2011-04-06[n年前へ]
■「自然の力」と「忘れる力」
- 水平線のムコウ(2001-06-09)
- 「忘れる」という原動力(2005-01-04)
- 「自然の力」と「人間の力」 (2005-09-02)
- 「時に、無神経でいられること」(「十五歳の残像」から) (2009-04-14)
- "15-0”と「15才の君へ」 (2010-03-21)
- 人がただ祈る姿 (2011-03-12)
「ひとつ予想するとしたら、水平線の向こうには「悪いこと」はあるはずがない、と思います。それは、希望かもしれないし、夢かもしれないし、それとも愛かもしれません。何にしても、人が追いかけてきたものが、水平線の向こうにはあるように思います。」
2011-04-09[n年前へ]
■「戦費調達のための外債公募」を上手く行うための作戦
国際戦略を考えさせられる時に、ふと、日露戦争の頃の(特に)児玉源太郎のことを思い出す。
秋山真之と児玉源太郎に共通する特徴として、戦場の戦闘行為だけに目を奪われないということがあります。秋山は、ロジスティックス、つまり戦争の支援業務が重要だと言っていますが、児玉はもっと広くて、戦争を総合的にとらえる視点を持っていました。たとえば、戦費調達のための外債公募が上手く行くようにと、日露戦争の緒戦(初めの頃の戦い)で目立つ戦果を上げるべく作戦を考えている…。
秋山真之と児玉源太郎
2011-04-10[n年前へ]
■守りに入っている「日本人」
引用した部分に至るまでの部分、過去から現在を振り返りつつ未来までをも見通し、男性や女性の生き方を語る部分が実に「深い」と感じる本宮ひろ志の言葉から(from プロ論。 )。
こんな大変化の時代なのに、守りに入っているというか、ビクビクしている日本人はまだ多いですね。いったい何を守ろうとしているんだろう。…「何をカッコつけてんだ、何を守ろうってんだ」って思う。
2011-04-13[n年前へ]
■チェルノブイリ原発事故起因の推定死者数
テレビで眺めることなどを振り返りつつ、一日一枚スライドを作っています。たとえば、今日作ってみたのは「チェルノブイリ原発事故起因の推定死者数」というスライドです。
スライドに指し添えたイラストは、「チェルノブイリ周辺の位置関係と放射能汚染地図」と「ベラルース・ロシア・ウクライナの15歳以下幼児の甲状腺ガン発症数の変化」です。
スライドの右下のグラフには、賛否両論あるだろうとも思います。ただ、「チェルノブイリ原発事故で亡くなったのは三十数人」という言葉を聞いたなら、話を気をつけながら聞こうか、という気にもなったりします。
もし日本の専門家たちが、いまだにチェルノブイリ発電所事故の被害は消火活動にあたった災害従事者の31人程度であって、住民への被害は思ったより少ないと思い続け真実から目を背けるならば、原子力への住民感情と信頼は専門家の人間性の面で遠く離れてしまうだろう。
「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」
2011-04-14[n年前へ]
■「軽く笑えるユーモア」や「上手くやり抜く賢さ」
そんな「心の強さ」があれば、
きっと人生は楽しいものなんだろう、
とも想像してみたりする。
幅広い心を、下らないアイデアを、
軽く笑えるユーモアを、上手くやり抜く賢さを、
大げさに言うのならば、
きっとそういうことなんだろう。
2011-04-15[n年前へ]
■「リスクとチャンスの世界」へ向かうエネルギー
(リスクもチャンスもある-かもしれない-)外へ外へと向かっていくそういうエネルギーがなかったら、人類はいまだに洞窟の中で暮らしてたんだろうか。
イラクと幕末
2011-04-18[n年前へ]
■それでも、わたしたちは生きていきます。
未だ現実に向き合うことを許されぬ
東北の仲間もいます。
それでも、わたしたちは生きていきます。「まずは釜石から」
一緒に悲しむことよりも、
あなたの仕事を一生懸命やってほしい。
それが沿岸を、
岩手を元気にする力になると思うから。
前よりいい町にしてやる。
2011-04-19[n年前へ]
■「空気」という「妖怪」
東京工業大学の学生たちに向けて、猪瀬直樹が行った「時代に流されずに生きる」ための授業内容をまとめたのが「空気と戦争 」です。最初の言葉は、「空気と戦争」中で引用されている「空気」の研究から。
