2011-01-01[n年前へ]
■「絵馬」と"Twitter"
元旦の神社は絵馬を書く人であふれている。その一方で、Twitterやその類いのサービスを使って「つぶやく」人もあふれてる。そんな絵馬とつぶやきにまつわる言葉をふたつ。
…奉納されている他人の絵馬が興味深い。twitter に通底する何かがある。皆それぞれの思いを持って毎日を生きている。
陰気な男でいいですか?
…思い出したのは、hiraxさんの絵馬のエピソード 当時はホームページ書いててもそんなに反応とかなく、どこか諦観した感覚があったなー、と。
インターネットは全世界で見れる可能性はあっても、実際は場末のホームページはPVが1桁で掲示板も閑古鳥とかで。で、現在はSNSとかTwitterもそうだけれど、気軽に反響があったり感想をもらったりできて、「絵馬」のような捉え方はしなくなった。
良いことではあるんだけども、そのとき感じた気持ちも忘れないようにしないとな、と改めて思ったり。
rikuo (rikuo) on Twitter
2011-01-09[n年前へ]
■「自己」と「周囲」を観察する機会
”各種文学がどのようにモノを描いているか”という視点から文学を眺め直す、斎藤美奈子「文学的商品学」の最終章「平成不況下の貧乏小説」から。モノ=目の前にあるさまざまなことを書くことや、自己を書くことの意味を宣言する最終段落で。
なお貧乏が「書くこと」に結びつく。これって不思議じゃないですか?明日のパンを心配する人が、原稿用紙やワープロに向かうだろうか。それは彼らが「最底辺の貧乏」ではない証拠ではないのか。
(松井計『ホームレス作家』の文章をひきつつ)極限の生活の中で、彼もまた「書くこと」を選ぶのです。書くことでも読むことでも、あらゆる知的な作業には、人間の尊厳を取り戻す力がある。そうなんです。残念ながら、ここは素直に認めなくてはなりません。人はパンのみに生きるにあらず、なのです。
ただし、書かれたものが人の心に訴えるかどうかはまた別の話しです。『ホームレス作家』が読む人の心を動かすとしたら、「事実の重み」ゆえではなく、「事実の抽出」に優れているからです。そして、優れた作品は、必ず「パンの描き方」に秀でています。なぜ「書くこと」で人は困難を乗り越えられるのか。感情をぶつけられるからではなく、冷静に客観的に事故と周囲を観察する機会になるからではないでしょうか。その意味でも、表層の表現はけっして枝葉末節ではないのです。
2011-01-10[n年前へ]
■1998年冬、長野五輪「ジャンプ団体」
1998年冬、長野五輪「ジャンプ団体」から。(絆(きずな)でつかんだ栄冠・試走者たちの金メダル・2つの町を1つにした「776人に会いたい」・NHK スポーツ大陸 『絆(きずな)でつかんだ栄冠 〜長野五輪 ジャンプ団体〜』)
長野五輪でのジャンプ団体金メダル獲得。・・・前半が終わり、日本チームは4位。その後、悪天候のため競技は中断する。このまま競技が中止となればメダル獲得はない。しかしその窮地をテストジャンパーが救う。競技前にジャンプ台の整備をし、安全を確かめる役割を担う彼らが、吹雪の中を決死の覚悟で飛び出し、運営役員に続行が可能なことをアピールした。その結果、競技は続行され、日本は金メダルを獲得できた、という話だった。
2月17日の朝、試走者(テストジャンパー)たちの控え室に原田雅彦があらわれた。彼は西方仁也に「アンダーシャツか手袋を貸してくれ」と言った。西方は原田が忘れてきたと思い、シャツを渡した。原田は、次に葛西紀明のところへ行き、手袋を借りた。葛西も原田が手袋を忘れてきたのだと思った。
西方が気付いたのは、原田の「失敗ジャンプ」の直後だった。「原田は、4年前のリレハンメル五輪の僚友だった、俺と紀明の思いを背負って飛んでいる。俺のシャツと紀明の手袋を身につけて戦いに挑んでいる」
試走者25人のリーダー西方は、そのことを試走者たちに伝えた。
