hirax.net::Logos::2011-08

2011-08-02[n年前へ]

「タイ人は、ふらふら自由に歩いている犬を愛している」 

 作家・内澤旬子が行く『世界屠畜紀行』番外編〜タイ屠犬紀行〜から。ここに引用した”愛すべき”数文以外も(いや、それらこそが)、簡単には消化できない内容で、消化できないからこそ、長く”腹持ち”しそうに感じる「紀行文」

 それにしてもタイ人は犬を決して繋ごうとしない。バンコク市内でもそうだ。そしたら半野生化するのも当然じゃないの、とコーさんに言うと、「犬を繋ぐのはかわいそうだ。タイ人は、ふらふら自由に歩いている犬を愛している」と言い張る。
 (放し飼いで自由な犬と食べられる犬の違い)タイ人の白黒の区別の付け方が最後までしっくりこないまま、首をふりふり帰国したのであった。
 ふらふら自由に歩き、背中を丸めて昼寝 する…そんな不定形で定型な生活に憧れる人は、きっといますよね?

2011-08-05[n年前へ]

”青春そのもの”だった「ぴあ」の最終号 

 39年、39歳になっていた「ぴあ」の最終号」東京では「ぴあ」を買い、関西では「Lマガ(Lmagazine)」(2008年末に休刊)を買っていた…けれど、そのどちらもがもうなくなった…と。何というか、サヨナラだけが人生だ。

 学食で昼を食べながら、「ぴあ」を片手にその週の予定をたてていました。上京したての1年生のうちは、一人で寂しく。そのうちそれはサークル仲間でつるむ目的だったり、彼女とのデート目的だったり・・・完全に、自分にとっての「青春そのもの」でした。
 編集部からのコメント:作り手にとっても、ぴあは「青春そのもの」でした。

2011-08-06[n年前へ]

「地デジ化で消えた時報」と「3分10円の公衆電話」 

 TVのアナログ放送が終了し地デジに移行するとともに、TV放送からピッ・ピッ・ピッ・ポーンという時報も消えていきました(参考:携帯電話の同時性?::(2000.02.19))。デジタル放送になると…映りが悪いということが無くなって…ゼロかイチかで映るか・映らないのどちらかになってしまったり、チャンネルを変えても画面が映り・音声が再生されるまでに時間がかかったりします。だから、「時報」の意味がなくなって、TVの画面から「時報」の時計が消えました。

 時刻を電波で受信して自動的に時間を合わせ続ける時計が使われるようになったり、あるいは、ネットワーク経由で時刻を修正するということが普通に行われる時代になりました。そして、それとともに「時報」のように身の回りから消えていくものが多くあります。技術革新が進むと、かつてあったはずの「生活必需品」のことを、私たちは忘れていきます。

 1986年…今から25年前=四半世紀前の、種ともこの(小刻みに転調が繰り返されるのが印象的な)「10円でゴメンねHOT CHOCOLATE MIX はこちら)」を聴いていると、こんな歌詞が出てきます。

十円でゴメンね。言葉が出てこない。
ピンチのウルトラマンみたいさ。
制限時間、3ミニッツ。
 もしかしたら、いえ、もしかしなくても、もう解説無しでは…意味不明なのかもしれません。

 昔は、街の中には公衆電話があって、家以外からは公衆電話でしか電話を掛けることができなくて、電話の”親機”とか”子機”なんていうものは一般的ではなくて(「電話の歴史」のその3あたりです)、だから、好きな人の”家”に(他の人に聞かれずに)電話を掛けようとするなら、まずは公衆電話という時代でした。十円玉を入れ、市内電話なら3分まで話すことができる…というわけです。だから、地球上では3分までしか活動できないウルトラマンと同じ「制限時間、3ミニッツ」と歌い上げられているのです。もちろん、十円玉を投入し続ければいくらでも電話できるわけですが(相手に電話を切られない限りは)、3分10円、30分で100円、1時間で200円…ということは、1日話すと24時間で4800円というわけで、いつまでも(電話で)話すことができるわけではないのです。…当時は、なかなか「定額制」のラブコールができる時代ではなかった、というわけです。

 しかし、よくよく考えてみれば、直接会いながら話すのでなく、公衆電話から話すシチュエーションというのは、そもそも、あまり「芳(かんば)しい」状況ではないわけで、それはまさにピンチのウルトラマンでもあるし…もしかしたら、ウルトラマンというより(歓迎されないにも関わらず)地球にやってきた怪獣のような状況だったりしたように思われます。…つまりは、ウルトラマンに3分10円ナリの短い時間に「倒される運命の(歓迎されざる)怪獣」というわけです。

 地デジとともにTV画面から時報が消えました。そんなことを考えながら、TV画面の中で地球上から毎週のように消えていた「(3分10円の公衆電話で戦う)ガオーと叫びつつ倒される怪獣」を思い起こしました。技術革新とともに、かつての生活を、私たちは忘れていきます。…たまには、忘れかけていた「昔の生活」を、ふと想い出してみたくなりもします。

2011-08-07[n年前へ]

「行きたい方向を向いて・その場所に行きたいと願えば…」 

 米津一成  「ロングライドに出かけよう

 ひとつ知っていることがある。それは曲がりたい方向に顔を向け、自分の行きたい方向をしっかり見れば、自転車は自然とそちらへ向かう、ということだ。
 …もうひとつ知ったことがある。遙か彼方をしっかり見つめ、その場所に行きたいと想えば、地面が繋がっている限り、その場所に行くことができるということだ。