『空気』とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の『超能力」かもしれない。(中略)こうなると、統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であって、そういうものをいかに精微に組み立てておいても、いざというときは、それらが一切消しとんで、すべてが『空気』に決定されることになるかも知れぬ。そして、「空気と戦争 」お中で書かれている、太平洋戦争に突入する理由ともなった「需給予測」「南方石油の取得見込み量」を作り上げた技術者が振り返る「悔恨」が、次のような言葉。
これならなんとか戦争をやれそうだ、ということをみなが納得しあうために数字を並べたようなものだった。赤字になって、これではとても無理という表をつくる雰囲気ではなかった。そうするよ、と決めるためには、そうかしようがないな、というプロセスがあって、じゃあこうなのだから納得しなくちゃな、という感じだった。
考えてみれば、石油のトータルな量だけで根拠を説明しているけど、中身はどのくらいが重油でどのくらいがガソリンなのかも詰めていない。しかも数字の根拠をロクに知らされていない企画院総裁が、天皇陛下の前でご説明されるわけですから、おかしなものです。
2011-04-22[n年前へ]
■「二流のプロをめざして全力でニッチを狙え」
斉藤哲也「R25的ブックレビュー」の「間違う力 オンリーワンの10か条(高野秀行) 」に対する書評から。
本書の最大のメッセージはおそらく”全力でニッチを狙え”ということだろう。(中略)理想やプライドが高い人は、一流を目指すあまり「なかなか第一歩が踏み出せない」 それなら二流のプロでよいと原をくくり、適当でもいいから「今、はじめる」
長くやっていればなんとかなる可能性が高い。
「間違う力 オンリーワンの10か条(高野秀行) 」
2011-04-24[n年前へ]
■雨が降るまで「雨ごいの踊り」を続けることができる人
「プロ論。—才能開花編 」のパパイヤ鈴木の言葉から。
できる人とできない人の区分けって、僕はないと思う。あるのは、やる人とやらない人だけです。
あるとき、「僕が雨ごいの踊りをやると100パーセント雨が降ります」という若者がいましてね。よくよく聞いてみると、雨が降るまで踊るからって(笑)。深いなぁ、いいなぁと思いましたね。
夢を見続ける力・続ける意志のことを“才能”と言うのなら、雨乞いの踊りを続けることができる人は、正真正銘、才能を枯らさずに明日を待つことができる人だ。
どんなにかすかで小さなことだとしても、「やる」には有限の時間がかかる。たとえそれが、一万分の一秒の一瞬だとしても、その瞬間に「やる=続ける」力が必要になる。やすやすと「やる=続ける」ことができるかどうかは、そのやり続けることへの「抵抗」がどれだけ「力」に対して無視できるかによる、ように思う。
だから、「続ける力(意志)」を持つことができることを“才能”と呼ぶのである。雨が降るまで雨ごいの踊りを続けることができる人、その雨を「成功」という言葉に置き換えたならば「成功するまで続けることができる人」…そんなことができる力のひとつが”才能”というものなのである。
ところで、なぜそんなことができる力の「ひとつ」と書いたかと言えば、そんなことができるようになるための力には色々な要因があるからです。たとえば、その他のひと」には「財力」なんていうものもあります。
だから、「才能あるものは勝つ可能性が増える、という法則」もあれば、「金持ち勝つの法則」もやはり有効であったりするのだろう。
2011-04-25[n年前へ]
■「本当の理科人間」と「理屈を言い争うディベート」
以前メモした、西村肇氏の言葉から。
本当の理科人間は理屈を言い争うディベートを好みません。どんな結論にも理屈はつけられるので、このようなコトバによる議論が、意味ある結論に導くとは思わないからです。
理科人間の議論は一回で論戦を決着できる物証の提示、あるいはそれから反論の余地なく導かれる推論の提示です。
2011-04-26[n年前へ]
■無意識に行う「過去と現在と未来の重ね会わせ」
加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ 』あとがき から。
歴史をつかさどる女神クリオは、女神のうちで最も内気で控えめで、めったに人にその顔を見せなかったといいます。…歴史とは、内気で控えめでちょうど良いのではないでしょうか。
