■「ちゃらんぽらん」な世界が大好き!?
「ちゃらんぽらん」という言葉が好きです。その理由は、「ちゃらんぽらん」という言葉の語感を最高に心地良いと思っていることもありますが、みんな「ちゃらんぽらん」で「てーげー」な世界こそ心地良いと思っているからです。だから、「ちゃらんぽらん」を絵に描いたような人になりたいとか、「ちゃらんぽらん」な世界でフラフラしてみたい、と思っています。
「ちゃらんぽらん」は、「ちゃら」と「ほら」が合体して出来た「ちゃらほら」が変化したもので、もともとは「でたらめ」とか「でまかせ」とか「うそ」とかいった「口から出たことば」に関する言葉だったようです。しかし、その後、そういう「でたらめを言う人」は行動もでたらめであることから、いいかげんな「態度」や「行動」を表わす言葉として「ちゃらんぽらん」が定着したと考えられます。
「ちゃらんぽらん」な世界で食堂に入れば、「これを食べたい」と思い注文した料理とは、ずいぶん違うものが出てくるに違いありません。そして、駅やバス停に歩いて行ったとしても、時刻表なんか「ただの飾り」のはずです。それが「ただの飾りなことがわからん」のは、「偉い人」ならぬ「アンチちゃらんぽらん」な世界の人だけ、なのかもしれません。
2010-12-19[n年前へ]
■色んな場所に行ってみる。
記憶が確かなら、ウィーンの街を高台から見下ろす写真を見た頃に書いたもの。
いつか、「民族音楽は聴かないの?」と聞かれたら、私も真似して言ってみよう。通勤電車の中で、iPodで聞く音楽じゃないから。色んな場所に行ってみる。その土地を包む音楽を肌で聴き、土地の空気に響く音に振り返り、空気に染みこむ匂いを鼻の奥で嗅ぎ、その場所を包むものを味わいに行く。私は色んな場所に行ってみる。
「世界の何処かで響く音」
2010-12-20[n年前へ]
2010-12-21[n年前へ]
■人生が楽しくなる「心の強さ」
ドラえもん(&のび太)と奥田民生は、なぜかいつもカップリングで登場するのが偶然なのか、必然なのか、それが問題だ。
その(自らの立ち位置、存在位置を問う)辛い問いに答え続ける力、あるいは、その問いを軽く聞き流し続けるドン・キホーテのような奇跡的な力が必要になる。
それは、もしかしたら「心の強さ」というようなものであるのかもしれない。そんな心の強さは、確かに「非常に厳しいもの」に違いない、と私は思う。とはいえ、きっとそんな「心の強さ」があれば、きっと人生は楽しいものなんだろう、とも想像してみたりする。
「自分の力と自分の個性」
幅広い心を、下らないアイデアを、
軽く笑えるユーモアを、上手くやり抜く賢さを、
大げさに言うのならば、
きっとそういうことなんだろう。
「自分の力と自分の個性」
2010-12-22[n年前へ]
■たえまなく湧きあがる想像力と、じっくり考えるしぶとさ
サイモン・シン (著)、青木薫 (訳)「フェルマーの最終定理 」の第6章「秘密の計算」から。
問題解決のエキスパートは、相矛盾する二つの資質をそなえていなければならない。-たえまなく湧きあがる想像力と、じっくり考えるしぶとさである。
ハワード・W・イーヴズ
2010-12-23[n年前へ]
■一 乗寺と天下一品に代表される「裏の京都」
「京都の話である。Lispや非単調論理の業績によ って、Stanford大学のMcCarthy先生が、本年度 における、京セラ(もしくは稲盛財団)の京都賞 を受賞され、先日、京都国際会議場において、 その授与式が行われた。ということは、実は、 以下の話とは全く何の関係もない」という、凡才万歳の"みつを"チックなこんな話。
東大は、どのような分野にせよ、日本を支えて 来たという自負があるから、学生も秀才であろ うとし、教官も秀才を秀才として世に出そうと する。一応、東大を出れば、大抵の学生は、そ れなりの企業などに入り、それなりの仕事をす る。
これに対して、無秩序の京大は、天才か馬 鹿の二者択一を迫る。つまり、京大(特に理学部 にその傾向が顕著である)は、一握りの天才(そ のうちの何人かはノーベル賞などを受賞する)を 生み出すための大学であり、一握りの天才たち は、累々とした凡才たちの屍の上に立って世に 出るのである。
京大の無秩序さは、どこかで見たり聞いたりし たような気がするに違いない。そう、阪神であ る。
2010-12-24[n年前へ]
■本当にサンタがいる、ということに気づく
数式が重なるその向こうに見えてくるのは・・・の「サンタが街にやってくる」
こうして、サンタたちはこどもの枕元にやってくる。むかしこどもだったサンタたちがこどもたちの枕元にやってくる。そして、夢を見ているこどもたちが起きてしまわないように、そっと枕もとにプレゼントを置く。