取材は、当時テストジャンパーを務めた人たち一人一人に、話を聞いていくことから始まった。その中で、驚いたことがある。それは、彼らの多くがテストジャンパーとなったことを「最初は悔しかった」と言ったことだ。テストジャンパーとして競技を裏で支える彼らだが、ふだんはジャンプの選手。オリンピックには当然選手として出場したい。それが果たせなかったことが悔しかった、と言う。それを聞いたとき、美談だと思っていた話が、私の中で急に血の通った生々しい話となった気がした。何か人生の一端を表している言葉のように思えた。
安全であることを証明するために転べない。雪の中バランスを保つよう手を廻すこともできない。雪で前が見えなくても、きちんと飛んで着地しなくちゃいけない。一人また一人と、雪が助走路に積もっていかないように、後の人が飛びやすくなるよう次々に飛んだ。
7秒間隔のテストジャンプで(25人の)大飛行が繰り返された。2回戦はできますよとアピールしながら、ジャンプ台を守り続けたのだ。
人は誰しも、常に勝者でいられるわけではない。しかし、そんなときであっても、誇りを忘れず、自分のすべきことをすれば、忘れられない経験が残るのかもしれない。それは誰の人生でもそうだ。そのようなことを取材させてもらった皆さんに教えてもらったような気がする。
2011-01-15[n年前へ]
■「いつも思考し創造的仕事をする」という非人間性
「現代科学思想事典 (講談社現代新書) 」中に収録されている、中山秀太郎「オートメーションへの錯覚」から。
骨の折れるくりかえしの単純労働は人間のやるべき仕事ではない。創造的仕事こそ、人間のする仕事であるということがいわれ、自動化へと進み、ホテルの入り口のドアまで自動化された。はたして単純労働は人間のやるべき仕事ではないか。いつも思考し、創造的仕事をするのが人間性回復なのか。人間も動物である。動物は、単純労働も必要であるし、それがまた創造性を助けることにもなる。
中山秀太郎
2011-01-16[n年前へ]
■「アジアとのつながり」と「自由と時代」
(フォームから登録するだけで無料で読むことができ、なおかつ、今の時代に希有なグラフ誌である)GRAPHICATION 2011 No.172 特集「アジアとのつながり」の冒頭、対談「アジアとのつき合い方(村井吉敬・吉岡忍)」から。「“つながり”を求めて」というテーマは、次の三月号が最終回。
でも、(鶴見良行のようには)いまの人は多分なれないでしょう。と言うのは、条件が当時とはすごく違っていて、ああいう形で気ままに生きていくというライフスタイルをもう誰も持てない。現在の日本は、官僚社会の極地まで来ていると思うんです。いま大学で自由な研究をみんなしているかと言うと、ほとんど誰もしていない。できない。なぜなら、今は研究をするなら外部資金を自分で取って来い、文部科学省の科学研究補助金など、よその金を取ってきて研究しろと言われる。しかし、取ってきてたら、それに縛られて書くことになる。
そして、最終頁に書かれているGRAPHICATION 編集者の手帳から。
いま、鶴見さんのアジアの歩き方に若い研究者たちが注目し、その学問のスタイルを受け継ごうとしているが、これがなかなか難しいと村井吉敬さんは言う。つまり、単なる手法だけでなく、時代そのものを問う作業と重なるからだ。
冒頭の対談に戻り、なぜか、小気味良いこの一節。
村井:最近は反中国というか東アジアの国々についての論調がすごく強硬なものになっていますよね。そういう空気にある種の危機感を感じてこういう企画が出たのだろうと思って、今日は出てきたんだけど。
吉岡:この雑誌(GRAPHICATION)はそんなにナイーブじゃない(笑)。
戦中までは「唐人街」「南京町」と呼ばれていれた横浜の中華街が名前を変えた一方、 神戸の南京町は、今でもその名前を残している。アジアのどこか、日本各地のどこかについての話が詰まった、GRAPHICATION「アジアとのつながり」を読む。