2011-08-08[n年前へ]

コンピュータ技術で見つける幸せがあってもいいじゃないか。 

 見つけたら「幸せ」になれるという「四つ葉のクローバ探し」をスマートフォン・アプリとして実装する、という眞宮 啓さんの"Looking For The Happiness"("On the Green"をテーマに開催されたTokyo Midtown Award 2010 受賞作)。「幸せ探し」をコンピュータの画像処理でサポートするという「アイデア」が小気味よい。

 子供の頃、誰もがやったことがある「四つ葉探し」をサポートするツールです。コンピュータ技術で見つける「幸せ」があってもいいじゃないか。

眞宮 啓

コンピュータ技術で見つける幸せがあってもいいじゃないか。






2011-08-16[n年前へ]

2011年夏に、人々が眺める「送り火」を見る 

 8月16日の日暮れ過ぎ、時計の針が19時30分を回る頃、街の灯りと夜空を見渡すことができる場所に行きます。なぜかと言えば、20時過ぎから、(日本の古い街のひとつ)京都の街を囲み照らす「送り火」を眺めることができるからです。

 下の写真に映っているのは、左京区浄土寺の「大文字」に次いで、点灯された松ヶ崎西山・東山の「妙法」が京都の街を照らし始めた頃、朱色の送り火を見つめる人たちです。夜の地平線を眺めている人たちは、眼下に広がる街灯りや山肌に燃えさかる文字を眺めています。

 「送り火に込められた想い」を直接見ることはできません。…直接見ることができないからこそ、送り火を眺める人たちを見れば、「送り火を眺める人たち」通して送り火を間接的に眺めれば、「送り火に込められた想い」を実感する・感じることができるように思われます。

 直接見ることができないものは、たくさんあります。…実際のところ、私達が直接目にすることができるものを数え上げてみれば…それはとても数少ないような気もします。直接見ることができないものは、私達は間接的にしか眺めることができません。けれど、間接的に眺めるのだからこそ、「見えないけれど確かなもの」を感じることができるにも思われます。

 今日見た景色は、2011年の夏、「送り火」を見つめる人々です。

2011年夏の「送り火」






2011-08-18[n年前へ]

「次から次へと階段は続く。」 

 BE-PAL (ビーパル) 2011年 09月号 「八十八カ所巡礼 四国お遍路バックパッキングの旅」中で引用されていた空海「秘蔵宝鑰」 から。

 人の心は前進もするし後退もする。心は常に動くのだから、急いで安住の地を見つけるのは正しくない。ひとつ段階を経てさらに深く考えれば、次から次へと階段は続く。

2011-08-24[n年前へ]

「視野を狭くせず、さらに、総合的に捉える視点」 

 加藤陽子さんに話を聞く「池上彰の「学問のススメ」」”なぜ現場任せで、トップマネジメントが機能しなくなるのか?”を読みました。

 なぜ戦争に負けたのか、なぜ原発は事故を起こしたのか、という点について、「庶民」とは反対側、「トップマネジメント」に焦点をあてて考えていきたいと思います。
 加藤陽子先生の歴史を「その時の状況に沿って考え・整理し直す」やり方は、とてもわかりやすく・新鮮で・面白い。池上彰さんには、ぜひ聞き役・狂言回し・黒子に徹して欲しかったと思います。

 対談中に登場する「戦時中のロジスティクス」という言葉で連想した、日本における日露戦争時の「ロジスティクス」や「経済・外貨問題」に関する言葉を、今日もう一度書き留め直しておきます。

 秋山真之と児玉源太郎に共通する特徴として、戦場の戦闘行為だけに目を奪われないということがあります。秋山は、ロジスティックス、つまり戦争の支援業務が重要だと言っていますが、児玉はもっと広くて、戦争を総合的にとらえる視点を持っていました。たとえば、戦費調達のための外債公募が上手く行くようにと、日露戦争の緒戦(初めの頃の戦い)で目立つ戦果を上げるべく作戦を考えている…。

秋山真之と児玉源太郎

 そう、後ろを支える大動脈・大静脈であるロジスティクスはとても重要で・欠かすことができない、そして、実はもっとも大切な黒子です。

 池上彰さんには、ぜひ聞き役・狂言回し・黒子に徹して欲しかったと思います。

2011-08-25[n年前へ]

島田紳助さんの「言葉(ことば)」 

 「これはいいなぁ」と思った言葉を見るたびに、手帳にいつも書き写しています。今日は、手帳の頁(頁)をめくり、島田紳助さんの言葉を眺め・書き写してみました。(書き写す際に、自分の言葉に置き換えていたりするので、オリジナルの言葉とはきっと違うと思います)

誰かに"ちょっと"負けているなあ…と思った時は、
本当は、"だいぶ"負けている。
お笑いは、ロック・クライミングだ。
右手で、今の仕事を掴(つか)みつつ、
(もう片方の)左手で、次にやりたいことを探せ。
同じ道を往復すると、単調でつまらない。
だから、帰り道は行き(それまで)とは違う道で帰る。
それと同じく、生きる時も、今までと違う生き方をする。