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2012-03-01[n年前へ]

「クラウド接続されたスマートフォン」と「30年前のウォークマン」 

 いつでもどこでも、必要なデータにアクセスできるクラウドな時代が始まったのは一体いつ頃だったでしょう?そんな自分が欲する情報をいつでも持ち歩くことができるこの時代、なぜだか、30年以上前ウォークマンが登場した頃を思い出します。

 冒頭の「ビタースウィート・サンバの音楽で始まるオールナイトニッポンを聴きつつ町を歩けば」は、ラジカセでテープにタイマー記録した深夜ラジオを聞く話ではなく、深夜のオールナイトニッポンをYoutube経由で昼間に聴いている、という話です。…それらは、まったく同じように思える話です。 from 「n年前へ

 太陽が街中を眩しく照らす中、ビタースウィート・サンバの音楽で始まるオールナイトニッポンを聴きつつ町を歩けば、まるで「自分だけの世界」に包まれつつ歩いているような感覚に陥ります。
 「広く、色んな人がいる場へ行ってみたつもりが、ふと気づいてみれば、周りにいるのはなんだか似たような人たちばかり…広い世界を探しに出たはずが、自分と似た人ばかりの少し狭い世界に入り込んでしまっている…」ということはよくあるように思う。
 広い世界はえてして狭い世界を作る。似たようなものを集めようとする力がある限りは、母集団が多い場の方が純粋に似たものが数多く集まってしまう。…とはいえ、もちろん狭い世界はやっぱり狭い世界なのである。ただ、さらに狭くなるのは難しい、というだけだ。

2012-03-03[n年前へ]

正しい判断をしない「みんな」はいつも「バブル」を繰り返す。 

 3月になりました。昼と夜を365回繰り返すと、地球は太陽の周りを一回りして、また同じ季節がやってきます。

 そんな、もうすぐ春が来るはずの3月3日の「n年前へ」は『「バブルは繰り返す」と「学者の態度」』『「自然の力」と「人間の力」』などです。

 洪水や地震や津波や噴火・・・といったさまざまを起こす自然の力が強いように、弱い人間もやはりそれでも強い、と私は思います。
 そう願いながら、酷い状況の景色だけでなく、とても綺麗だったニューオーリンズの写真を同時に眺めたくなりました。だから、今日はこんな写真を飾ってみました。…人が祈る、ただそんな姿です。
 「分数もできない大学生」のような"みんな"が行う判断は正しいと思いますか?
 分数ができても、みんなが正しい判断をするとは言えない。金融工学がいかに進もうと、バブルは繰り返す。

2012-03-04[n年前へ]

過去と未来に呼びかける「現在(いま)の声」 

 「繋(つな)がる」という言葉で満ちたこの一年、その何年も前の、けれど同じ3月4日の「n年前へ」から。

 この地図を提供していたGoogleの開発者たちは、被災したニューオーリンズの状況を、その地にいる人たちを心配している人たちに向けて、こんな機能追加を(驚くべき素早さで)行ったのでしょうか。
 人々が分断され、競争に駆り立てられ、揚句の果てにゴミのように切り捨てられる。そんな社会を誰が望んだであろうか。…遅すぎる気もするが、いま求められているのは人と人のつながりであり、共に生きるための知恵だろう。
 日本で最も日没が速い最東端の納沙布岬灯台(北海道)から転倒し、リレー式に最西端の与那国島の西埼灯(沖縄県)に光が灯る頃、日本列島の輪郭が光のリングで結ばれる。これは、140年変わっていないし、永遠に変わらぬ光景だろう。
 「過去の景色」と「現在の景色」を、眺めいていると、色々なことが見えてくるに違いありません。…もちろん、そこからは、過去や現在の先にある復興した未来の姿も見えてくるはずです。
 「半神」は孤独、決定的なひとつの不在を生きることについて描き、「霧笛」はその孤独な他者へ呼びかける声の乗り越えられなさを描いていると言っていいかもしれない。…ともかくどちらも、深い愛についての話だ。

2012-03-08[n年前へ]

何かを作ったことがない人は… 

 twitterから

@tamagotaso "何かを作ったことが無い人は「これくらいなら自分でも本気出せば作れる」と思ってる"

 それと同時に、「そんなものは作れるわけがない」と思いがちな「何かを作ったことが無い人」も多いように思う。

 「何かを作ったことがない」人は、世の中にあるさまざまなものを「作り上げる」ことの難しさも、世の中にはまだない何かを作ることができる可能性も、その両方がわからないのだろう、と思う。そういう人だからこそ、ずっと「何かを作ったことがない」というステータスのままでいる…のではないだろうか、とふと考える。

2012-03-13[n年前へ]

お客様という「わがままな神様」 

 朝日新聞「ニセモノ社会?」から。

 魚の養殖は、どれだけ「本物」に近づけるかの勝負だ。
(中略)  (エサに入れた色素で養殖のサケの身の色を調整するために)消費者が好む色は何色か、調べることにした。…最多得票は、天然にはない「(肌色と赤の)中間色」だった。
 「養殖は『ニセモノ』なんて言われた時代もあったけど、消費者が選んだのは『本物』とは違う色だった。お客様ってわがまま。でも、神様ですけど」

お客様という「わがままな神様」






2012-03-17[n年前へ]

化学変化や向田邦子やスローガン 

 「n年前へ」と「n年前の言葉」から。

 酸性の洗剤とアルカリ性のそれを混ぜ合わせたら毒素が生じることはだれでも知っているけれど、自分が出会っただれかと一緒にいることで、何が生じるのかは予測すらつかない。生じたものが自分にどんな作用を促すのかも。
 (向田邦子には)喜怒哀楽でいうと「怒」と「哀」はあると思う。しかし、本当の意味での「喜」と「楽」はなかった思います。
 短いフレーズやスローガンを掲げて拳を突き上げることへの違和感をどうしても払拭できない。
 どうして言葉と言葉すれ違うと化学変化でめちゃくちゃになるの?