2011-01-19[n年前へ]
■戦場で写るもの・写すもの・写らないもの
旅先でテレビをつけると、何度眺めても、いつも私の心をくすぐる、魅力的な戦場カメラマンが出ていました。そして、こんなような言葉を言っていたような気がします。
「戦争で得をする人が必ずいるんです。戦場で、ファインダーをのぞき、それを見つけ出すことが大切だと、私は感じています」
わかりやすい言葉です。けれど、少し「わかりやすぎる」言葉にも思えます。だから、その言葉をきっかけに、なぜかずいぶん長いこと考え込んでしまいました。
戦場に立ち目の前に広がるものを眺めたとき、そこに写る人がいれば、その人々はほとんどが戦争で損ばかりををする人ではないか、という気がします。そして、それと同時に、競馬場でレースを眺める人たちのように、そこに立つ人の中にはは得をする可能性もあるけれど、悲しいくらいの損をする可能性も高いという人も多いのではないか、などと考えさせられtのです。
もしかしたら、「戦争で得をする人」という存在があれば、それは戦場で覗くファインダーには写らないのではなかろうか、という気もします。そういう存在こそが、そういう存在を指向することこそが、「戦争で得をする存在」なのではないか、などとと感じたのです。
(病室に横たわる)夏目雅子の顔を撮れない奴は、戦場で死体の顔だって撮れねえんだよ。病院の壁を乗り越えられねえ奴が、どうして戦場の鉄条網を越えられるんだよ。倒れて行く兵士たちの顔を、正面から撮るんだぞ。
野田秀樹 「20世紀最後の戯曲集 」
ファインダーにはたくさんのものたちが写ります。それと同時に、写らない「人やもの」もたくさんあるのかもしれません。私たちは、戦場に向けられたファインダーに写る存在でしょうか。それとも、写らないものを指向する存在でしょうか。
しかし、わが国の<正義>の女神は、目隠しをしない。日本の最高裁判所にある「正義」の像は目隠しをしていない。
彼女は、誰を天秤に乗せ、誰に対して剣を振るわなければならないのか、その目をしっかり開いて、一部始終を見届けなければならない - そうする自分自身の顔を、世間に対してさらしものにしながら」
白倉伸一郎 「ヒーローと正義 (寺子屋新書) 」
2011-01-24[n年前へ]
2011-01-28[n年前へ]
■「しゃべり過ぎの時代」と「ヒューマン」
現代は、しゃべり過ぎの時代である。書いたのは、twitterもない、何十年も前のことになる( 「男どき女どき 」)。そんな向田邦子のことを表現する久世光彦の言葉をいつも思い出す。
ぼくは向田邦子の一番いい時期とつき合っていたんだと思う。非常にいたずら好きのはずんだ時期で、嘘つきの時期、見栄っ張りの時期。そういうのがヒューマンだと思うから。
久世光彦
あの女らしさが好きなんです。 シナリオにしてもエッセイにしても隅から隅まで女なんです。人はよく(向田邦子を指して)女の優しさとか可愛らしさ、ちょっと悲しいユーモアとか暖かな賢さに溢れた人と言いますが、そんなことはありません。きっと、女の浅ましさとか嫌らしさ、逆上とか嫉妬、そんなものをちゃんと人並み以上に持ち歩いている人なのです。だから、一番女らしいと思うのです。
久世光彦
2011-01-30[n年前へ]
■「師匠、人を笑わせて、何になるんですか?」
「明石家さんま」から。
「師匠(笑福亭松之助)、人を笑わせて何になるんですか」「なんで、(何も答えてくれへんで)笑ってはるんですか」
「わしも若いころ、同じことを、わしの師匠に訊いたことがあるからや」
明石家さんまは「(笑福亭松之助が、笑った後に答えた言葉を)忘れた」とはぐらかしていた。その後、その言葉を明かした。
「悲しいことがあったり元気がなくなったりしている人が、落語とか聴いて、ちょっとでも気持ちが楽になったら、それでええ」