私たちは日々の時間を生きながら、自分の身のまわりで起きていることについてその時々の評価や判断を無意識ながら下しているものです。また、現在の社会状況に対する評価や判断を下す際、これまた無意識に過去の事例からの類推を行い、さらに未来を予測するにあたっては、これまた無意識に過去と現在の事例との対比を行っています。
このようなときに、類推され想起され対比される歴史的な事例が、若い人々の頭や心にどれだけ豊かに蓄積されファイリングされているかどうかが決定的に大事なことなのだと私は思います。
多くの事例を想起しながら、過去・現在・未来を縦横無尽に対比し類推しているときの人の顔は、きっと内気で控えめで穏やかなものであるはずです。
2011-04-27[n年前へ]
■「手にしたもの」と「指一本触ったことがないもの」
こんな言葉を眺めました。
手に入っても好きなものが、本当に好きなものだと思います。この言葉を読んだ直後、久世光彦が向田邦子を思い出しながら綴った言葉を思い出しました。それは、言葉自体が指すことは異なるようでいて、けれど、なぜかどこか似ているような言葉です。
もし、あなたのまわりに、長いこと親しくしているくせに、指一本触ったことがない人がいたら、その人を大切にしなさい。
久世光彦 「触れもせで―向田邦子との二十年 」
似ているけれど違うような言葉で表現されたこれらふたつの「対象」、「手に入っても好きなもの」と「長いこと親しくしているくせに、指一本触ったことがない人」というふたつのものは、実は(何らかの親戚のように)似た存在ではないかと、ふと考えたりもします。
「手に入っても好きなもの」「長いこと親しくしているくせに、指一本触ったことがない相手」…いずれも長く続く対象です。それは、確かに大切な存在なのだろうと感じます。「手に入った好きなもの」「長いこと親しくしているくせに、指一本触ったことがない人」…そんなかげがいのないものたちを、あなたはどんな塩梅で心の中に抱えていることでしょう。
あなたの好きなもの、は一体どんな存在でしょうか?
2011-04-28[n年前へ]
■「進む」私たちが「できる」こと
小学校の教室に避難している人の後ろに、こどもたちが習字で書いた「進め」という紙がたくさん貼ってありました。教室にこどもたちがいた頃にすでに貼られていたはずの、こどもたちが墨汁で描いたはずの「進め」という言葉を眺めました。
原発が事故を起こしてから、いわき市内の学校内で「水溜まりが乾いた跡などで20μSv/h以上の出力を線量計が出している」という実計測結果を聞いていました。そんな数字を知った上で、その後にどんな選択をしていくかという選択には、「答え」などないのだろうと思います。こどもたちに背負わせたくない「リスク」という名の厄難と、彼らにプレゼントしたい可能性と、それら「いずれも確実なものでないもの」を天秤にかけ・そのいずれかを選ぶということは、容易にはできないことに思えます。
教室の後ろの壁に貼られていた習字のように、「進む」ことしかできない私たちは、適当なヒューリスティックス(曖昧な経験則)にもとづいて、行き当たりばったりの判断を(過去そうであったように)未来永劫し続けなければいけないのだろうと考えます。
けれど、「進む」ことしかできない私たちでも、「簡単にできる・ささやかだけれど役に立つこと」があるのではないかとも考えます。根拠もあやふやなリスク見積もりでなく、より大きな要因を勘定に入れない精度が確かな計算でもない、「何か」がたくさんあるようにも思えます。
たとえば、長い休み明けの校舎にたまった(放射能を帯びた)ホコリを、こどもたちが登校する前に、ダスキンモップを持った年老いた大人たちが掃除するなんていうことは、(たとえば、休み明けに雑巾を持ったこどもたちが溜まった埃を拭き掃除するということに比べれば)たいしたリスクを伴わずにこどもたちへの大きなリスクを避けることができる、伊東家の食卓的な役立つ「知恵」に思えます。
「イソジンガーグルをそのまま飲むとお腹がもたれるから、ビタミンCを適量トッピングして中和させたものをこどもには飲ませた(笑)」と小名浜近くの人が軽く話すのを眺めながら、あぁこういう言葉こそが「知恵」というものなのだろうかと思わせれました。
「進む」ことしかできない私たちが(選択に悩むことなく)「できること」とは何だろうか、そのために必要な「知恵」というものは、一体どのようにすれば手に入るものなのだろうか?と考えます。その「答え」は、他の誰か(何か)が教えてくれるものではないということを、この春知ったような気がします。