・・・そして、その時、本当にサンタがいる、ということに気づくのだろう。
2010-12-25[n年前へ]
■あだち充の「最終回」
あだち充の「最終回」ばかりを集めた「おあとがよろしいようで 」
「おあとがよろしいようで」は、あだち作品の最終回のみを収録した選集。「ナイン」「陽あたり良好!」「みゆき」「タッチ」「スローステップ」「ラフ」「虹色とうがらし」「じんべえ」「H2」「5×4P」「いつも美空」「KATSU!」「クロスゲーム」と、計13作品の最終回だけがずらり並ぶ。
最終回のページのほとんどが、 恋に敗れた敗者(脇役)たちの「旅立ち」で埋まっています。主役である真人と妹のみゆきは、2コマしか登場しません。
みゆき
「H2」は(今の時点での)あだち充の最高傑作だ。特に、コマに描かれる事柄から少し離れ、このマンガに描かれている人々を読み眺めてみると、本当にいい。最終回まで読んだとき、このマンガに出てくる登場人物は、全員が何らかの敗者で、だからこそ輝いている人物ばかりだ。
「H2」
2010-12-27[n年前へ]
■自分の本当のオリジナリティ
とり・みきがマンガ家9人にインタビューした「マンガ家のひみつ—とり・みき&人気作家9人の本音トーク 」で、しりあがり寿との回「自分の本当のオリジナリティっていうのは本来自分でもなかなかわからないはずなんです」における、しりあがり寿の言葉から。
オリジナリティというのは、なんというか本当にオリジナリティがあるんだったら消しても消しても現れてくるはずなんですよ。自分で「ほら、こんなこと俺はやってるんだぜ」っていうオリジナリティは、なんか嘘っぽい。
自分のオリジナリティというのは、本来自分でもなかなかわからないもので、それを知りたい・お客さんにも見せたいと思ったら、やっぱり消していくことですよ。これでもない、これでもないって。最後に残るものというか、あるいは一生を見渡してみてやっとわかるというのは本当のオリジナリティで、意識して作るようなものじゃ絶対ない。
しりあがり寿
2010-12-28[n年前へ]
■「商売の基本」と「フロンティア」
とり・みきがマンガ家9人にインタビューした「マンガ家のひみつ—とり・みき&人気作家9人の本音トーク 」で、しりあがり寿との回「自分の本当のオリジナリティっていうのは本来自分でもなかなかわからないはずなんです」での、とり・みきとしりあがり寿が交わした言葉。
職業作家というのは自分のセールスポイントというのをはっきりさせといて、それを恥ずかし気もなく何度も繰り返しできる人のことですよね。読者もそれを望んでいるような作家のことだろう。・・・そういう憧れがすごくあるんですけど、同時に常にフロンティアにもいたい。いつもそのふたつが戦っているような気がして。
とり・みき
それはでも、わかりやすい対立ですね。・・・(職業作家の省資源大量生産というやり方は)商売の基本だと思いますからね。それは否定しちゃいけないけど、作るのが楽しいかっていうとね・・・。どうなんでしょうね、いい商人になるのと自分はもうちょっと生の自分でコミュニケーションしたいんだよっていうスタンスとは、やっぱちょっと違ってきちゃうところがあって、ふたつが一緒になればいいんだけど。でも・・・
しりあがり寿
「ぼくらはどういう状態にいたいのだろう?」あたりから。
やりたいことと売れるというのは違うね。売れるってことはハリウッド映画みたいな、頭悪~い奴もわからなきゃいけないってことだぜ。
(西原理恵子との対談で)みうらじゅん
そこまでをやりたいの。
西原理恵子
2010-12-29[n年前へ]
■人の会話の上で成り立つ「学問」
「NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか—天才数学者の光と影 」中の、小島定吉のウィリアム・サーストンに対する言葉。
優れた定理を証明し続けることが必ずしも数学の発展につながらず、むしろ数学者のやる気をそいでしまうこともある、と知ったことは、博士が「数学は、人の会話の上で成り立つ学問だ」と考えるひとつのきっかけになったのかもしれません。さらに、ウィリアム・サーストン自身の言葉。
自分の研究の進め方に二つの問題点があると反省しました。(ひとつは)自分の理論のバックグラウンドを丁寧に説明せず、いわばわかる人にだけわかれば良い、という書き方に陥っていたのです。もうひとつは、周囲が「答え」を期待しているのだと勘違いしていたことです。だがそうではなかった。皆が求めていたのは答えではなく、どうやって考えたかという過程だったのです。